冒険者ギルドの受付に第八王子が座っているのもおかしな話ですが、魔法で炎を操り調理まで始めてしまいました。――誰か助けてください!
梅雨時にケロケロ鳴くアイツが苦手な方はお気をつけください!
「おいっ! 貴様っ!」
ドォォォォン!
と重たいものを叩きつけた音がした。
それと共に、苛立ちを含んだ野太い怒声が銅鑼を打ち鳴らしたように、ギルド内の空気をビリビリと揺るがせた。
「お前みたいな新人じゃ話にならねぇ! 誰かコイツと受付を代われ! なんならギルドマスターを呼びやがれ!」
怒りに顔を染めた冒険者が、机に叩きつけた拳を震わせ、その腕をグワっと開いてギルドマスターの部屋へと続く階段をビシッと指差す。
買取カウンターで、新人冒険者たちが採取してきた『スオナ草』の束を数え査定をしていた僕は、ビクリと肩を震わせ――固まった。
その怒声の余韻が消えた後に残るのは、一瞬の静寂――。
――いやダメだ! 僕が、固まってる場合じゃないっ! 早く対処しないと、また、絶対に、大変な事になるっ!
僕は、自分が応対していた目の前の新人冒険者たちをチラリと見た。
うん、まだ固まってるけど大丈夫そう。この子たちを後回しにしても、最悪ちょっとしたクレームを言われるぐらいだろう。
――それよりもっ!
首がもげそうな勢いで、ぐりん、と隣のカウンターへ目を走らせた。
肩を激しく上下させながら鼻息を荒げる冒険者ガイアスさんと、それに対峙して平然と立つ、新人ギルド職員――。
「すみませ――」
僕は立ち上がり、駆け寄って二人の間に、「すみません! うちの職員が何か――」と割って入ろうとした。
――したのだが。
指がパチン、と鳴らされた。
「――業火」
静かだが、確かな響きを持つ声で、短い言葉が発せられる。
それと同時に、目の前にある石造りの査定カウンターの上に並べられていた、紫色に黄緑色の斑点をまとった毒蛙の表面が激しい炎に炙られ黒い煙を上げ始めた。
――熱っ!?
高音に熱せられた空気に煽られ、僕の茶色い前髪がふわりと舞い上がった。
――ぅえええぇ? ここって冒険者ギルドの受付だよね?
僕の記憶が確かなら、ここは冒険者が依頼を受け、成果を換金する場所であって、討伐して査定を受けている途中の魔物『ポイズンフロッグ』が、ゴウゴウと火柱と煙を立ち上げ爆焼きされているのを見る場所ではない!
うん、絶対に!
――夢ならば、よかったのに……。
しかし、鼻をくすぐるのは爽やかな果実の香りではなく、木が焦げる燻った臭いだった。
呆然と見上げた視線の先に、ちょっと焦げ始めた天井を支える梁が目に入る。
――って、逃避してる場合じゃないっ!
実際、目の前では『ポイズンフロッグ』が炎に炙られ、なんならちょっと美味しそうな匂いを漂わせ始めてる。
そして、なんならギルドの建物が火災を起こす寸前だ!
一刻も早く、対処しなければ!
いや、だけど僕は経験上よく知っている!
こういう時に、大きく声を荒げるのは悪手以外のなにものでもないっ!
僕は無理矢理作った先輩らしい笑顔で、優しく声をかける。
口元が引きつるのは、見逃してもらいたい!
「――ねえ、ゼン君?えっと……どうしたのかな?」
内心の動揺が隠せず、幼い子供に話しかけるような口調になってしまった。
僕の精一杯の問いかけに、炎を操る美青年——新人ギルド職員のゼンは、何かを見定めるような真剣そのものの眼差しを肉に向けたまま。
そのまま無言で、僕が近付くのを押しとどめるように、スッと右の手のひらをこちらに向けた。
待てということなのだろう、僕は少しでも精神を安定させるために、心の中で……いち、にぃ、さん、数え始めた。
――そして僕が、『はち』を数えたとき。
ゼンが再度、指を鳴らす。
「――とろ火」
と唱えた。
ゴウゴウと燃え盛っていた火柱は、一瞬にして小さな丸い粒のように変化する。
それらは、こんがりと表面に美味しそうな焦げ目の付いた『ポイズンフロッグ』の周りを取り囲む形となる。
その様子はまるで、祝祭の日にご馳走を取り囲む、蝋燭の穏やかな灯りのようだ。
――わぁ、キレイだなぁ……。
……じゃないだろう! 僕! しっかりしろ!
