外伝2 砂上の幸福
※「二人のピーターを撃退した後の一ヶ月間」、その日常の一こまを切り取った場面です。
『孝一くん。右手方向三十メートル先にイビルディアが二体。
これは避けていきましょう。
逆に左手方向先五十メートルくらい先にキリリクがいるわ』
「よし。そいつを狙おう」
ソルガル世界に五つ存在する戦闘フィールドの一つ、大砂漠クダバイサ。
二人が現在挑んでいるもっとも難易度が高い、迷宮以外の戦闘フィールドである。
初心者用の初期戦闘フィールド、サクラハ草原で得られるリングを、たった三日であらかた取り付くしたソフィは、ピーターの強襲という大不運に恵まれながらも、小さな幸運を手に入れる。
レア度4「竜尾刀リング」と「探索リング」をドロップで手に入れたことである。
結果、初心者プレイヤーにあるまじき攻撃力と「探索」という大幅な時間の節約手段を得た二人は、一週間もすると大幅な戦力アップを達成。
その実力は、一週間前に二人を襲ったピーターの二人組みが報復を仕掛けてきたとして、十分に返り討ちに出来るものだと彰は判断した。
「もう、お前ら二人でいいよな」
そう言った彰は、まだ報復の危険は完全には去っていないにも関わらず、ソフィを単独でフィールドに向かわせるようになる。
飽きたのだろうと、彼をよく知る酒場の常連は言っていた。
だが実際にして、二人に彰のアシストはほとんど必要なくなっていたといっていい。
砂埃舞い上がるこの無限の砂漠地帯に、 孝一と莉子が同期するアバター「ソフィー」は、リングを求めて今日も挑んでいた。
ソフィの外見を、リリスのメインプレイヤー彰は美少女と評したが、その表現はまったく正しい。
肩口で思い切ってばっさり切られた、さらさらとした美しい黒髪。
大きな瞳は見るものの心を覗き込みそうなほどに澄んでいて、愛らしい小さな唇はつややかで艶美である。
その幼い表情に似つかわしくない胸の起伏は見事の一言で、男なら誰しもそのふくらみに憧れを持つこと請け合いである。
それでいて、手足は長く華奢で、きゅっとくびれた腰と小さな丸い起伏が見るものの劣情をそそるだろう。
メインプレイヤーが男性の孝一であるということを除けば、またこの肉体が雌雄同体であることを考えの外に置けば、美少女としては完全であると言っていい。
そのアバターソフィは、白い全身鎧でその見事な肢体を包み込み、緑の刀身を抜き身でぶら下げている。
レア度3の「神恵鎧リング」が具現化する「ホワイトウイング」と呼ばれる全身鎧であった。
この世界の装備は、なぜか露出度が高いものほど高いレア度を誇る。
そういう意味では、ソフィが身に着ける防具は初心者のそれとして相応しい物である。
だがその剣。
「竜尾刀リング」が具現化する魔剣クサナギは話が違う。
レア度4を誇る紛れもない上位武器である。
この刀に、ソフィはその窮地を何度助けられたか知れなかった。
もとより現実世界で剣道を嗜んでいた孝一は、この刀のお陰で、すでに第一線級の実力者に並ぶほどの戦力を得ている。
当面の課題はスペルリングの充実と、防具の強化だ。
防具の方は、「思慮深き愚者」というダンジョンにめぼしいものに目をつけており、今はそのダンジョンに挑むためのスペル集めを行っている。
何せ、そのダンジョンの攻略に彰は付いて来ないというので、攻略に必要なスキルはすべて自分達で保持していなくてはならない。
これはまったく彰のせいだと思われるが、二人には彰の他に一緒にダンジョンに潜ってくれそうなプレイヤー、つまりフレンドがいないのだ。
強制的にソロプレイヤーの道を歩まされつつある-勿論孝一がそう望んでいるにしても-ことに二人はまだ気がついていない。
「見えた」
砂埃の中、砂漠には不似合いなほど巨大な影がソフィの視界に出現する。
