外伝1 ファーストインプレッション
※第四話前半と後半の間の挿話です。
ソルガル2.0 サイドストーリー1 ファースト・インプレッション
すごい。
素直にそう思ったことを孝一は覚えている。
上条孝一と言えば、都内で剣道をやっている人間でその名を知らないものは居ないほどには有名であった。
もともと道場主を祖父に持つ孝一は、天才と呼ばれた姉の指導もあり、同年代では相手になるものがいないほどの強者であった。
その孝一をして、感嘆せしめる強さを、リリスは、つまり彰は持っていたのである。
現実世界の彰は両足が不自由である。
加えて昨日リノパンサから助けられた時、リリスは遠距離スキルを使ったようだった。
だから孝一はリリスが、飛び道具を使う近接戦闘に不向きなプレイヤーだとばかり思っていたのだ。
だが、今日初めてフィールドに降り立ったリリスは、巨大な大鎌に見えるハルバードを実体化して孝一を驚かせた。
風が舞う草原で、少女の姿をしたリリスは白と黒のコントラストが艶美なメイド服を身に纏い、豊満な乳房や白いふとももを遠慮なく露出している。
おおよそ、戦闘向きの格好をしているとは言えない。
だがあれでレア度5であるというのだから、孝一はソルガルのゲームシステムに呆れるばかりだ。
ほっそりとして華奢に見える腕が握るハルバードが陽光を受けて怪しく光る。
そのリリスに向けて、草原の王者、リノパンサがぐるるとのどをならしていた。
トラの牙とサイの体格を併せ持つモンスターである。
ソルガルに来たばかりの孝一が遅れを取った、惜敗の相手でもあった。
「見てろよ、孝一くん」
にたりと、その美少女の相貌を台無しにして笑うリリスは、孝一がこれまで出会ったどんな相手と比べても何かが異質だった。
「ははっ」
歓喜の声を上げてリリスがハルバードを振り上げる。
リノパンサは咆哮を上げながら牙を剥いてそれに襲い掛かる。
牙の一撃を半歩下がってかわしたリリスは、なんとそのまま革のブーツでリノパンサの顔を蹴りつけた。
面食らったようにきゃんと吼えてあとずさるリノパンサ。
リリスはにたりと笑いながらハルバードをくるくると振り回す。
遊んでるんだな、と孝一は思った。
獣ながらも頭に来たのか、リノパンサが怒りに満ちた唸りを上げながら、そのサイの体格でリリスに突進する。
リリスはと言えば、ハルバードを滅茶苦茶な動作で振り回し、それでいて的確にリノパンサの胴体に傷をつけていた。
正直を言って、彰の戦い方には無駄が多い。
とても、剣術や武術を学んだ人間のそれではない。
踏み込みが甘いし、重心移動が稚拙だ。
攻撃の動作が単調すぎるし、隙が多い。
にも関わらず、リリスは強かった。
孝一を追い詰めたリノパンサをリリスは余裕を持って翻弄している。
それは、ただ武具の優位だけのことではない。
後日、ソルガル世界最強の噂もあるということを、孝一は酒場で耳にする。
この日のリリスの戦いを見た孝一には、それも納得であった。
強さとはなにか。
今日までの孝一にとってそれは効率的な身体の動かし方だった。
無駄なく動くものほど強い。
これは武術においては一つの真理である。
だが、世の中にはその常識が当てはまらないものもいる。
ほどなくして、迂闊にも大口を開けたまま間合いを詰めすぎたリノパンサの首が、ハルバードの一撃によって宙を舞った。
『すご………』
莉子が思わず呟くのが分かる。
「やっぱり詰まらんな。
よし、孝一くん。ダガーでいいから武器を出してみな。まずは殺すことに慣れた方がいい」
孝一に対して一通り殺戮を見せ付けた彰がそう言って笑った。
なるほど、と孝一は思った。
この人は言葉どおり、殺すことに慣れている。
それがこの人の強さの秘密か?
