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上弦の三日月が天にかかる静謐な夜。
巨大な湖沼を縁取るように幾十もの篝火が焚かれている。
メラメラと燃え盛る炎が、まるで湖に棲む精霊のような美少女たちを煌々と照らし出す。
人間の命と魂が入り混じったアバター、クレセントガール。
その数ざっと五十を越える。
思い思いの鎧を纏い、武器をその手に持ち、そして皆一様に緊張した面持ちで、しずかにその瞬間を待っている。
特に目に付くのは、少女たちの後ろにずらりと並んだ、十機の大型攻城兵器である。
巨大な突撃槍のような鏃を打ち出すその武器は、一度放たれれば被破壊扱いになり、十分間の装備解除不可のペナルティが課されるが、その威力たるや絶大を誇るツールリング、大型弩砲リングが実体化したバリスタである。
レア度は4であり、これを十機そろえることは相当の時間と根気が必要とされる事は言うまでもない。
だが、五十人の戦闘少女たちがそれほどの備えをしなくてはならない存在が、もうすぐその姿を見せようとしていた。
ざわ。
湖の水が、騒ぎ始める。
これまで月光の下、夜の静寂を愉しんでいた黒い水の塊が、不意に目覚めたかのように波打ちはじめる。
最初は小さな細波が。
しかしそれは次第に大きな波になり、ついには少女たちの足元をぬらす程になる。
緊張が、少女たちの間を稲妻の様に駆け抜ける。
「来るぞ」
誰かが、そう呟いた。
突如!
湖の中央が、まるで火山でも噴き上げたかのようにもこりと盛り上がる。
巨大な隆起は大波を立て、少女たちはしこたま水を被る。
じゅわ、と音がして、水を被った篝火が炎を失う。
闇が訪れる。
消えた篝火に慌てて火を灯し直す少女たち。
再び赤々と焚かれた明かりの中に見えたそれを見て、少女たちは皆息を呑んだ。
「これが………」
また、誰かが呟いた。
それは、心ならずも口を吐いて出た、本能の吐かせる言葉だった。
驚愕が皆を包む。
新たに実装されたこの強敵に挑むのは、彼らの誰にとっても始めてであったのだ。
「古沼龍マヌルフ!」
湖から立ち上がったのは、幾千、いや、幾万もの竜の首を生やした百メートルも越えようと言う巨大な龍の姿だった。
例えるなら、それは巨大なカマキリの巣のようにも見える。
あるいは、幾万もの竜が守る湖上の砦か。
「放てーっ!」
合図を受けて、一斉にバリスタが放出される。
獰猛な鋼鉄の塊が、重い音を立てて龍の首をかいくぐり、その本体に突き刺さる。
バリスタは確実に命中したようだ。
金属が肉に突き立つ鈍い音が湖沼に響いた。
巨大な砦の様な龍は、数瞬怯んだ様に身を震わせた。
しかし次の瞬間、少女たちはこれが戦いのほんの始まりに過ぎない事を思い知らされた。
万の首が一斉に咆哮をあげたのである。
るおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおん
るおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおん
るおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおん
るおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおん
るおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおん
るおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおん
それは大音量の多重奏。
大気を震わせ木々を揺らすほどの咆哮が、戦闘少女たちの体にまざまざと教え込む。
己が挑むものの巨大さを。
そして幾万の竜の首が一斉に湖の岸に向けてその長い首を伸ばしてきた。
それは、嵐の後の濁流を思わせる、回避不可能な災害であった。
「ひるむな!バリスタ組は次弾の用意!他のものはついて来い!切り込むぞ!」
緑色の長い髪を棚引かせて先陣を切る美少女こそ、「開放ギルド」のギルドマスター、アヌビスであった。
レア度5のツールリング「天衣無縫リング」が実体化する「天の羽衣」を纏い、開放の天女と呼ばれる実力者だ。
一見すると、一枚の布を体に巻きつけているだけに見える天の羽衣は、長い脚や豊満な乳房の丸みが丸分かりで、肩口や縦長のきれいなへそなどを完全に露出している。
余った布が宙にたゆたうように漂う姿は美麗だが、とても防御力を気にしているようには見えない。
だが、そこはレア度5。
神力が込められていると言う設定のその防具はいかなる刃も通さず、一見無謀に見える露出する肌も、神力のフィールドが防備している。
ソルガルにおいてはレア度が高い防具ほど、実は露出度が高まる傾向がある。
アヌビスの扇情的な姿は、そのレア度の高さの証明に他ならない。