その体こうが十メートルにも達する砂漠の地竜キリリクである。
竜としては小型で飛翔能力はないが、口からは炎を吐き、その腕の一振りで巨岩を粉みじんに破壊する。
恐ろしい難敵であるが、スキルリング「砂印」リングをドロップするということで、これまで幾度となくソフィが狙ってきたモンスターである。
「砂印」リングが実体化するスペル「マイルサンド」は、マーキングした地点にアバターを戻すことが出来るという移動系スペルで、ダンジョンの攻略にはなくてはならないものである。
これまで何体ものキリリクを倒してきたが、今日までそのリングは二人の前に姿を現してはいない。
「今日こそはってな」
『行こう!』
頭の中で激励の声を上げる莉子に向かって「おう」と応えると、ソフィは砂の地面を蹴ってキリリクに肉薄する。
普通、視界の悪い砂漠で特定のモンスターを選んでエンカウントすることは実は非常に難しい。
「探索」リングのスペル「リーク」がそれを実現しているのである。
それでいて、もう一週間近く二人はこの砂漠に挑み、最後のドロップリング「砂印」を得ることが未だ出来ずにいる。
イビルディアなどもう何十体倒したか知れない。
そろそろいい加減、ダンジョンに挑みたいものだと二人は考えていた。
難易度がもっとも低いとは言え、ソロプレイでダンジョンをクリアするなどということがスタープレイヤークラスの異形であることを、もちろん彰は二人に教えてはいなかった。
「おお!」
ソフィが地面を蹴る。
砂が舞い散り、その華奢なシルエットが宙を舞う。
ソフィの接近に気づいた地竜が低い声で呻いた。
「るおおおおおおおおおおおおおおおん」
聞き飽きた咆哮。
ソフィは刀を構え、その砂色をした装甲のような身体に刃の一閃を見舞う。
だが浅い。
すぐさま、その長い尾を振るい、小うるさい少女を叩きのめそうとする地竜。
だがその尾は、ソフィの一閃によって斬り飛ばされた。
「甘い!」
「るおおおおおおおおおおおおおおおん」
苦悶の声を上げる竜。
出鱈目に振り回されてその野太い腕が、ソフィに向かって振り下ろされる。
「ちっ」
『「魔法盾リング」バリッド。「シールド」!』
莉子の声で魔法の障壁が発生しソフィを護る。
『もう!気抜きすぎ』
「悪い悪い。だめだな。飽きが来てる」
初めのうちこそ孝一の戦闘にまるで口が出せなかった莉子であるが、隠れゲーマーだった莉子の方が孝一よりもゲーム暦は長い。
莉子もまた頼もしいサブプレイヤーとして成長しつつあった。
「気合入れていくか!」
そのまま。
恐ろしいほどの速度を誇る体裁きで竜を翻弄する孝一。
その動きは彰をして舌を巻かせるほどのものである。
「うおおおお!」
それから十分後、地竜は呻き声を上げて、その体躯を横たえていた。
「ふぅ。」
『お疲れ様。「処理」しちゃうね?』
「ああ。頼む」
『「処理」リングバリッド。「ゲイン」』
モンスターの死体から必要なアイテムを取り出す便利なスペルで、地竜は瞬く間に再構成されていく。
「出ろ出ろ出ろ出ろ」
『お願い!』
少女のアバターの中で祈る二人。
やがて収束する光の中、輝く一つのリングが残った。
「お!」
『やった!』
待ちに待った「砂印」リングが手に入った瞬間だった。
「やったじゃないか。明日は準備に回して、明後日くらいからダンジョン潜ってみろよ。
っていうか、ここまで一回も死んでいないだろ?憎たらしいよな」
「そんな言い方しないでいいでしょ」
「ははは。まぁ出来の言い弟子を持って俺は幸せだよ」
孝一と対峙してビールの入った杯を煽っているのは彰である。
今日は陽子と莉子が二人で買い物に行くというので、男二人は酒場でお留守番。
孝一には生活能力がなく、彰もそれは同様らしい。
