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「ここが………」
薄布を器用に巻きつけて、その豊満な肉体を隠すアヌビスが、呆けたように呟いた。
この場所こそが「深遠なる王国」。
解放軍が、いや本来すべてのソルガルプレイヤーが目指すべき最終地点。
ピーターに阻まれ、未だかつて一度も足を踏み入れることが叶わなかったダンジョンに、奇しくも四人の精鋭が入り込むことに成功していた。
「残念ながら、今回の作戦は失敗だ」
金髪の美女、キースの発言にアヌビスが項垂れる。
未だかつてない大規模の戦力を編成し、策を練り、入念に備え、万全の状態で臨んだはずだった。
それがまさか、あのような裏切りに遭おうとは。
「すまないキース。君の忠告に従っていれば………」
「いいさ。俺があんたでもあいつの戦力は欲しかったよ」
その言葉はしかし、いささかも天女の慰めになったようには見えなかった。
キースはひょいと肩をすくめる。
「それで、どうする?」
「どう……とは?」
ぼろぼろの黄金鎧を纏った半裸の幼い少女、つまり黄金ざくろマスターテオがキースに問い返す。
「戻るか、それとも進むかってことだ」
キースの言葉に驚愕する二人。
「………進む、だと?」
「そうだ」
「出来るはずがないっ。
今こうしている間にも、私を信じて立ち上がってくれた戦士達が戦っているんだぞ。
それを置いて、のうのうと先に進めるはずが………」
「じゃあ戻るのか?勝ち目のない戦場へ?
そして負けて、帰って、そのとき本当に俺達はもう一度やり直せるのか?
またあんたについて行こうって、三百人のプレイヤーが思うのか?」
「それはっ…」
キースの言葉にアヌビスは口を噤まざるを得ない。
実際問題、今回の戦いに敗れたとしてアヌビスがもう一度挙兵できる可能性はいちぢるしく低いと言わざるを得ない。
よしんば可能であったとしても、戦意を上げるためには何らかの決定打が必要なはずだ。
今回はあまりにも不確定要素が多すぎた。
見たこともないリング。
戦ったことのない強敵。
そしてリリスの裏切り。
だがそれを差し引いても、アヌビスの指揮上の責任を問われることは議論を待たない。
最悪の場合、希望を失ったプレイヤー達がピーターに転向する可能性すらないとは言い切れない。
今を逃せば、開放側の人員がラストダンジョンに潜り込める機会など二度とないかもしれないのである。
これは逆に考えれば千載一遇のチャンスであった。
ピーターの幹部陣は万が一にも解放軍が彼らを突破しない様に前線で指揮をとる必要があるだろうし、開放軍も、おいそれと瓦解しはしまい。
わずかかも知れないが、この四人には時間が与えられたのだ。
その時間をどう使うか。
冷静になったアヌビスは、答えが一つしかありえないことに気づいて嘆息した。
「………進もう」
「アヌビス」
「テオ。あなたのギルドメンバーには本当に申し訳ないが、彼らが盾となってくれている間に、このダンジョンを突破しよう。
ゲームをクリアするんだ。
私達だけで」
アヌビスの言葉に、テオも頷くしかない。
二人の少女がその瞳に新たな意思の炎を宿したのをみて、キースはソフィに視線を移した。
「………やれそうか?」
キースの言葉に、放心していたソフィがはっと視線を戻した。
「戦えるのか?」
「………はい」
そうか、そう言ってキースは少女達に向かい合う。
たった四人のラストダンジョン攻略が、こうして幕を上げた。
「アヌビス、そっち行ったぞ」
「任せておけ!」
十メートルはあろうかという巨体を誇る悪魔族の王アクロタイテイに対して、緑の髪の天女アヌビスはスペルの熱線を浴びせかける。
並みのモンスターなら一撃で蒸発するその一撃を受けて、しかしアクロタイテイは怒りに満ちた咆哮をあげるのみだ。
「なんて奴だ」
「効いてはいるんだがな」
アヌビスの驚愕にキースが舌打ちした。
ワンダリングモンスターですら相当のレベルを誇るこのダンジョンで、どうやらアクロタイテイは固定モンスター、いわゆるボスキャラ、それも中ボスであると思われる。
「はぁっ」
