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笑い声が酒場を賑わす。
大爆笑に包まれて、孝一と莉子はいささか肩身が狭い。
始まりの街タキールの酒場。
初めての戦闘で初めての戦闘不能を体験しそうになった二人は、プレイヤーの一人に助けられて一度街に帰還した。
「本当に。まさかダガーでリノパンサに挑むつわものがいるとは思わなかったよ」
孝一を助けてくれた張本人、彰がそう言うと一同が再びわっとわいた。
「しょうがないでしょ?知らなかったんだから」
孝一が少し向きになって反論する。
莉子はいたたまれなくてずっとコップのジュースに口をつけていた。
「そのくらいにしときなよ、彰。
ビギナーが知らないこと、そうやっていうのはマナー悪いよ」
カウンターで料理を貰ってきた背の高い女性が、そう言って彰を嗜める。
長い髪がふんわりとしてボリュームがあり、高級クラブの女性を連想させる。
年齢は二十代前半といったところだろうか。彰とは同年代くらいだと思われる。
抜群のスタイルを黒いワンピースのイブニングドレスで包み込んでいて、スリットから覗く白い脚が艶かしい。
彰のパートナーで、陽子という女性だった。
この二人が合体したプレイヤーに、孝一と莉子は助けられたことになる。
「はは。悪い悪い。
でも久しぶりだな。
RPGの基本である、酒場を無視していきなり戦闘フィールドに突っ込んだ奴は。
どの街でもプレイヤーは大体酒場にたむろしてるから覚えておくといいよ」
彰はそう言って陽子から皿を受け取って、器用に片手で車輪を回して孝一に向き合う。
車輪の付いた椅子を手足のように動かして、彰は難なく操作している。
彰は中肉中背で、中学で180センチに届こうという困った体格をしている孝一とくらべればやや低い。
だが一般的な成人男性の身長と言える170センチ前後だろう。
その脚で立つことができればの話だが。
彰は先天的なのか後天的なのかしらないが、両足が完全に動かないらしい。
「この世界に来て真っ先に探したのが車椅子だったよ」
そう言って陽気に笑っていた。
「どうぞ。まぁ食べなよ」
「はぁ」
やる気のなさそうな返事をしたが、腹は減っている。
孝一は莉子と一緒に、ピザのような食べ物をもぐもぐ食べる。
「仲いいね、彼女?」と陽子に言われ、孝一は思わずむせた。
「最初のうちはリングがないから戦闘はしんどい。
生き物殺すのにもなれないしな。
良かったら俺達が一緒にプレイしてやるよ。
どうせ俺達は年中暇なんだ」
彰は五年前からこの世界にいるという。
この世界には五つの街と五つの戦闘フィールド、そして三つの迷宮がある。
三つの迷宮のうち、もっとも難易度が高い「深遠なる王宮」。
その攻略が遅々して進まず、彰はこの世界に足止めを食らっているのだという。
「いつの間にか、すっかりベテランプレイヤーだよ」
そう言っておどけて笑って見せた。
さっさとクリアすればいいのにと思わないでもなかったが、実際の戦闘でこてんぱんにされた孝一には何も言えず、まずは自分が強くなることが一番だと思えた。
「木下」
莉子の方へ目を向けると、小さく頷く。
「お願いします」
「任せとけ」
そう言って彰が差し出した手を、孝一はしっかりと握り返す。
「すごい手が大きいよな。本当に高校生?スポーツ選手みたいだ」
「え、ええ、まぁ」
本当は中学二年生だなんて、絶対に信じてもらえなさそうだった。
それから三日間、彰は孝一と一緒にクエストをこなしてくれた。
リングも新たに三つ入手し、戦闘フィールド内で市街フィールドを作り出す「コテージ」というアイテムの使い方も覚えた。
未だに慣れないのはモンスターの殺害とその解体だが、こればかりは時間がかかるのだろう。
「いたな」
『うん』
リノパンサを、視界に捕らえた孝一は今日、あの日遅れをとった角獣にリベンジすることを誓っていた。
美少女の姿をしている自分にもなれてきた。
彰いわく、ソフィはかなりの美人らしいが知ったことではない。
最近、胸についてる二つのふくらみが邪魔に思えてきた。
