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2 無理を通して道理を引っ込めようとするのはどうだろう

「ありがとうございました」


 ああ、もうすぐ閉店時間だ。

 最後のお客さんを見送りながら、ガランとした店内に安堵の息をつく。

 怒涛のバレンタインデーから一夜明け、わたしの小さなお店は普段の静寂を取り戻していた。

 今日は昨日来られなかったと苦笑いを零す常連さんにビスケットをサービスしながらいつものようにたわいない会話を交わしたり、沈黙を好むお客さんにゆったりとした午後を提供したり、いつもどおりの『アドーア』がもうすぐ、終わる。


「こんばんは」


…と、思っていたのに。

 小さなドアには大きすぎる体を丸めて、ひょっこり顔を覗かせた金髪緑目の外国人は、あと数分で閉店する店にさっさと入ってくると、定位置になっているカウンター席にちゃっかりおさまってしまった。

 当然苦々しく思いながら、けれどそれを顔には出さない営業スマイルで、やんわりわたしは時計を指した。


「あと1分で閉店なんですけど?」

「はい、知っています。だから来ました」


 にっこりって…あ、デジャヴ。確か昨日も似たよなやり取りがあった気がするんだけど。そんでこの状態になっちゃうと、用件を済ますまで帰らないのよね、この人。

 ため息をつきつつ、やっぱり昨日と同じように看板を仕舞にわたしは外に出た。



 そして。


「落ち着きましょうっヒューバートさん!」

「十分落ち着いていますよ」


 店内に戻ったところで、なぜ捕獲されているのでしょう?

 看板おいて振り返ったら大きな胸が見えて、そのまま抱きしめられている現状って、なに?!

 必死に腕を突っ張りながら、誰かこの人どっかにやってーっ!と願うわたしは間違っていないよね?!


「友達でしょ?!」

「はい。ですからこんばんはのハグと、キスです」


 意味わかんないし!と、叫ぶまもなく頬が触れ、耳元でリップ音だけが響いた。

…これ、唇は触ってないよね?ほっぺにはほっぺしか当たってない。で、音だけはキスしたみたいに出してる、ってこと?

 理解している間に離れていったヒューバートさんは、全く悪気なく微笑むと軽く背中に手を添えて、カウンター席までわたしをエスコートしていくのだ。


「友達なのに、ハグとキス、ですか?」

「友達だから、ハグとキス、ですよ。もちろん家族にも恋人にも、家から出るとき、戻った時、時間をおいて会った時、いつでもハグとキスです」

「………」


 これだから異文化コミュニケーションは取れないわけですよ。

 日本じゃ言葉でこと足りるのに、どうしていちいち抱きついてキスのマネしなきゃならないの?しかも家族から友人までって、めちゃめちゃ範囲広いですね!ええ、今はアメリカドラマも一般家庭に普及してますから、この手の行動を知らないわけじゃないです。ないけど、自分がこれをやられる羽目に陥るなんて、だれが想像する?しないでしょ。


 第一、ここは日本だし!!