ぼろぼろになった黄金鎧の変わりに、漆黒のボディスーツを身に纏ったテオは、その幼児と見紛う未成熟な身体でありながら、身の丈ほどもある大剣で悪魔の王に切りかかる。
やはり咆哮を上げるアクロタイテイ。
だがその声に、命にかかわる切迫さはやはり感じられない。
「踏み込み足りないかっ」
恐ろしい巨体に凶悪な形相を持つ悪魔族の王は、出鱈目な攻撃力を有しており、さしものギルマスも決定打になるような一撃を撃てないでいた。
そして。
ソフィは悪魔にきりかかるも、その恐るべきスピードの前に近づけもしない。
明らかに制裁を欠いた動きであった。
常のソフィなら、この尋常ならざる敵に対しても臆することなくその懐に飛び込んで行っただろうが。
「くそっ」
キースの悪態が、洞窟内にむなしく響いた。
結局アクロタイテイに決定打を与えられないままずるずると時間が経ち、徐々に蓄積されたダメージによって、魔族の王は二時間もしてからやっと消滅した。
ドロップしたリングは、とどめをさしたキースが貰い受ける。
「『逆転』リング?なんだこりゃ?」
キースが首を傾げていると、一同に目の前に一つの扉が出現した。
それは重々しい雰囲気をたたえた鋼鉄の扉で、一同を歓迎しているようにも拒んでいるようにも見える。
その時、四人のシステムウィンドゥが開き、メッセージが表示された。
「第一の扉 離散の門
『深遠なる王国』においては、四人が一つのユニットを構成し、協力して攻略に臨まなくてはいけません。
全部で四つある試練の門を越えて、王国の奥に鎮座する最後の敵に挑んでください。」
ここにきて、なぜピーターがああも執拗にプレイヤーをダンジョン内にいれたがらなかったが、一同すべてに分かった。
ラストダンジョンは、攻略に参加人数制限があるのだ。
当然といえば当然と言える。
数を頼めば容易に攻略できるようではラストダンジョンとは言えない。
これは四人にとてはかなり幸運なことである。
門の攻略を続けている以上、四人が他プレイヤーと接触することは絶対にありえないからだ。
ラスボスのいる場所に待ち構えている可能性はあるが、それでもこれは大いに有難い設定だ。
キースとアヌビス、そしてテオは思わず顔を見合わせて安堵の表情を浮かべた。
「とりあえず、門を開けよう。今この瞬間に追いつかれたら笑話にもならない」
アヌビスのいうことはもっともであったので、四人はいそいそと扉を開き、そして、次の瞬間にはその視界が白い光に遮られた。
それは市街フィールドから戦闘フィールドへ出るときの、転移門の光に似ていた。
というよりもそれそのものだ。
「転移か」
誰かがそう呟いたのが聞こえた。
吹雪だった。
まるで視界が利かない大吹雪の中に突然放り込まれたソフィは、あまりの寒さにその装備を防寒具に変更する。
厚い毛皮のコートのようなその防具は、氷のダンジョンで使用したものであるが、莉子は何はともあれそれを有効化した。
『ぜんぜん何も見えないっ。
孝一くんは?何か見える?』
「だめだ。酷い吹雪だ」
その時、遥か遠方で赤い光がそれに向かって放たれるのが一瞬だけ見えた。
「アヌビスか!」
どうやら他の三人に位置を知らせるべく、アヌビスが熱線を放ったらしい。
だがその場所までの距離感すらまったくつかめない。
『とりあえず、一回テント張ろう。
吹雪がやまないとどうしようもないよ』
「………え?」
『テントよ、テント。
吹雪が止んでから、光の方へ行こう』
「テント、張らないとだめかな」
『何言ってるの。孝一くん?』
「いや、なんでもない」
ポーチ、と短く唱えた孝一はアイテム欄からコテージを有効化させ、雪原の上にそれを設置した。
そして躊躇いがちに、入り口の転移門をくぐったのだった。
少年と少女は、クレセントガールの肉体から、もとの中学生の身体に戻る。
「はぁ。中は快適ね。くす。なんだか、おかしい」
「ん?」
「こうやって、孝一くんの顔見るの、すごい久しぶりの気がするから」
「………うん」
「何か、作るね。お腹すいちゃった」
火を焚いて、簡単なスープを作る莉子。
腹の中から身体を温めながら、二人は無言でスープをすすった。
「………おいしい」
孝一が呟いたのを聞いて、莉子はそっと微笑んだ。
