1 始まりは、外国の催し物
バレンタインデーに遅刻しました。
タイトルに偽りありで申し訳ない。
彼氏のいない女には、イベントってものはご縁のないもので。
その上、会社勤めをしていない自営業で、従業員はゼロ、わたしがオーナーで店長で店員なちっこい喫茶店のカウンターの中にいれば、お客さん達がどんなに盛り上がっていても、無関係です。
多少カラフルに見えるかも知れない空気が漂っていたとしても、個人的には日常です。通常営業中です。
「いいわねぇ…幸せって」
さっきまで小さなテーブル席で告白と承諾をしていた2人を送り出して、思わず漏れたのは溜息。
平日のせいで会社が終わる頃からぽつぽつ増え始めたお客さんは、大抵が男女の待ち合わせだった。
テープルとカウンターを合わせても20人そこそこしか入れない小さな紅茶専門店としては、異例の男女比率である。
いつもは女性のご来店が圧倒的で、それも昼はともかく夜になると、お一人様がやたらめったら増えるのだ。
読書をしながらあまり名の知れていない紅茶を楽しむとか、ご要望があって始めたハーブティで仕事の疲れを癒やしていかれるとか、そんな感じ。
親しくなった常連さんに我が店に寄って頂ける意義をお聞きしたら、自分ご褒美とストレス発散って言ってたんで間違いないだろう。
ところが、イベントがあるとこの比率が狂うのだ。
クリスマスやバレンタインが、これに当たる。リラックスしたいお一人様を押しのけて、交際の申し込みをしたかったり、お付き合い何周年かを祝いたかったり、プロポーズしたかったりな方々で小さなお店に幸せな空気が充満する。
理由はどうやらイギリス大好きだったお祖母ちゃんが残したこの店内にあるらしい。
木造で甘すぎないクラシカルな家具や装飾品、1つとして同じもののない有名どころのブランドロゴが入ったティーカップ。
お値段が少々張るものの、お手軽なコーヒースタンドなんかにはない特別感があるみたいで、更には表通りじゃなく裏通りにこっそりひっそりある隠れ家的な雰囲気がロマンティックな演出にぴったりなんだとか。
お店継いだ時、早々に店内リニューアルしとけばよかった…いや、それじゃあお客さんが逃げちゃうか…。
そんなわけでイベントの度に羨ましい光景を見せられ続けて、早4年。
女子校卒業してから直ぐにここで働いているわたしは、年齢イコール彼氏いない歴の、出会いが欲しい22才です。友達が誘ってくれる合コンにも、営業時間が合わなくて出席できません。どうか憐れんでやって下さい。
などと不毛な事を考えていても何が変わるわけでもない。
見上げた時計は9時を指し、そろそろ地獄のバレンタインデーともお別れできる閉店時刻だ。
人のいなくなった店内を確認して、いそいそ看板を仕舞いに外に出ようとしたわたしは、木製のドアを勢いよく開けて入ってきた人物に見事に激突した。
ふんわり香るミントには、覚えがある。確かここ最近2日と開けずに通ってくる…
「ヒューバートさん」
20センチ以上うえにある筈の顔を見上げると、ハニーブロンドに緑の目をした外国人さん(しかも腹立つほど
イケメン)が、にこりとこちらを見下ろしていた。
「もう、終わりですか?」
「ええ、閉店時間ですので…」
「そうですか」
ほとんど訛りを感じさせない(再び腹立つほど)流暢な日本語で問いかけてきた彼は、閉店だと言っているのに嬉しそうに笑う。
非常に日本語堪能そうだったのに、もしかして『閉店』の意味がわかんないとか?
それを説明するのは面倒だ、と思いつつ酷く残念そうな顔を作ったわたしはヒューバートさんに、お店はこれから閉めるのだとかみ砕いて教えてやった、のに。
「はい、わかっています。丁度よかったですね」
極上の笑顔で仰いましたよ。何のどの辺が丁度よかったんだか、さっぱりわかんないんですけど?!
だーかーらーと再び口を開こうとしたわたしをそっと押しのけ、止める暇もなく店内に入り込んだ彼は、最近お気に入りにしていたカウンター中央に勝手に座り込んでしまった。
どうすんの、これ?!
腹立たしやら邪魔くさいやら、いろいろ、そりゃあいろいろ思うところはありました、ありましたが、これ以上お客さんに入ってこられたんじゃ時間外営業になっちゃうんで取り敢えず看板だけ取り込んで、わたしは店内に戻った。
残ったのは文字通り招かれざる客な人物なんだけど、さてどうしたものか。
何が嬉しいのか、大ぶりの紙袋を隣のスツールに乗せたヒューバートさんは、既にコートを脱いで寛ぎの体勢に入っている。
…あれ、チョコレートだよね?山盛りの多分本気チョコだよね?それを持って閉店している喫茶店に無理矢理押し入るって、どういう了見?まさか嫌がらせ?!嫌がらせなのね!!