その手に握られるのは、これもレア度5のツールリング「枝の破滅リング」が実体化する武器「レーバンテイン」という長剣である。
炎を纏うこの剣は、触れるもの全てを焼き尽くすと言う。
「はぁっ」
次々に遅い来る竜の首を、片端から叩ききる。
断ち切られた竜の頭は、大人の一抱えほどもある巨大さであるが、すぐさま炎に包まれて燃え尽きた。
その姿は妖艶にして、その力は絶大。
これで続くものたちの士気が上がらないはずがない。
「団長に続けーーーーーーーっ!」
五十人からの美少女戦士たちが武器を手に突入する。
凶暴な竜の首の奔流が、切り裂かれながらも押し寄せてくる。
懸命に立ち向かう美少女たち。
しかし戦いはすでに混戦へ陥っていた。
「駄目です!突破されます!」
「しまった!」
竜の首が後方に控えるバリスタ隊にまで届く。
バリスタが破壊されれば、この戦いは敗北だ。
「ちっ」
アヌビスはきびすを返し、後方に駆ける。
しかし、竜の首はそれよりも早くバリスタを噛み砕かんと顎を開く。
「ひぃっ」
バリスタの少女の一人が悲鳴を上げる。
大重量のこの装備は、使用者に逃げる事を許さない。
「待てっ。くそっ!」
アヌビスの叫びが響く中、竜の顎が獰猛に閉じられる、かに見えた。
その時、轟音が空気を劈く。
竜の顎は決して永遠に閉じれぬように、横一文字に断たれていた。
「ふぅ。間に合ってよかった」
竜を切り裂いた剣戟が発された場所には、黒髪を肩口でばっさりと切った黒髪の美少女が、一本の日本刀を携えて油断なくたっていた。
アヌビスがほうと溜息をつく。
「ソフィ、助かったよ」
「助っ人に来てるんです。このくらいはやりますよ」
アヌビスの声に応えたのは、一ヶ月の経験により第一戦級のプレイヤーへと成長した孝一と莉子のクレセントガール、ソフィだった。
その身を蒼い軽鎧に包み込み、紫がかった不思議な刀身の日本刀を抜き身で持つ。
軽鎧は胸当てと鋼鉄の前掛けのみという恐ろしい軽装で、後ろから見ると形の良い丸い尻がTバックのビキニで丸見えと言う、およそ防御の思想とは無縁の鎧である。
胸当てと言えど、その実態は金属のブラと言った方が適当で、豊満な胸の谷間を強調する役割くらいしか見当たらない。
だがこの鎧は、レア度4を誇る「戦女神リング」が実体化する軽鎧「ブレスメイル」であり、やはり神力を宿すという設定のこの防具は無防備に見える裸身の部分にも神の加護という無類の防御力を宿す。
さすがにレア度5の「天の羽衣」には防御力で劣るが、ソフィにはそれを補って余りある実力が備えられていた。
「前に出ます。いいですか?」
そう尋ねるソフィにアヌビスが苦笑する。
「私も出る。コレでも一応代表なんでね。
馬鹿でかいマリモみたいなアレに、一泡吹かせてやろうじゃないか」
軽く拳を打ち合わせ、二人の美少女は、連れ立って戦場に駆けた。
物凄い量の顎が二人に向かって突進してくる。
「頼むぞ、ムラサメ」
孝一はその手に握る紫の日本刀を横なぎに振るう。
すると剣閃はまるで剣そのものが伸張したように、その間合いから遠く離れた竜の首をすら両断する。
レア度4「風切リング」が実体化する日本刀「ムラサメ」の力であった。
その威力はソフィの剣戟を砲撃のように飛ばす事が出来る。
次々と竜の首を落としていくソフィ。
傍らではアヌビスがやはり無数の首を、次々と炎に包んで切って捨てる。
だが、押し寄せる竜の首の群はだんだんと二人ですら捌ききれなくなってきた。
アヌビスは「レーバンテイン」で竜の首を切り裂きながら、攻撃スペルを使って手数を補う。
やはり炎のスペルを好むらしいアヌビスは、レア度5のスペルリング「火焔明王」をバリッドし、「倶利伽羅剣」という広範囲熱線放射スペルで次々と竜の首を焼き払う。
さすがに一ギルドの頭目をつとめるだけあって、どれもこれもがレア度5のド級装備である。
「莉子」
頭の中に声をかける孝一。
莉子はその声を予想していたように返事を返す。
『分かった。「龍尾刀リング」バリッド!』
ソフィの左手に、閃光が煌き、緑の刀身の日本刀が現れる。
レア度4の「クサナギ」であった。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
黒髪の少女は両の手に握った二つの刃を高速で振り回し、濁流の様な竜の首を次々と切り散らす。
一刀が竜の頭に食い込む。
一刀が竜の牙を受ける。
一刀が竜の首を切り飛ばす。
一刀が竜の眉間を貫く。
その技に死角なし。
もともとかなりの腕前であった孝一の剣術は、一ヶ月の実践を経てほとんど達人級の技量へとそのレベルを上げていた。
「すごい………」
思わず手を止めて唖然とする美少女戦士の一人に、アヌビスは苦笑した後厳しい声を上げる。
「ぼうっとするな!」
「は、はい!」
まぁ無理もないと、アヌビスも思わないではなかった。
それほどにその剣は鮮烈で、誤解を恐れずに言えば英雄的ですらある。
そして恐ろしく長い十分が経過した。