孝一は開いた皿とスプーンを床に置き、そして莉子に居直ってからばつが悪そうに切り出した。
「ごめんな」
「何が?」
莉子が怪訝そうに眉をひそめる。
孝一は苦しそうに言葉をつむぐ。
「気持ち悪いだろ?正直。あんなこと、聞いたらさ」
「そんなこと、ないよ」
莉子の言葉は優しさを含んだ声音だったが、それがかえって孝一を追い込む。
孝一は一度目を瞑り、一層苦しげな表情をしたかと思うと、やがて諦めたように目を開いた。
「俺、姉ちゃんと寝てたんだ。
一年くらい。
寝るって、莉子はわかる?」
莉子は返事が出来ない。
その顔に、すっと赤みがさした。
反対に孝一は青白い死人のような表情をしていた。
「セックスのことだ。
半分だって、姉弟なのにな。
………姉ちゃんは病気だったんだ。
家族の中では俺しか気づいてなかったけど。
昔すごいつらいことがあって、心が二つに割れちゃったんだって言ってた。
昼間の姉ちゃんは、何も知らないみたいに姉弟として俺に接してきた。
夜の姉ちゃんは、まるで恋人みたいに俺の部屋に来て身体を触った。
いけないって思ってた。
それは初めから思ってたんだ。
でも、やめれなくて、ずるずる続けて、それで俺は耐え切れなくなってある日姉ちゃんにいったんだ。
『もうやめよう』って。
そして。そして」
そこで、孝一はぱくぱくと口を動かした。
それは酸欠状態の水の中で空気を求めて浮上する魚のようだった。
孝一はようやく話すべき言葉を拾い上げると、搾り出すようにやっと言葉を発した。
「姉ちゃんはいなくなった」
呆然と、孝一は言った。
姉がいなくなると、父親は真っ先にその本当の父親のところにいったのではないかと疑った。
そのことで母親と口論になり、姉が結局どこにもいないことが分かると、二人は一層険悪になり、最後には離婚してしまった。
孝一にとっては苦しい日々であり、それは両親のいさかいの為でもあったが、まず間違いなく自分が原因で姉が失踪したと知っている孝一の心の負担は途轍もないものだった。
だがそれを話せば芋づる式に、姉とのみだらな関係がしれることになる。
孝一はそれを誰にも言えず、ずっとその心に閉じ込めて生きてきた。
それは必然的に彼の心を鎧わせることになり、世界は色彩を失くし、くだらない惰性になった。
孝一は大人びた達観した性格になり、それが一層彼から人を遠ざけた。
彼自身、誰かと親しくなる資格などないと思っていた。
もしそれが変わるとしたら、それは姉が見つかったときだろうと、漠然とそう考えていた。
そして、姉はソルガルで、確かに見つかったのだ。
だが。
「あれは、夜の姉ちゃんだった」
孝一は苦しそうに言う。
どうして孝一がこれほどまでに苦しそうなのか、莉子にはその理由が分かっていた。
分かっていないのは、孝一だけだ。
莉子は数瞬何事かを考え、やがて意を決してすっと立ち上がった。
苦しそうに座る孝一の隣にちょこんと腰かけてから膝立ちして、その豊かな胸に孝一の頭をそっと抱いてから言った。
孝一の身体がこわばったが、莉子はそんなこと気づきもしないというようにふるまった。
「………泣いて、いいんだよ」
沈黙があった。
それは躊躇いの沈黙だった。
だが、一度決壊した堤防はやすやすとあふれ始め、孝一はわけも分からず心の中から湧き出してくる涙を止められない自分に戸惑った。
そしてその時、ようやく気がついたのである。
彼がずっと泣きたかったのだということに。
「あ……あぁ……………あぁ、あぁぁぁっ………」
涙が莉子の胸を濡らした。
孝一は莉子の身体にしがみついて、その身体を思い切り抱きしめた。
だがそれに反して、ばらばらになりそうなのはむしろ孝一の身体の方だった。
「あぁぁぁっ、あぁぁぁぁぁぁ」
「大丈夫。私が、そばにいるから」
「あ、あぁぁぁっぁぁ」
孝一にすら、涙の意味は分からなかった。
それは安堵だったのか。
苦悩だったのか。
それとも暗い喜びだったのか。
ありとあらゆる感情が、坩堝のように混ざり合っているのかもしれなかった。
莉子はそっと慎重に、軽い羽根で出来た細工物に触れるように、その愛らしい唇を孝一の唇に重ねた。
莉子にとって初めてのキスは、いとしい人の涙の味がしたのだ。