ゼンは、ふぅー、と、ひと息ついてから、ギルド内のなんとも言えぬ空気と、物理的に温まった空気を置き去りにして、淡々と答えた。
「どうしたもこうしたもありません、トーマス先輩。この『ポイズンフロッグ』は幽玄の森、西の沢で狩られたものです。沢からここまでの運搬で約二時間」
――うん、そうだね。
西の沢は幽玄の森の比較的浅いとは言え、徒歩でしか行けない場所にある。
ギルド職員になってから何度か訪れたが、確かに二時間と少しほどの行程だった。
僕は真剣な目で語るゼンに、頷いた。
「何の処理もされずに二時間です」
――うん?
僕は首を傾げた。
「さらに査定内容に納得がいかないと、この冒険者が職員である私を、暴言で脅す。また、机を殴るなど暴力行為を始めました」
極めて理性的に、落ち着いた言葉を続ける、ゼン。
まあ、ゼンの言うような事は、荒くれ者の多い冒険者ギルドではいつものこと、いちいち驚いたり怒ったりするようなことでもない。
今更、何を言い出す気なのだろうと、僕は首を傾げたままゼンの晴天を切り取ったようなブルー瞳を見つめた。
それにしてもゼンは美人だ。
男に対して美人という言葉が相応しいのかどうかは置いておいてもゼンは美人だ。
その美人がゆっくりと僕の瞳を見つめ返し言葉の続きを口にした。
「『ポイズンフロッグ』を美味しく食するためには、鮮度が大事なのです。
しかし、この『ポイズンフロッグ』がギルド内に持ち込まれ、この机の上に置かれてから既に三十分も経過してしまったのです」
遺憾だ、とでもいうようにゼンは眉間に皺を寄せている。
僕は、ゼンの言葉を理解するために眉間に皺を寄せた。
――ん? 美味しく食する?
隣にある食堂の『鳩胸亭』の厨房で聞くのならば、不思議のない言葉だけど……。
ここで疑問を口にすると、話が違う方向に進みそう……な気がする!
とりあえず話の続きを聞くために一度傾げた首を戻し、話の先を促す。
「今は初夏、この気温では鮮度が秒単位で損なわれるのです。
――宮廷料理人の心得第二条、『食材の鮮度はお客様への敬意』です。
――迅速な熱処理が必要だと判断し、調理を始めました。」
なぁんだ、調理だったのか――
「――って! ここ! ギルドの受付!
あっちの男は客じゃなくて、これを持ち込んだ冒険者!
それで君の業務内容は調理じゃなくて、ただの受付! 査定! 換金業務でしょうがぁぁぁぁー!!」
僕は、ゼンがしっかり理解できるように、ここ、あっちの男、業務内容と、一つ、一つ、指差し確認をしながら、最後にゼンの美しい鼻先に、指を突きつけた。
僕の絶叫と突きつけられた指に、晴天の空を映したようなブルーの瞳が、不思議そうに瞬く。
「――換金業務? ――そうですね先輩、ご存知ですか?」
そう言うと、ゼンは滑舌の良い早口で捲し立て始めた。
「この『ポイズン・フロッグ』の腿肉は、皮に近い部分が一番美味しく、その味は貴族が金貨を積み上げても、求めることが難しいと言われる程、まさに幻の食材とも言われる金華鶏をも凌ぐ美味しさなのです。
しかし! 『ポイズンフロッグ』は皮膚の粘液に猛毒が含まれているため、早急に粘液部を高温で加熱処理しないと一番美味しい部位が毒に侵され、食べる事が叶いません。
そうなれば『ポイズンフロッグ』は唯のカエル肉としての価値しかなくなるのです。
早急かつ適切に処理をすれば、金貨五枚の価値があるものを――
毒腺以外利用価値のない魔物の死骸として廃棄するなんて……そんな非効率、私の美学が許しません!」
ものすごいスピード感とリズムで言い切った。
僕が、ゼンの鼻先に突きつけた指は、いつの間にかダラリと腕ごと垂れ下がっていた。
熱弁の内容はわかったが、何を言っているのかはサッパリ分からなかった!
