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「そろそろ、いい?」
「う、うん」
莉子が緊張で震えながらもうなずく。
男の人と一つになるということがどういうことか、まだ中学二年生の莉子には想像もつかない。
それは、深い深い体の奥に隠し続けていたことが、だんだんとたまねぎの皮を剥ぎ取るように相手にしられてしまうことだろうか。
あるいは、彼の考えたことが自分の考えたことになり、自分の考えたことが彼の考えたことになるのだろうか。
自分以外の他人を自分の中に受け入れるという感覚が、莉子にはうまく想像できずにいる。
油断すると、両の手で自分の体を掻き抱いている莉子がいた。
「木下………」
緊張でぎこちなく微笑む莉子の肩に、そっと孝一の掌が置かれる。
無骨で太かったけど、大きくて暖かい手だった。
この人にだったら、全部を知ってもらってもいいのかもしれない。
でも、それでも自分が自分でなくなりそうで怖い。
「ご、ごめん………。も、もうちょっとだけ待ってくれる?」
下から見上げるような、涙を一杯にためた懇願するような瞳。
さながら狩られる寸前のウサギの様な瞳で、莉子はうるうると孝一を見つめる。
だがそこで、やさしげに微笑んでいた孝一が、表情を一変させて叫んだ。
「お前、いい加減にしろよ。たかだか街から出るのに何十分かかってるんだ!」
「だって、怖いじゃない。市街フィールド以外では私と上条くん、が、合体するんだよ!
何なの合体って。
わ、私の考えてることとか、上条くんに駄々漏れになったら困る!」
「そうか。じゃあ先に言っておく。木下」
「何?」
「男はみんな同じだからな?俺だけ軽蔑するなよ?」
「へ?」
「よし、いくぞ」
「ちょ、こころの準備が。きゃああああああああああああああああああああああああ」
ひったくるように莉子の手を掴み、孝一は転移門に飛び込んだ。
早起きして取扱説明書を熟読した莉子によれば、市街フィールドと呼ばれる中規模の街が、ソルガルには五つ存在する。
莉子と孝一が滞在するのは始まりの町タキールであり、市街フィールド同士は戦闘フィールドとよばれる草原や山岳、湖などによって隔たっている。
一度いったことがある街なら、市街フィールドに必ずある転移門をくぐれば瞬時に移動することができるらしい。
だが、始めていく町なら、その前に立ちふさがる戦闘フィールドを踏破しなくてはならない。
ソルガルにおける町は、空間的に閉ざされていて、戦闘フィールドに出るにも転移門を使う。
そして、戦闘フィールドでは、孝一と莉子は融合して一人の存在となる。
戦闘フィールドで負ったダメージは、一度市街フィールドに入れば完全に回復する。
また、戦闘フィールドで万が一死んでしまっても、最後にくぐった転移門に自動的に戻される。
その際、所持金は全損、持っているアイテムも、ランダムで一つドロップする。
レア度が高いほどドロップしやすいというから気をつけなくてはならない。
ここまでの説明を聞いて、じゃあ行って見ようと転移門に出かけてからたっぷり一時間後、二人は戦闘フィールドに降り立った。
それは不思議な感覚だった。
転移門をくぐるとき、この世界につれてこられたときのような光の奔流に包み込まれて、孝一は自分の体がばらばらに溶けてしまったように感じた。
それはしかし非常に心地よい感覚でもある。
暖かいお湯の中にいるような不思議な感覚。
胎児の安らぎというのは、ひょっとしたらこういうものをいうのかもしれない。
時間にしたらほんの数秒後、孝一はフィールドに降り立っていた。
まず感じたのは違和感。
視線が低く、体重も心もとない。
常の癖で重心を安定するべく姿勢を正すと、視界に不思議な物体が存在して困った。
そっと触れてみる。
ふに、という感覚がして少しへこむ。
次に下から手を添えて持ち上げてみる。
以外に重量感がある。
「ふぅん」
『ふぅんじゃない!なんでいきなり、む、胸触ってるの!』
「ん?」
聞き違いでなければ頭の中で莉子の声がした。
「なるほど、これが合体してるってことか。
莉子には視界は見えている?」
『う、うん』
「感覚は?」
『ある。でも自分では体を動かせない感じ』
「ふぅん」
それはなんとも歯がゆそうだ。
孝一は体を見渡してみる。
さっきまで二人が来ていたどちらの衣装とも違う、ぴったりとしたウェットスーツのような衣装を着ている。
体のラインにぴたりとそうその衣装では、凹凸が丸分かりである。
加えてもうこれは趣味としか思えないが、臍のあたりと胸の谷間にはスリットが入っていてぱっくりと白い素肌をさらしている。
人体の急所を露出してどうする。
下着ならブラとパンツにあたる部分と肘と膝に、金属製の当てものがしてあった。
もし鎧のつもりなら、製作者の気持ちが知れない。
身長は莉子と孝一を足して2で割ったくらい。
170に手が届かないくらいであろうか。
胸は莉子のものより少し大きいような気がする。
言われてみれば鍛えに鍛えた孝一の驚異は90くらいはありそうだ。
それが反映されているのか?