「木下」
『うん。幅広剣リング、バリッド』
少女の手の中で、ずっしりとした重量が具現化する。
手に入れた三つのリングの一つ、ブロードソードのリング。
孝一としては、現実世界でも使ったことがある刀に類する武器が欲しかったが、今は欲張りは言えない。
両手にしっかりと剣を構え、孝一は走り出した。
リノパンサがこちらを振り向き、咆哮を上げる。
もちろん、いきなり突っ込むようなことはもうしない。
『火矢リングバリッド。スペル「ファイアアロー」ディスチャージ!』
莉子がスペルを唱え、火の矢がソフィの頭上に出現、一気に巨獣へと突っ込む。
火属性の攻撃に弱いというリノパンサは、火矢の直撃を受けて呻く。
その隙に、剣道で鍛えた脚裁きで、孝一は獣の真横に回った。
そのまま、剣の重みを利用して斬る重心を落とした一撃で、リノパンサの胴体を薙ぐ。
ぶもーっと咆哮を上げるリノパンサ。
孝一はすぐさまバックステップで後ずさる。
視界で自分の胸がぷるると揺れる。
「木下、胸邪魔」
『馬鹿!』
軽口を叩く余裕すらあり、莉子は孝一を罵倒しながらも火矢を放つ。
一撃の威力は小さいが、確実にリノパンサを怯ませることが出来る。
その隙に、孝一はふたたび間合いを詰めた。
「はっ」
両手で握った幅広剣の一撃が、角獣の体内に潜り込んだ。
『通信リングバリッド。スペル「モバイル」コール・トゥ・リリス』
「終わりましたよ、彰さん」
通信リングは戦闘フィールドでのプレイヤー間の通信を可能にするスペル、「モバイル」を使用できる。
市街フィールドでは市街フィールド内だけで使える別のアイテムが存在する。
『こっちも終わった。しかしすごいな、本当に二人だけでリノパンサを倒したのか?』
「なんとかなりましたよ」
『サクラハ草原で一番強いんだぜ?そのモンスター。
腕を上げたな、孝一くん。
僕にはもう何も教えることはないよ』
「どうも」
声には出さなかったが、彰に答えた孝一の、つまりソフィの表情は満更でもなさそうだった。
誰かに評価されるということが、あまりなかった孝一には、どうやら彰の賞賛が嬉しいらしい。
『今日はこのまま草原を突っ切って、シーニの街まで行ってみようか。
まだ、行ったことなかったよな?』
「え、ええ」
『歩いて二日くらいだから、コテージで一泊していけ。
俺は転移で先に言ってるから。
じゃあシーニの酒場で落ち合おう』
そう言って一方的に通信を切ってしまう彰。
孝一は小さく嘆息する。
彰は優しく面倒見がいいが、強引なのが玉に瑕だ。
『大丈夫かな」
「ま、やってみるしかないか」
ブロードソードをしまってダガーをバリッドすると、とりあえず慣れない解体作業にとりかかることにする。
『うぅ、気持ち悪い』
「あのな、俺の身にもなれ」
孝一はダガーを使って角や牙を剥ぎ取り、次に腹を割いて内臓を取り出す。
『もう、だめ。目つぶってくれない?』
「むちゃくちゃ言うんじゃない」
視界を共有する莉子には自分だけ目をつぶるということができないのだ。
三十分ほどかかってようやく解体が終わり、角一本と牙が十本、それにリノパンサの肉を五キロほど切り出して、ポーチに入れておく。
これらは街に持ち込めば換金対象となるのだ。
「ふぅ」
孝一が一息つこうとダガーを引き抜くと、かつんと音がして何かが獣の体内から転がりだした。
「お」
『やったー』
それは孝一達にとって五つ目となるリングだった。
そのままさらに何体かのモンスターを倒す。
ちなみにサクラハ草原に出現するモンスターは次の七種類。
首が二つある狼ドーベルフント。換金用の牙が手に入る。
全長三十センチくらいの凶暴な鳥シュバルトウ。羽と肉が換金対象。通信リングが高確率で手に入る。
地を這う一メートルくらいのトカゲ、サウラ。牙と肉が交換対象。
素早い毒のない蛇、マウスロープ。特に交換できるものはない。
大きな牙を持つ凶暴な猪、ウェルビースト。牙と肉が交換対象。幅広剣リングをドロップ。
そして虎の顔と犀の巨体を併せ持つ草原の王、リノパンサ。
その後は特に得るものもなく日が暮れて、ポーチからコテージを取り出して設置する。