 と、声にしたかったが我慢した。

 どう説明したって文化の違いなんて簡単にすり合せの利くものじゃない。これ以上、神経をすり減らすのはごめんだ。

 そんなわけで、スツールに座るヒューバートさんをそのままに、紅茶を入れるべくカウンターに入ろうとしたのだけれど。


「どこに行かれるのですか?」


 引き留められました。

 別に腕をとられてとかじゃないので物理的接触はないけれど、なにやらこちらを見る目が子犬化していて、むしろ見捨てるのが憚られるじゃない。


「えーっと、お茶を淹れにですね…」

「必要ありません。ここにいて、お話してください」

「はあ…」


 縋るように言われても、困るんですが。だいたいあなた、ここに通っている間にかなりわたしの情報、引き出しませんでした?もう話題、ほとんどないんだけど。

 それでもこれ以上の面倒はごめんだと、もう一度同じ場所に座ったわたしに微笑んで、ヒューバートさんはどうやら用意してきていたらしい質問を始めた。


「お付き合いされるなら、どのような方がいいですか?」


 おっと。確かにこの手の話をするのは初めてだ。微妙なラインには触らないように避けてましたからねぇ。


「日本人であることが大前提で、次に誠実であること、更に同じ生活水準であること、ですかね」


 馬鹿正直に答えたのは、お祖母ちゃんの過去の恋愛から導き出したわたしなりの恋愛観である。

 内容にしゅんとしてしまったヒューバートさんには悪いけれど、嘘を答えてはもっと失礼だろうと、本当のこと言ったんだから、許されると思うんだよね。

 

「誠実であることは自信がありますが、人種は変えられませんし、生活、水準?は具体的にどんなことをいうのでしょう。よくわかりません」

「ん~…そうですねぇ。例えばわたしは日本のごく一般的な家庭に生まれたごく一般的な娘です。父親はサラリーマンで、勤めているのは大企業ではなく中堅会社。母はパートに出ていて、兄は独身の実家暮らしのため、お家に月々、アパートの家賃には及ばない程度のお金を入れてくれています。余裕のある暮らしではありませんが、生きていくのに不自由することもない程度の収入がある、といえばわかりますか?」

「はい。では、人種以外は大丈夫ということですね」

「いやいやいや、ダメでしょう。ダメです」


 そんな嬉しそうに何をさらっと言うかな、この人は。

 慌てて否定しながら意味がわからないと首を傾げるヒューバートさんに、しらばっくれるんじゃないと胸の内でツッコミを入れる。

 いつだったか教えてくれた勤め先は、某大国の某大企業だったと思いますが?そんな見え透いた嘘つくと、お友達にすらなれませんよ?

 目を眇めてそれを無言で咎めると、彼は困惑顔で更に首を傾げた。


「私の父は公務員です。それも小さな街の、ね。母は働いていませんが、財産と言えるものは小さな家と車、代々オルドリッジ家の長男の妻に受け継がれる指輪だけです。弟がいますがとっくに独立して父と同じ公務員になっている。都さんのお家とあまり変わらないと思いますが?」

「………ですね」


 どうも早とちりをしたらしい。きちんと聞いてみれば確かに、生活水準としては我が家と大差ない。

 うっかりお家の方が全部、ヒューバートさん並みの会社にお勤めな一家かと思ってしまいました。

 そうか、盲点だったなぁ。結構普通のお家の出身だったんだ。


「ごめんなさい。勘違いしていました」


 素直に頭を下げると、なんとも邪気のない微笑みで彼は直ぐに許してくれるから、なにやら更に申し訳なくなってくる。

 必死でヒューバートさんと自分がお付き合いできない理由を捜している疚しさから。

 お祖母ちゃんのように深みにはまってから、別れなきゃならない辛さを、わたしは恐れている。

 どれほど彼が好きだと言ってくれても、イギリスに帰った途端、いらない恋になるんじゃないかと怯えている。


「では、残る問題は私の人種と、国籍だけですね?」

「いえ、そこが1番問題です」


 頑張りますと胸を張った彼に、思わず激しい頭痛を覚えた。

 他の項目は努力でどうにかなっても生まれつきなその辺は自力で何とかできないでしょうに。どうするつもりなんだ、この人。

 どこまでも能天気にニコニコ笑うヒューバートさんに、胡乱な目を向けると大丈夫だと請け合うから余計不安になる。


「日本にはたくさん整形手術ができる病院があります。国籍は都さんと結婚してしまえば、日本人になれます」

「ダメでしょ、そんなことしちゃ」


 即刻、却下しましたとも。

 当然、ごねる彼にご帰宅も願いましたよ。

 やっぱり難しいと思うのです、異文化コミュニケーション…。


 



だんだん、コメディ化してきました(ニヤリ)。

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