3 油断しているところにいきなり来ちゃダメでしょう
本文中に現代日本人女性を不快にさせる表現が多用されています。読むのは自己責任でお願いします。
「定休日は、無視しないでください」
「1日でも会えないのは、寂しいのです」
「友達はそんなこと言いませんから」
わざわざ定休日に、2階の自宅のインターフォンを鳴らしてまで会いに来たヒューバートさんに、友人の定義を説く、夜の8時。
ご飯も食べ終わって、お風呂にも入って、寛ぎまくった1日のしめに、ずっと見たかった映画のDVDを見ようとしていたところだったのにっ!
どうしてくれようかこの男、と握り拳を固めたところでなにやら漂う不穏な空気。
「ルームウェアがとても…可愛いですね、都さん」
「不埒な目で見ないでください!」
ほんのり目元を赤く染めた人物から、思わず体を隠すよう後ろを向いたのだけど、よく考えたら筒型フリースの足元まであるワンピースは、大慌てで隠さなきゃいけないようなもではない。上にカーディガンも引っ掛けてるし、ちょっと恥ずかしくはあるけれど、このままコンビニに行っても何ら困ることはない服装じゃないの。
それを、なんて意味深に褒めるんだか!
「あの、ふらち、とはどういった意味でしょうか?日本語が不勉強で申し訳ないのですが、わかりません」
「それだけ話せたら十分です。不埒はあまりよろしくない意味なので、ここでは割愛します。どうか自分で調べてください」
「かつあい…?ええっと、この意味…」
「知らなくても大丈夫です!日本で生きていくのに、支障は全くありません」
ああ、面倒くさい…やっぱ無理、異文化コミュニケーション。
ここ数日ですっかりお馴染となったフレーズを心の中で噛みしめながら、ともかくどうやって彼を追い払おうかと、わたしは必死である。
お友達になりましょうとは言ったけれど、それは休日に急襲してくれと同意義ではない。情熱と根性は認めるが、これじゃあストーカー街道まっしぐらだから!
「お願いだから連絡なく夜に来るのはやめてください。恋人同士だって、電話かメールしてから訪ねるもんですよ?」
と、常識を説いたら、
「どちらも知りません」
と、返された。
そして、
「教えてもらえれば、次からはきちんと連絡します」
などと殊勝なことを言うもんだから、うっかり
「わかりました。それじゃあ、携帯と…って教えません!!」
騙されたりなんかするわけないでしょうが。物語の中だけに存在するんですよ、うっかりな天然女は!現実でそんなものに出会ったら、9割方計算です。絶体絶命天然少女です!
ああ、苦しい。1人ノリツッコミって、どうよ?!休日の最後で無駄な精神力使うって、どうなのよ?!
諸々のダメージで俯いているところに、
「ちっ」
なんか聞こえたーっ!横向いてこっそりとだったけど、舌打ちしたでしょ、今!!聞こえたし、ばっちりと!
これまで被ってたへたれ外人の仮面の下から、微妙に覗いた巧妙な男の顔に、当然不信感を抱いたタイミングで、ヒューバートさんはニヤリと笑う。
「都さんは、押しに弱くて流されやすい人だと思っていたのですが、知り合ってみると随分印象が違いますね?」
「激しく同意します。ヲタ語っぽく表現するならハゲドウですね。わたしもついさっきまで、あなたは紳士の国からやってきたジェントルマンだと勘違いしてました」
お互い、勝手に作り出していた相手の姿に、たった今、相違を発見したらしい。
これはうまく利用できないだろうかと、外国人に臆病なわたしが囁く。いや、もう既に、事は成っているんじゃないのかと、狡猾なわたしも言っている。
そこで未だ変えるつもりのない英国似非紳士を観察してみると、何故だか彼は非常に楽しそうなのである。
「始めは都さんの笑顔に惹かれたんです。偶然見つけた紅茶専門店で、期待していなかった分おいしさに感動して、あなたを褒めると恥ずかしそうに笑ってくれたところに」
唐突に『好きになった理由』を語り始めたヒューバートさんに、思わず眉根を寄せてしまうが、そう言えばどこが好きなのか聞いていなかった事実に今更気づいて、拝聴してみることとする。
「日本人を褒めると必ず謙遜が返ってくると、覚えておくといいですよ。8割方の方が使われる伝統芸です」
勿論、度々ツッコミは入れさせて頂きますが。
でもあんなに愉快そうな様子を見ると、黙ってようかなぁと思うよ、思う。
さて、難しい選択ね。
「手軽に美味しいお茶が飲みたくて、ほとんど毎日通いました。1人なのでカウンターが最適で、そこに座ってあなたと色々なお話をすると、日本語が上達したので大変助かりました」
「人をスピード○ーニングやロゼッタ○トーン代わりにしてたんですか、無礼者ですね」
あの質問攻めは、ただ質疑応答の練習だったわけか!こんなことなら馬鹿正直に答えずに、適当に嘘をついておけばよかった!
