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一ヶ月前、二人のピーターに襲われた孝一と莉子は、予定よりも丸一日遅れてシーニの街に辿り着いた。
戦闘フィールドから市外フィールドに向けて「モバイル」で通信する事は基本的には出来ない。
そういったアイテムもあるが、当時の二人はそんなものは持っていなかった。
酒場に入ってきた孝一をみて車椅子の彰はなんとも形容しがたい表情をした。
それは強いて言えば失望の表情ともとれるもので、自慢の弟子のはずのソフィがたかだか草原の攻略に三日もかけてしまった事が不満だったのかもしれない。
彰はずいぶん遅かったなと二人を冷やかしたが、事情を言うとさすがに驚きの声を上げた。
「プレイヤー二人を?お前たちだけで倒したのか?」
孝一は頷いて、証拠とばかりに手に入れた二つのリングを彰に見せた。
それを見て数瞬黙り込んだ後、彰は突然大爆笑しはじめた。
「はははははっ。そりゃあすごい!前代未聞だぜ、孝一!
確かにソルガルはリングがすべてじゃない。
身体能力や判断力、反射神経が問われはするけど、それは何年もゲームを続けている中堅プレイヤーだって自然に身に着けてるもんだ。
それを入って三日のお前が!
しかも一対二で撃破かよ!
すごいよ、お前は。俺が見込んだだけのことはある」
腹を抱えて笑う彰は、あまりにも笑いすぎて目尻に涙が浮かぶ。
それを拭いながら、彰は笑いの余韻を噛み締める。
一しきり笑った後、でもな、これからが大変だぜ?と彰は意地悪く笑ってみせる。
事実、それからの孝一と莉子の生活はとても大変なものになったのである。
まず二人のピーターの報復を何とかしなくてはならなかった。
戦闘不能に陥ったプレイヤーは最後に立ち寄った街に強制的に戻らされ、ペナルティによって一週間はクレセントガールに融合する事はできない。
つまりこの日から数えて6日以内に何らかの対策を講じなければ、ソフィはおちおち戦闘フィールドにも出られない有様になるのだ。
解決策は大きく二つあった。
一つは大きなギルドに所属する事。
例えば開放ギルドに入る事が出来れば、プレイヤーの開放を謳う彼らが初心者プレイヤーのソフィを見捨てるはずがない。
ギルド内でローテーションを組んで、ほとぼりが冷めるまで、あるいはソフィが十分な戦闘能力を手に入れるまで、共に戦闘してくれるだろう。
だがこれは彰が反対した。
彰自身、ソロのプレイヤーであり、ギルドに所属はしていないのだという。
理由は行動が制限される事。
ギルドに入れば会費の義務が生じ、一定金額をギルドに上納しなくてはいけない。
また、呼び出しがあればはせ参じる必要があるし、獲得した報酬も分配だ。
もともと集団というものが苦手な孝一はそれに合意した。
いつもは極端すぎる彰の思想を嗜める陽子も、このときばかりは口出ししなかった。パートナーである彼女も、ギルドに関しては彰と同じ立場なのだろう。
もう一つの方法は至極単純である。
報復に来たピーターを返り討ちにできるくらいに強くなる事だ。
ソルガルにおける強さは費やした時間に必ずしも正比例しない。
孝一のようにそもそも戦闘能力があり、運良く貴重なリングが手に入れば、六日間でかなりの強さを手に入れることも可能である。
しかしもちろんそれはかなりの幸運に恵まれた場合の話ではある。
だが。
「レア度4の『竜尾刀』リングと、同じくレア度4の『探索』リング。
お前、運もあるみたいじゃないか」
というのは彰の言である。
「竜尾刀」リングはソフィが本来はるか格上のプレイヤー、モリィを撃破したことでもわかるように、刀剣系のツールリングとしてはかなり上位にランクする武具である。
特殊な能力は持たないが、とにかく頑丈で切れ味に特化している。
もともと、刀に類した武器を欲しがっていた孝一にこのリングが転がり込んできたことは、彰の言うようにかなり運がいいと思っていい。
また、「探索」リングはそのモリィがドロップしたリングであり、戦闘には使えない補助系のスペルリングではあるが、それでもレア度4は伊達ではない。