しかし。
「なんていうか、合体っていうからどんなにおぞましいもんかとおもったけど、ほとんど女だな、これ」
『最悪………』
頭の中で莉子がげっそりとした声を出す。
まぁそれもしかたないだろう。
コスプレ趣味でもない限り、この格好はつらいものがある。
体の丸みも肌の決め細やかさも髪の質感も、それは女性の柔らかさを持っていた。
孝一の部分なんてどこにもないような気がする。
髪はどうやら折半だ。
肩口でばっさり切られた黒髪になっている。
「顔はちょっとわかんないけど………ん?」
違和感、というよりとても慣れ親しんだ感覚に、孝一は臍の隙間からスーツの中に手を突っ込んだ。
『な、な、な、なにするのっ!』
かまわず手を進める孝一。
股間に差し込まれた手が、何かにあたって止まった。
「………木下」
『……………なに?』
「なんであるんだよっ!」
『知らないわよっ!ちょ、早く離してよそれ!』
「しかも棒の方だけ。なんなんだこの中途半端は!」
『棒とかいうなあああああああああああああああっ!』
どこまでも広がる草原にとても澄んだ青空。
二人の冒険は始まらない。
「悪かったよ。いい加減泣き止めよ」
『くすん、くすん、もう、もうお嫁にいけないよ~。
あんなもの触らされて。
え~ん』
「心配しなくても年頃になったらいくらでも触るから」
『馬鹿!変態!すけべ!信じられない!』
どうやら頭の中の考えがすべてダダ漏れというわけではないらしい。
相手に聞かせようと思って集中すると、それが相手に伝わるようだ。
でもここに至ってはあまり意味がなかったが。
二人しか存在しない気楽さか、どうにも孝一は莉子に心を開きすぎている自分に気付き始めている。
だがそれが不快な感じはしない。
少し、さびしいだけだ。
「いた」
『うん』
融合した二人の魂が、草原を徘徊する一匹のモンスターを見つけた。
それはサイのような巨大な体躯を持った、トラのような生き物だった。
鼻の頭に角があり、恐ろしい牙から、だらだらと唾液を垂らしている。
『リノパンサって言うんだって。角と牙が換金可能』
「よし」
とりあえずはやってみるしかない。
孝一はさきほど慣らしで少し走ってみたが、とてつもない速度が出て驚いた。
オリンピックもぶっちぎりで金メダル狙えるくらいのスピードだ。
腕力も、どうやらかなり強くなっている。
それが素手でサイを狩れるくらいのものかどうかはしらないが、まさか最初のフィールドからそれほどの無茶苦茶はないだろうというのが二人の結論だった。
『そうだ。上条くん、指輪。リングを装備して』
「あ、ああ。ポーチ」
孝一が呟くと、中空に透明のウィンドウが出現する。
「短刀リング」と表記されたそれをクリックすると、掌の中に指輪が一つ出現した。
『おお』
「嵌めるぞ?」
孝一はそれを人差し指に嵌めてみる。
『短刀リング、バリッド』
頭の中で莉子の声がして、次の瞬間には左の掌に光が集中する。
光がはじけると、そこには一本の小ぶりな短刀が握られていた。
「へぇ」
『これが、ツールリングってことね。そのダガーがツール』
「これはいいな」
孝一は鈍色の刀身をまじまじと見る。
刃渡りは二十五センチほどだがかなりずしりとしている。
一目で戦闘用の刃物と分かる。
いつかの不良が振りかざしていた、威嚇のための刃ではない、殺しのための刃だ。
「いくか」
『うん、あ、その前に』
「何?」
『この子、名前があるの。キャラクターネームを設定したから。この子の名前は、ソフィ』
「ソフィ、ね。よし、いくぞソフィ!」
ソフィは風のような速度で駆け出した。
リノパンサがこちらに気付く。
だが、ソフィの方が早い。
巨大な壁のようなその胴体ががら空きである。
「うおおおおおおおおお」
雄たけびを上げて、孝一がダガーを右手に低く構えてその柄の尻に左手を添える。
鉄砲玉の下っ端やくざのような構えだが、体重を乗せるならこの姿勢がいい。
ぶしゃあ、という感触がして、肉と斬る刃の感覚が手に伝わる。
『うわ』
「これは、きついな」
言いながら、孝一はダガーをもろ手に持ち替えて、横腹に突き刺さった刃を真一文字に振りぬく。
ぶおーっというような鳴き声を上げて、リノパンサは身をよじる。
骨に当たってこれ以上は進めそうにないので、孝一はそれを一旦引き抜いた。
その瞬間、リノパンサがすばやく頭をこちらにむけ、突進してきた。
「うお、このっ」
とっさに脚のばねで横っ飛びする孝一。
しかし凶暴な体重がかすり地面に向けて吹っ飛ばされる。
「くそっ」
のしりと、リノパンサの太い足がソフィの脚を踏む。
ばぎん、という音がして、激痛が神経を逆流する。
「く、そっ」
『いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁ』
リノパンサの凶暴な牙が眼前に迫る。
だらだらとした唾液が胸にたれる。
「おいおい、まじかよ」
孝一は懸命にダガーを振り回し、近づけまいとするが、リノパンサは少しも意に介した様子はない。
かつて孝一が自身がそういったように、振り回されるだけの刃には重みがないのだ。
巨大な口が大きく開かれる。
牙が、ソフィの細いのどを射程に捕らえる。
「くそぉぉぉぉぉぉぉぉっ」
『やめてぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ』
ぐるるるるる、とのどの奥で吼えるリノパンサ。
まさにその牙が届かんとするとき、突如爆撃がリノパンサの胴体を叩いた。
ぐらりと揺れるリノパンサ。
ぶおーっと声を上げる角獣。
ソフィが爆撃の飛んできた方向を見ると、一人の美少女が弓に矢を番えている。
きりきりきりと弦が引かれ、放たれる次弾。
そこから放たれる弾丸のような矢を、まるで流星だと孝一は思った。
その一撃で、リノパンサは完全に沈黙した。
どう、とその巨体がたおれ、孝一はあわてて身をよじってそれをかわす。
『たす、かったの?』
「助けられたんだよ」
孝一はそれでも警戒をとくことなく、こちらに近づく少女を見つめ続けた。
「しかしこれは」
『?』
「トラウマになるな。もとの世界にかえっても夢に見るかも」
そう言って孝一は小さく嘆息した。