悔しさに歯ぎしりする勢いのわたしを見るの、そんなに楽しい?!…そう、楽しいのか。はぁ。
「忙しそうな時に話しかけても、嫌な顔をしないで相手をしてくれましたね?いつでも笑顔で、とても優しくしてくれた。さすが日本の女性は奥ゆかしいと、感動しました」
「あれは営業仕様です。通常はこんなものです。日本女性に関しては、論より証拠。週末に是非、渋谷へどうぞ。おすすめは夜です。深夜なら尚結構」
未来の女性候補達が素敵な格好と言動で、見目麗しい外国人を歓迎してくれること請け合いだから。わたしも人のこと言えないけどね、口悪いし。
でも、日本の奥ゆかしい女性は、すでにレッドデータです。ほぼ皆無です。捜したいなら80過ぎのご婦人に当たることをお勧めします。
幻想は所詮幻想だと、冷たい視線を送ると皮肉に口元を歪めた彼は知っていますとか呟きましたよ。行った?もう既に?ああ、そう。それはショックでしたね~。
お気の毒なヒューバートさんは、夢を捨てきれずにその後も奥ゆかしい日本女性とやらを探し続けたのか、新宿にも六本木にも銀座にも、そんな女性達はいなかったというんですが、詳しく聞いてみればいずれも接待で夕方から深夜近くまでその辺を徘徊していたそうで。
お仕事している女性に、一体あなたは何を求めてんだって話しですよ。あの方達は、若く美しい容姿や、場所によっては頭の回転の良さと素晴らしい話術を売っているんですよ?
黙ってにこにこ笑っていて、決して男性を蔑ろにしない、程度の女性が就けるお仕事じゃないんです。難しいんです、ああいう仕事は!プロなんです、皆さんは!
なんてずれてるんだ、この人は…ベリーディフィカルト、異文化コミュニケーション!!
「とにかく、私は都さんを好きになりました。初めは素敵な日本人女性として、けれどあの日からただ女性として」
「あの日って、いつですか。これはマンガやドラマじゃないんで、勝手に背後で過去の回想が始まったり、モノローグがわたしまで聞こえたりしないんですよ?」
「…わかっています。説明するので、待って下さい。あれは………」
で、個人的感情が暴走して大いに脱線、長期化した話しをかいつまむとこうだ。
店で常連さんを、ふらりと立ち寄った感じの会社員の男が口説こうとしたことがあった。彼女はとても大人しい女性でたまにわたしとお喋りすのでさえ、やっとって感じだった。
当然しつこいその男も困惑するだけできっぱり追い払うことができない。そこで店主の責任として、店内でそのような行為に及ぶのはおやめ下さいと、やんわりお願いしたのだけれど。
奴め、いきなりキレたのだ。
客に対してふざけるなとか、余計な口を挟むなとか。
きっと、ストレス溜まってたのよね。現代社会人の慢性病みたいなものだもん。気の毒に…なんて思うわけないでしょ。静かを売りにしている店で騒がれちゃ営業妨害もいいところ。ついでにか弱い女性に当たる馬鹿な男なんて、許せるはずがない。
そんなわけで、お代は結構ですのでお帰り下さいと挑発したら、見事に乗っかった男は勢いでカップを床に叩きつけたのだ。
ジノリのカップを。
千円足らずの代金を踏み倒されても痛くはないが、ジノリのカップはまずい。
もちろん弁償をお願いしましたとも。できなきゃ警察に突き出すって言いましたよ。
男は5万以上の値段にそんなにするかと食って掛かり、結局警察に連行されていきましたけどね。
え?費用?当然正当な価格だと評価され、返して頂きました。アンティークじゃなかっただけ、よしとして欲しいもんだっての。陶磁器のアンティークなんて、ちょっとした車が買えちゃうお値段のものがごろごろあるんだから。うちのお店にはないけどね。
「あの対応に恋をしました。にこやかに、怒鳴りもしないで女性を守り、大の男も撃退した都さんに」
「草食男子ですか、あなたは。それより、その段階で見つかってるじゃないですか大和撫子!」
「え?}
「ほら、あのお客さん!あの方こそ、絶滅したと思われていた古き良き日本女性です!」
ああ、あんな身近にいたのに…っ!
こんな事になると知っていれば、意地でも2人をくっつけてわたしの平和をキープしたのにと嘆けば、ヒューバートさんはきっぱり首を振るのだ。
「いいえ。都さんがいいです。あなたの意外な性格に、また恋しました!」
「しなくていいから!!」
結局、寒空の下、へんてこりんな外国人は1時間も長話をして帰って行った。
最後まで部屋に入れてくれないのかとごねていたけれど、全力でお断りしたことは言うまでもないよね。
どんどん、都が暴れん坊になっていく…。
因みに、セーブルやマイセンのアンティークは凶悪なお値段が致します。
クラッシャーなわたしには、幽霊や警察より怖いものです。