ソルガルにおいて、広大な戦闘フィールドで望むモンスターと遭遇することは必ずしも簡単ではない。
特にレアドロップと言われる、ドロップ確率が異様に低いリングや素材を内に秘めるモンスターなどは、そもそも見つけること自体が困難な場合もある。
それを解決するのがスペルリング「探索」である。
あらかじめ対象としたいモンスターの名前が分かっていれば、スペルの発動によって、地図上にそのモンスターの現在位置を表示することができる。
迷宮を除く戦闘フィールドの地図は街で購入することができる為、これは大きな時間的アドヴァンテージとなる。
戦闘フィールドでリングを入手しようとする場合、まずもっとも時間がかかるのがこのモンスターの探索作業であるのだ。
また「探索」リングが有効化するスペル「リーク」のもう一つの利点は、無駄な戦闘を避けられることである。
出会いたくないモンスターを事前に探索しておけば、やはり戦闘の効率を大幅に上げることにつながる。
経験値やレベルが存在しないソルガルにおいて、無駄な戦闘は極力避けられるべきものだ。
この二つのリングを駆使し、彰と陽子のクレセントガール、リリスにつきあってもらった、戦闘フィールドでがむしゃらに戦ったソフィは、六日後には「神恵鎧」リングを初めとするいくつかの強力なリングの入手に成功したのである。
だが、ここで予想外のことが起きる。
当然あると思われた報復の襲撃が待てど暮らせどなかったのである。
孝一は首を傾げながらも、鍛錬を続けた。
彰は、そのうち大部隊が来るんじゃないかと孝一を脅したが、一向にピーター達は現れない。
次第にリリスがソフィと共に戦闘フィールドに向かうことも減り、ソロで危険なフィールドまで攻略するようになった。
ソフィは三週後には、もっとも難易度の低い迷宮ではあるが、「思慮深き愚者」に単独で潜れるまでになっていた。
そうするとまた別の問題が出てくる。
ソフィが有名になりすぎた、という贅沢な悩みである。
どのギルドにとっても強力なプレイヤーというのは喉から手が出るほど欲しい。
ましてや何年も攻略が停滞しているソルガルのようなゲームでは、倦怠感を打破するスタープレイヤーの存在が必要不可欠である。
多くのギルドが孝一と莉子にギルド参加の打診をしてきた。
まっさきにアプローチしてきたのは開放ギルドのアヌビスで、孝一が丁重に断った際には意気消沈していたものだ。
その他にも十を超えるギルドからの誘いがあったが平等に断った。
彰が師匠の様な者だと言うと、皆しぶしぶながら納得した。
一見気さくな彰が集団に属することを極端に嫌うことは周知の事実であるらしかった。
誘いの中にはピーター・パンからのものもあって、孝一は流石に面食らったものだ。
彰などは笑っていたが。
ピーター・パンなどはもちろん論外であるが、それ以外のギルドと積極的に敵対したいわけでもない孝一は、とりあえず請われれば助っ人を引き受けるが、ギルドには参加しない方針を取っている。
先日の古沼龍討伐の時の様に、その力を当てにされて度々モンスター討伐に借り出されるソフィは、そこそこに人脈もできつつあった。
アヌビスこと小百合と共に戦ったのも初めてではない。
だが、ソルガルに入り込んでまだ一月の孝一に、まさかピーター・パン討伐という大仕事が回ってこようとは、流石の孝一も夢にも思っていなかった。
「それで、どうするの?」
とりあえず即答を避け、パートナーと相談したいと言って解放ギルドを辞してきた孝一は、夕食のテーブルで莉子に事の顛末を話した。
例外はあれど、クレセントガールは一人で出来るものではない。
必ずパートナーと相談して方針を決めることは、ソルガル世界最大のマナーと言える。
暖かいスープを胃に流し込みながら、孝一はう~んと一声唸った。
「参加するしか、ないよな?」
「私もそう思う」
二人の最大の悲願は何よりこの世界からの脱出である。
しがらみを気にして特定のギルドに肩入れしてこなかった孝一達であるが、ゲームがクリアされて元の世界に帰れるのであれば、そんなことはどうでもいいと言える。
「小百合さんは、彰さんたち有力プレイヤーには一通り声を掛けると言っていた。