いや、それだけでは彰の異質の説明が付かない。
『すごいね、彰さん。上条くんもすごいと思ったけど』
頭の中で莉子の声がする。
孝一はそれに苦笑を漏らした。
莉子には孝一と彰の強さの違いを理解することはおそらく出来ないだろう。
それは孝一にとってさえ、異質としか捉えようがないものなのだから。
孝一が大型犬ほどの狼(ただし首が二つある)を何とかダガーで仕留めたとき、リリスは口笛を吹きながら感嘆の声を上げた。
孝一は肩で息をしながら、手に残る生き物を殺した嫌な感触に辟易していた。
「すごいな!絶対一回は死ぬと思ったのに」
「………彰さん、今何かエグイこと言いませんでした?」
「一回くらいは死んどいた方がいいかなとか思ってさ。
ちなみに死ぬのは滅茶苦茶気持ち悪い。
ダンジョンのボスとかで死んだことあるけど、血が出なくてもさ、やっぱ首が胴体から離れるって気持ち悪いよな」
「………遠慮しときます」
「お前次第だな。ほら孝一くん、次が来るぞ」
その言葉どおり、次の狼が襲い掛かってきた。
彰はまったく孝一をサポートしなかった。
そのせいで何度か死にそうな目にあったが、強運か地力か、孝一は辛くもアバターを光に散らすことなくリングを集めることが出来た。
ただ、アイテムの使い方や、攻略のこつなどは気前よく教えてくれた。
戦闘になれることが目的である以上、手を貸すことは孝一にとってマイナスにしかならないだろう。
いつも誰かの手助けを無意識に求めるようになってしまう。
また、彰の言うように死の恐怖を一度知っておくことも、あるいは必要なことなのかもしれない。
孝一は、放任主義の彰をだんだんと信頼するようになっていた。
一緒に戦闘フィールドに出ようと言う彰の好意は、少なくとも無責任な偽善から出たものではないように思えた。
「彰さんって俺のじいちゃんに似てます」
「切り殺すぞ、孝一くん」
誰よりも亡くなった祖父を尊敬する孝一にとっては、これ以上ないほめ言葉のつもりであったのだが。
「これくらいにしとくか。一度シーニに戻ろう」
朝から続けたサクラハ草原での実地訓練に、ついに日も暮れ始めた。
途中一度コテージで休憩はしたが、さすがにソフィの疲労が見え隠れする。
その頃には幅広剣リングを手に入れていた孝一は大分戦闘が楽になってはいたが、初めてのハンティングで精神的に消耗していた。
「ふぅ」
『お疲れ様』
莉子が頭の中で掛けてくれた慰労の言葉が癒しになる。
それから二日間、彰は飽きもせずに孝一の訓練に付き合ってくれた。
戦闘フィールドから帰れば、きまって街の酒場で一緒に食事をして、貴重な話を聞くこともあれば、ただただ無駄話に花を咲かせることもあった。
「しかし何と言うか、上手だな、孝一くんは。何かやってたの?」
「剣道をずっと」
「ああ、道理で」
その日の酒場で。
彰は孝一と莉子とでテーブルについていた。
いつもの様に、彰のパートナーである陽子は料理を物色しに行っている。
市街フィールドでは自由に動けない彰を陽子はかいがいしく世話していた。
そこに女の感情が混じっていることを、孝一は薄々感じている。
「他にも剣道やってたプレイヤーを知ってるが、あいつも強いもんな。
慣れればあっという間に俺より強くなるぜ。
いや、有望な新人を教え子に持って俺も鼻が高いよ」
「大げさですよ。それに、いつになっても彰さんに敵うかどうか」
「お、嬉しいこと言ってくれるじゃないか」
「あの、彰さん………」
「なんだ?」
そこで孝一は一度、遠慮がちに言葉を飲み込んだ。
孝一が何を躊躇することがあるのだということに、莉子は少しばかり驚いた。
「なんでそんなに強くて、このゲームはクリアされてないんですか?」
「ふむ………」
孝一の言葉に彰は頬をさすった。
そして何かを考え込むようにして、ゆっくりと時間をかけて口を開いた。
「まだ、この話は早いと思ってたんだけどな。
ピーター・パンってやつらがいる」
「ピーター・パン?あの、アニメの?」
「いやいや。そういう名前のギルドみたいなもんがあるんだよ。
童話のピーター・パンは子どもだけの国住んでる年を取らない妖精みたいなもんだろ?