「よし!第二射、撃てぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」
十機のバリスタから、重い鏃が解き放たれた。
るおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおん
るおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおん
るおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおん
るおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおん
るおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおん
るおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおん
再度の咆哮。
しかしそれに怯むものはもういない。
彼らの先陣を切るのは美しき天女と、猛々しい戦乙女であったのだから。
「うぉぉぉぉぉぉっ」
ソフィの剣が、また一つ竜の首を落とした。
結果的には五十三名のクレセントガールのうち、実に十八名が戦闘不能となる途轍もない被害の戦闘となった。
実に三時間にも及ぶ恐ろしく長い戦いを支えたのは偏に、アヌビスのカリスマとソフィの威力であった。
膨大な数のアイテムとリングが古沼龍から取り出された。
戦闘不能になったものがドロップしたリングもきちんと回収され、これは持ち主に返される。
手に入れたものはすべて開放ギルドで管理・分配されるが、ギルドに属さない孝一と莉子の扱いは違った。
依頼料と、なんでも一つ好きなリングを持ち帰る権利が与えられたのである。
ということで後日、孝一はガシィの街の一角に聳える開放ギルドのギルドハウスに足を伸ばした。
金があれば、ソルガル内でも家を持つことが出来る。
馬鹿でかい屋敷はそのまま、開放ギルドの勢力と成果を現している。
「孝一です」
「お待ちしておりました。どうぞ」
応接間に通された孝一は品のいい装飾品に舌を巻いた。
いい暮らしをしているものだ。
「すまない、待たせたかな」
聞きなれた声がして、応接間の扉が開いた。
そう言えば孝一がアヌビスと、生身で会うのは初めてである。
部屋に入ってきたのは長身の意外にも美しい女性だった。
しかし、その立ち居振る舞いや口調はしっかりアヌビスのそれである。
孝一はてっきりアヌビスは男性がメインだと勝手に思っていた。
口を開けたままの孝一にアヌビスらしい女性が苦笑する。
「どうした?」
「すみません。女性がメインだったんですね」
正直に言う孝一に、アヌビスは苦笑を深める。
「はじめまして、孝一君。
私のことは小百合と呼んでくれ。
少し事情があってね。私はフェアリーを使っている。
いずれ分かる事だから、先に言っておくけど」
女性はつやのある長い黒髪をかきあげながらそう言った。
フェアリーだって?
孝一が隠しようもない驚愕で目を見開く。
「その件に関しては、詮索しないでもらえるとありがたい」
「あ、はい」
無礼であったと気付き、孝一はしどろもどろで返事をした。
とは言え、交渉はつつがなく終り、孝一にはソフィの働きに見合った依頼料が支払われた。
リングも望むものが与えられ、まずまずの成果と言える。
そろそろ帰ろうかという孝一に、しかし小百合が少しいいか?と声をかける。
「なんでしょう?」
硬直する孝一に、小百合は苦笑する。
なんだか苦笑が色っぽい人だなと孝一は思った。
「そう構えなくていい。次の仕事の依頼だ。
一ヶ月後に予定している大討伐に、君にも参加してもらいたい。
本当はギルドメンバーになってくれると、一番助かるんだが」
「すみません。どうも、集団は苦手で」
「構わない。いろんな主張があるさ。
残念だがね」
そう言って小百合はウインクして見せた。
「さて、次の大討伐だが、依頼料はまだ決められない。
どの程度のアイテムや資金が入手できるか、確かな事は言えないんだ」
「また、新実装のモンスターですか?」
もう何年も続いているというソルガルは、利用者を飽きさせない工夫か、時折新しいモンスターを実装する。
そんな配慮があるのなら、早くもとの世界に帰してくれれば良さそうなものだが。
「いや、違う。これはこれまでも幾度も挑戦し、それでいて敗北してきた戦闘だ。
孝一君、正直私たちは君の力をかなり当てにしている」
アンチゲームクリアギルド、ピーター・パンを除けば最大勢力を誇る開放ギルドが敗北し続けているモンスター?
そんなものが存在するのだろうか。
孝一の思案げな顔に、例の色っぽい苦笑をして小百合は答えた。
「ピーター・パンを討伐する。
このゲームもそろそろ終りの時間が近いという事だ。
孝一君、君の力が必要だ」
孝一は今日何度目かの驚愕に見舞われた。