被害妄想たっぷりで有名ブランドのロゴが入った紙袋を睨み付けたわたしは、やれやれとカウンターに入った。
あの調子じゃ、いつものように会社であったちょっと面白いことを話しながら、お気に入りのオレンジペコでも飲まなきゃ帰ってくれそうもない。
今日みたいに精神的ダメージが強い日は、さっさと2階で寝ちゃいたいんだけどなぁ…。
住居になってる頭上の、スプリングがいい具合のベッドに思いを馳せながら、わたしは仕方なしにお仕事モードに入ると、笑顔でヒューバートさんに定番注文でいいのか確認をとる。
だがしかし。返答は全く予想に反していた、というかある意味予想通りだった。
「いえ、お茶を飲みに来たのではないんです。今日は都さんに渡したいものが「いりません」
ええ、ばっちりはっきり話の腰をブチ折って差し上げましたとも。見事な作り笑いでばっさりです。
憐れ、彼の手には小さな赤バラのブーケと、正方形のチョコとおぼしき包みが握られている。紙袋とは反対の手にずっと握られていた代物だ。
当然気付いていましたよ?無理に押し入ってきた辺りでわかっていました。あえて無視してましたけど。
容赦ないわたしの物言いに、しゅんと小さくなってしまったヒューバーとさんはとっても可哀想だ。どっからどう見ても、こっちが加害者であっちが被害者に見える。
でもね、ここしばらく不穏な空気を醸していた彼です。用心しないのはおばかさんのやること。外国の、しかも女の子ならキャーキャー言っちゃいそうな容姿持ちが、なんでわたしみたいな平凡な人間を好きになるのよ、とか己を卑下して状況判断を誤るのもマンガの中でしかない出来事なんです。
いくら男性経験がなくてもね、いくら自惚れをよしとしない民族でもね、通ってくる度に意味ありげに見つめられて、何杯もお茶をおかわりしながら2時間近く粘られて、その間ずーっと自己紹介や身の回りの話し、ネタが尽きたらこっちのリサーチを始める始めるような異性に、ですよ、なにがしかの思惑があるんじゃないかと考えない大人がいますか!
いいやいません。秋波というのは女は無意識に感じ取ることができるんだって、お祖母ちゃんも言ってたし!
そんなこんなで、ヒューバートさんが制止も聞かず中に入った時点で、お断りの言葉は考えていました。でも、本当にただお茶を飲みに来ただけかも知れないと思っていたので、それで帰ってくれればよし、とも思ってたんですよ、本当に。
まだへこんでいる風の彼に、お詫びも込めてお茶の用意を始めたわたしの背中に、小さいがはっきりとした声が問う。
「都さんは、私が嫌いですか?」
「いいえ」
「では、どうしてバレンタインの贈り物を受け取ってくれないんですか?」
「異文化コミュニケーションは基本的に難しいと思っているからです」
国境を無視して異性と付き合うには、それなりの覚悟と過ぎる努力を覚悟しなくちゃならない。
彼氏は欲しいがそんな根性はとんと持ち合わせていないわたしは、国内限定でパートナーを捜索中なんである。
「そんなものは、どうにでもなります」
「なりません。特に貴方、イギリスの方ですし」
「イギリス人はいけませんか?」
「フランスの方も苦手ですよ。偏見とかではなく、実際、ヒューバートさんの親の世代は基本的に日本人のこと嫌いな方、多いんですよ」
「私の両親は、日本が好きです」
「ええ。でも、日本人の女の人はどうでしょう?付き合っているってだけで、きっと反対されますよ」
「…偏見です」
「そう、かもですね。でもこれがわたしがヒューバートさんからの贈り物を頂かない理由です」
まだ言い募ろうとする彼をオレンジペコで黙らせて、昔語りのように聞いていたお祖母ちゃんの大恋愛と大失恋を思い出していた。
茶葉の買い付けで出会ったイギリス人と恋に落ちたお祖母ちゃんは、彼のご両親の大反対にあって辛い別れを経験した。その後、傷心を励ましてくれたお祖父ちゃんと幸せな結婚をして一生を終えたけれど、いつも寂しそうに言っていたっけ。
『恋をするならね、何もかもを捨てる覚悟が必要よ。自分にも、相手にも…』
結局、国と両親を捨てられなかったイギリス人は、お祖母ちゃんを捨てた。
何を置いても彼についていこうとしたお祖母ちゃんは、全てを捨てる覚悟をしていたのに。
「私は、あなたが好きです。両親が反対したら、彼等を捨ててもあなたをとる。だからどうか、都さんも私を選んでくれませんか」
一生懸命、身を乗り出して言い募るヒューバートさんの姿が、一瞬見たこともないお祖母ちゃんの恋の相手と重なる。
信じられるのだろうか?信じていいのだろうか?
相手がイギリス人と言うだけで、踏み出せなかった一歩を越えてみたいと初めて思った。
まだ、彼を好きなわけではないけれど、少しだけ考えてみても良いんじゃないかって。
「…そうですね、まあ、お付き合いはまだ考えられませんが…お友達になりましょう」
「とも、だち?」
不服そうに少し頬を膨らませた彼に笑って、でもこれは譲れないとわたしは頷いた。
お客様と店主から、友人に。
もっと様々なことを知り合ってから、続きは始めた方が良い。
自分の周りでは多大な影響力を発揮する美貌も、ここでは役に立たないと理解したヒューバートさんは、ひょいっと肩を竦めると苦笑いで了承した。
「では、友達から。いつか必ず、貴女をこの手にできると信じて」
「あはは、そうですねぇ。恋ってあっさり人の理性を奪ってバカにさせるみたいなんで、せいぜい気をつけます」
受け取ったチョコレート甘く、赤いブーケはしばらく店のカウンターを彩っていた。
そんなバレンタインデーのお話。