まぁ、彰さんが受けるかは分からないけど。
大きなギルドにも声を掛けて、大掛かりな勝負に出たいそうだ。
その準備に一月掛かると踏んでいる」
「妥当だと思うよ。
プレイヤーだって一枚岩じゃないから、説得とか時間掛かるだろうし」
「まぁね」
そこまで話して、孝一は昼間会った小百合のことを思い起こした、
アヌビスとしての彼女と寸分変わらぬその凛としたカリスマは、それでも一月あればプレイヤーを纏め上げるだろうと思われた。
立ち姿には隙がなく、見事なスタイルであるというのに、女性らしい弱さを感じさせない女性であった。
孝一がしばし回想に耽っていると、莉子が不満げに声を掛ける。
「………アヌビスのこと考えてるんでしょ?」
「ん?まぁ、そう。小百合さんなら、本当に何とかするだろうなと思ってさ」
「小百合さん、ねぇ」
その声音にざらざらしたものが混じる。
それきり夕食を食べ終わるまで、莉子は口を開かなかった。
孝一はそんな様子に肩を竦めて、スープの残りを消費することに勢力を傾けた。
食事が終わり、莉子が後片付けをしている背後から孝一は声を掛ける。
「莉子、例の件考えてくれた?」
「・・・・・・・・・うん」
そこで莉子は手を止める。
その背中の表情の変化を、孝一は息苦しくなりながら見つめる。
「やっぱり、二人で暮らすのはよくないと思うんだ」
「うん………」
当初二人は予算の関係で、アパートを一部屋借りて住むことに決めた。
2DKで、お互いの部屋は確保できたが、やはり年頃の二人の若者であるから、お互いを意識してしまう。
ましてや孝一にとって莉子は、14歳にしてはありえないほど魅力的な身体を持つ女性である。
健康な男子たる孝一には、なかなかに自制心を試される生活が続いていた。
たとえばトイレの使用にも気を使う。
風呂など莉子の後に入ったときはなんとも言えない気持ちになって、もんもんとした鬱屈を抱えてしまう。
幸い今となっては資金にはまったく困っていない。
借りようと思えば二部屋借りることも可能であるし、もっと言えば頑張って家を一件買えないでもない。
孝一は最近、そろそろ別に暮らそうと莉子に促し始めていた。
だが、それに莉子はなかなかいい返事をしない。
「でも、やっぱり孝一くんが心配だから。
料理とか、出来ないじゃない」
「それは、まぁね」
莉子の言い分はこれであった。
それを言われると、家事がまるでこなせない孝一には黙るしかなくなる。
「まぁ、直ぐに決めなくてもいいでしょ。
私お風呂溜めてくるね」
そう言って莉子は逃げるように、足早にお風呂場の方に行ってしまった。
そんな莉子を見て、孝一は短くため息を吐く。
莉子が孝一に好意を持ち始めている事を、人の気持ちに聡い少年は当然気づき始めていた。
(でも、俺にその資格はない)
どうしても、莉子の気持ちにこたえられないから、孝一の煩悶とした感情は募る一方となる。
その時、玄関の扉がノックされる。
莉子はお風呂場に行ったきり戻ってこない。
仕方なく孝一は立ち上がって、玄関の扉まで行って声を掛けた。
「はい?」
「お、孝一いるな。開けろよ」
強引で知られる師匠の声だった。
孝一が眉を顰めながらも扉を開けると、外から彰と陽子が入ってくる。
「こんばんは。夜分にごめんね孝一くん」
陽子は器用に車椅子を押して、彰を部屋の中に導いた。
「莉子ちゃんはいる?お、いたいた。ちょうどいい。
話がある。聞いてるな?ピーター・パン討伐の件だ」
慌てて風呂場から戻ってきた莉子が挨拶するのに答えながら、彰は早口にまくし立てる。
「アヌビスの奴からコールがあった。
お前らに参加の要請をしてることも聞いた。
俺達以外の、腕が立つやつに声を掛けている事も。
これまで、ピーター・パンを撃退して、『深遠なる迷宮』を攻略できた奴は、当然ながら一人もいない。
奴はその、最初で最後の一人目になるつもりだ」
孝一は彰の意図が分からずに戸惑った。
五年もソルガルにいるという彰を、孝一は積極的に攻略をしない、どちらかと言えばピーター・パンよりのプレイヤーだと思っていたからだ。
「俺と陽子は参加する。孝一、莉子ちゃん、二人はどうする?」
彰は楽しそうににやりと笑った。