大人になることを拒否してる子どもの国の王様だ。
この世界のピーターもそうさ。
この世界からでることを、つまりゲームクリアすることを拒否する集団だ」
「え?同じプレイヤーなんですよね?」
「そうだ。そいつらが最終ダンジョンを攻略しようとする奴らを攻撃してくる。
だから未だに最終ダンジョンは手付かずで、とっくに攻略されててもおかしくないこのゲームが何年も続いているんだ」
「なんで、そんな………」
莉子の呟きに彰が肩を竦める。
「さぁな。でも、こっちの世界じゃスーパーマンでも、元の世界に戻ればしがないサラリーマンだったりするだろ?そこらのギャップが耐え切れないんじゃないか」
「はぁ」
彰にしては、一般論を言うな、とそう思いながら孝一は知らず呟く。
「でも、その人たちの気持ち少し分かるかも」
「ほう」
「か、上条くん!」
莉子が非難交じりの声を上げる。
孝一は気持ちが分かるってだけだと訂正する。
「正直、元の世界はくだらないってずっと思ってた。
このままこの世界が続くって考えただけで息が詰まりそうだった。
ソルガルに来て、毎日が充実してるって感じがする。
だから、分からないでもないって、それだけだよ」
「このままこの世界を続けたいって、そう思うか?」
彰が、真っ直ぐに孝一の瞳を見つめる。
孝一はその視線を見つめ返していたが、やがて苦笑して目をそらした。
「まさか。2、3日で十分ですよ」
「そうか」
そう言って彰は笑った。
目を逸らした孝一は、そこに浮かんだ感情の揺らぎに気づくことはなかった。
「でも、孝一くんもたまには高校生らしいこというじゃないか。
そんなことちっとも感じない達観した奴かと思ってたよ」
「ははは」
今更中学生だとは言い出せそうにない。
「莉子ちゃんなんか、その巨乳がなければ中学生でも通用しそうなのにな」
「あはは」
以下同文。
「あんたはまた、何セクハラ染みたこと言ってるの?
莉子ちゃんが困っちゃうでしょ?」
そう言って両手に料理を持って陽子がテーブルに帰ってきた。
「さ、食べて。今日も疲れたでしょ。私が奢ってあげる」
「ずいぶん気前がいいな、陽子」
「だって、孝一くん素直でかわいいじゃない。サービスしてあげたくもなるわ」
「す、素直?」
「かわいい?」
莉子と彰が同時に疑問符を上げる。
「………なんだよ?」
「いや?」
不満そうにむすりとする孝一に曖昧な笑いを返す莉子。
酒場が笑い声で包まれる。
幸福な時間。
そう、それは孝一にとって本当につかの間の幸福な時間だった。
すべてが色あせて感じられたこの時期の孝一にとって、それは得がたい貴重な時間であったのだ。
この人に認められたい。
孝一は彰に対して次第に憧憬にも似た感情を覚えるようになる。
「そうだ。お前ら明日二人だけでサクラハ草原な。リノパンサ倒すまで戻って来なくていいから」
「は?」
この無茶振りだけは、どうにも慣れそうにないな、と思いながらも。
酒場の喧騒が心地よい。
素直に食事を楽しむ若い二人は、まさか次の日に噂に聞いたピーター・パンに襲われるなどとは夢にも思っていなかった。
第四話後半へ続く