わからなかったのだが、わかったことがひとつある!
コレは、アレだ!
隠居した、元公爵閣下が趣味の『岩と土』について語る時の、アレと同じだ!
趣味を極めんとした人が、陥る自分の中にある知識を全部伝えたいと言う熱量のある会話!
――いや、一方的に話すから、独演!
今のゼンには、遥か昔に、異世界から渡って来た人から伝わるあの言葉がピッタリ当てはまる。
――『オタク』だー!
ゼンは、これだけの情報を早口で言い切ったのに、息も切らさず、ぐりんと『ポイズンフロッグ』を持ち込んだ冒険者の方に顔を向けた。
冒険者のガイアスさん。
そして、固唾を呑んで見守っていたギルド内の冒険者たち。
それから、僕のことを助けにも来ない薄情な同僚職員たちは、ゼンのその眼差しにビクリッと肩を震わせた。
ゼンはゆっくりと、ギルド職員としては不似合いな、高貴で鮮やかな笑みを浮かべる。
その笑みに、何の圧を感じたのか冒険者が一歩後退った。
ガイアスさんはベテランの冒険者で、討伐ランクCの魔物なら単独討伐出来ちゃう強者だよ!?
その冒険者を後退させるって、ゼン君何者!?
美形の圧? 王者の覇気?
――いや、違った。
ゼンはその美しい顔を最大限に活かして、大量破壊兵器のような壮絶な笑みを浮かべた。
「――魔王降臨……」
ギルド内の誰かが、呟く。
その時、ギルド内にいるゼン以外の全ての人は、心をひとつにして深く頷いた。
魔王がゆっくりと口を開く――あ、違う、新人ギルド職員のゼンだ。
「さあ、ガイアスさん、でしたか?」
その穏やかな声に、背中が粟立つ。
ギルド内を見渡すと、身を震わせるものや、腕を撫でさするものがみえる。
――うん、ギルド内の気温下がったよね。精神的に。
「貴方がこのカエルを無作法に放り出し、あまつさえ無駄に時間を浪費したせいで、大切な食糧が無駄になるところでした」
わかりますか?と覗き込まれたガイアスさんは涙目で頷く。
「時間を浪費するという事は、その時間分の価値を失うという事です」
ゼンはどう見ても美味しそうに焼き上がってしまった『ポイズンフロッグ』の表面を、もはや菜箸と化した査定棒でゆっくりと愛おしげに撫でていった。
その無駄に繊細な動きに、誰かがゴクリと喉を鳴らす。
ゼンは焼き上がりを確かめるように、まぶたを少し伏せ、長いまつ毛を揺らしながら、目を細めた。
それから、心を落ち着けるように艶やかな唇から息を長く吐き出した。
ゼンは伏せた目を開いた時には、慈愛を感じる穏やかな微笑みを浮かべていた。
そして、宣教師のように静かだが、伝えるための確かな力を持った口調で語りだした。
「乱暴な言葉は、意思の疎通を妨げ、知識を得る機会を失うのです。
粗野な態度は人や物を傷つけます。
自身の評価を下げ、人と交流する機会を失うのです。
わかりますね?」
最後に放たれた慈悲深い問いかけには、ガイアスさんは――いや、ギルド内にいる全員が、かつて緑豆を甘く煮込み潰した菓子を広めたという伝説の異世界人、フクシマ様が住まわれていた地方の土産物『首を振る赤牛』のように、ただカクカクと首を揺らすしかなかった。
魔物が多く出没する幽玄の森に一番近いこのギルドは、他のギルドと比べ、比較的荒くれ者が集まる。
そんな冒険者達の汗と埃、討伐した魔物の血の匂い。
そして今日は何故か肉の焼ける美味そうな匂いが充満している冒険者ギルドの受付フロアは、大聖堂の中にいるような厳かで、清廉な空気に満たされたのであった。
――僕以外の人が信者と化し、新人ギルド職員に祈りを捧げるなか、声にならない叫びをあげた。
――誰か、僕を助けてください!