二畳くらいの大きさのテントであるが、入り口に小型の転移門があり、そこから中に入れる。
下位のモンスターは絶対に入ってこれない仕様になっており、つまりサクラハ草原のモンスターでは絶対にどうこうできないらしい。
転移門からなかにはいると数時間ぶりに孝一と莉子に別れて、二人はやっと一息がつけた。
「お疲れ」
「上条くんこそ」
そのままどっと寝袋に倒れこむ孝一。
莉子はくすくすと笑う。
「夕飯のしたくするね」
「お願いしていい?」
「もちろん」
コテージは天井が丸く空いているので、その中で火を焚いて炊事が出来るのだ。
孝一は夕食までいつの間にか寝ていて、夕飯(今日手に入れた肉と持ち込んだ数種の野菜と米を塩で煮込んだもの)を食べてごろりと横たわった。
莉子も片づけを終えると孝一に倣う。
「不思議だね。こんなにわけ分かんないとこにいるのに、なんだかもうなれちゃったみたい」
莉子がそう言って微笑む。
コテージの天井に開いた丸い穴からは、夜の星が見える。
「そうだな。やることが目の前になると、人間案外平気なのかもな」
「ごめんね、上条くん」
「こんなことに巻き込んで」
「気にするなよ、いまさら。木下が悪いんじゃないしな」
では誰が悪いんだろう。
こんな世界を作り上げ、孝一達を連れ込んだのはいったいどんな存在だ。
考えると途方もなさそうで、孝一はその先を考えるのをやめた。
「昼間聞いたこと覚えてるか?」
「昼間?ああ、ピーター・パンの話」
「そう」
それは珍しく彰のいない酒場で、プレイヤーの一人から聞いた話だ。
ナミールの街をほぼ占拠する形で存在するプレイヤーの一団の話だった。
彼らはピーター・パンと呼ばれていて、ソルガル世界でピーターと言えば皆一様に険しい顔をするという。
なぜソルガルが未だに攻略されないのか?
その理由の一端が、ピーターにあるのだ。
物語のピーター・パンは子どもだけの王国の王であり、決して大人にならない少年である。
ソルガルのピーターもそれに近い。
決してクリアをしたくない、プレイヤーなのだ。
彼らは最後の迷宮「深遠なる王国」に近づくプレイヤーをいつも警戒していて、迷宮に入ろうとするものがいれば攻撃して阻止する。
ゲームをクリアせず、いつまでもソルガルの世界にいたい集団、それがピーターなのだ。
ピーターは時にはフィールドで容赦なく攻撃してくることもあるという。
サクラハ草原は序盤のフィールドだからそんなことはめったにないらしいが、今後は気をつけなくてはいけない。
「木下、俺は帰りたいよ」
「わ、わたしも」
「うん」
まどろみと覚醒の中間の時間、二人の会話は自然途切れがちになる。
どちらかが眠れば終わる時間。
くすぐったい時間がゆったりと流れる。
「上条くん」
「うん?」
孝一が返事をすると一泊の間がある。
草原の夜というのはぞっとするほど静かで、狭いコテージでは空気が秘密めいた気配を孕んで滞留している。
会話がとぎれると、ふたりの息遣いだけが聞こえる。
「私ね、下の名前莉子っていうの」
「しってるよ。クラスメイトだろ?」
「そ、そうだよね。木下って呼びにくいじゃない?
だ、だから、その、莉子って呼んでくれても、いいよ、なんて」
また沈黙。
どこかしびれるような甘さを含んだ空気が霧のようにたゆたう。
「わかった。俺のことも孝一って呼んで」
「………うん」
んん、と孝一は咳払いしてから言った。
「おやすみ、莉子」
「おやすみ、孝一くん」
翌朝、再び合体した二人は早々にコテージをたたみ、すぐさま移動を開始した。
彰は歩いて二日かかる行っていた。
できれば今日の夜は宿の布団で寝たいし風呂にも入りたい。
遠方にうっすら黒く、街らしきものが見えたときだった。
二人が突然の急襲を受けたのは。
「何!?」
『孝一くんっ!右っ!』
孝一はとっさにその場で横転して距離を開ける。
見れば確かに右の方向から歩いてくる二つの人影がある。
「ピーター、か」
『最悪………』
風が二人の気配を運ぶ。
それはすでに放たれた銃弾の、硝煙のようなにおいだった。