もっとも、彰は下半身に障害を持つので、家事が出来ない言い訳くらいは立つかもしれないが。
「で?相談ってのは?」
「うぐ」
彰の飲酒にグレープフルーツジュースで付き合いながら-孝一を高校生と信じる彰は飲酒を勧めてくるが、さすがに断っている-孝一は呻いた。
相談があると持ちかけたのは実は孝一なのだ。
だが、その糸口をつかめぬまま、ついつい無駄話に興じていた。
「当ててやろうか?」
「え?」
「莉子ちゃんだろ?」
「うぐぐ」
孝一は苦虫を噛み潰したような顔で呻く。
普段はポーカーフェイスの孝一が孝も苦悶するのが楽しいらしく、性格の悪い彰は追撃の手を緩めそうにない。
「さしずめ、初めての同棲生活に困惑する純情少年ってとこかな?」
「からかわないでくださいよ」
孝一は不機嫌そうに憮然とした表情で彰を見る。
だが飄々としたこの男に、それは少しも堪えた風はない。
「どうなんだ。同棲生活ももう二週間?くらいだろ。ちゅうくらいはしたのか?」
「そ、そんなんじゃないですってば。莉子とは、その友達です」
「ほー」
「なんですか、その棒読みは」
「健全な男女が一つ屋根の下で?友達?お前、き○たまついてないんじゃないの?」
「じゃ、じゃあ、彰さんはどうなんですか?陽子さんと?」
逆襲のつもりで口に出した孝一に、当の彰はにんまりとした笑みを浮かべる。
「聞きたい?耳貸せよ」
孝一が不審に思いながらその耳を彰に寄せると、彰が何事かを呟く。
・・・・・・・・・・・・・・。
孝一はそれを聞くや否や、赤面してくちをぱくぱくと開けたり閉じたりした。
「あ、あ、あ、あんたって人は!」
「しょうないだろ?陽子だってお前、ベッドの上じゃ―――」
「いいですから!そういうのは聞きたくない!」
「なんだ、わがままな奴だな」
そう言いながらも、彰は人の悪そうな笑みを浮かべるのだった。
「はぁ」
莉子との同棲生活について―本来はそれをどう終わらせるかについて―彰に助言を求めたはずの孝一は、完全に相談する相手を間違えたということに、最後の最後になるまで気づくことができなかった。
いや、薄々は気づいていたが他に相談できる人間がいなかったのだ。
あまりの不毛さに予定よりも幾分早く帰宅してしまった。
大体中学生に向かって「とりあえず押し倒せ」とか助言でも何もないと思う。
孝一は彰に年齢を詐称したことを今日始めて後悔していた。
莉子との同棲生活をいずれ終わりにしなくてはいけないことは孝一にとっては決定事項だった。
恋人でもない二人が、いつまでも一緒に居ることはよいことではない。
孝一はそう考えながら、莉子にそれを言い出せずに居る。
「ただいま」
「え………」
「え?」
扉を開けたとき、そこにいたのはなぜか下着姿で鏡の前に立つ莉子の姿だった。
それにしても何という扇情的な下着だろう。
レースをあしらった黒のティーバックは莉子の白い肌をいやおうなく魅力的に妖しく輝かせ、大きな乳房を持ち上げるように見せ付けるブラは、その魔性の谷間を孝一に見せ付ける。
「きゃ、きゃあああああああああああああああああああああ!
ばか!変態!出てって!」
「は、はい!」
思わず扉をしめた孝一であるが、果たして今の自分が悪いのか?
そう釈然としない気持ちでしばらく居ると、扉が開いて莉子が顔を出した。
残念ながら、そのみずみずしい姿態は身体をすっぽりと覆うワンピースによって隠されてしまっていた。
「違うからね!」
何がだ。
陽子と莉子が何の為に何を買い物してきたかなど孝一には知る由もなかったのである。
幸福な時間は過ぎる。
それは幸一にとって確実に居心地のよい時間で、同時に心を磨耗させる苦痛の時間でもある。
その夜孝一は、幸福に目を細めて、静かに目を閉じた。
第六話へ続く