頭がまったく追いついてこない
前世の記憶が一気に戻った反動なのか、
それとも情報量が多すぎたせいなのか。
今日一日の授業内容は、
カレンの頭の中をほとんど素通りしていった。
黒板に描かれる魔法陣。
教師が唱える理論。
実演される術式。
――本来なら、きっと大興奮していたはずだ。
(魔法すごい!本物!理論構築最高!!)
初めて魔法に触れたオタクが、
テンション爆上がりで語彙を失うあの感じ。
理解したい。
覚えたい。
スクショしたい。
なのに、感情だけが先走って、
頭がまったく追いついてこない。
気が付けば、
学園の鐘が鳴り、
放課後を告げていた。
(……一日、終わった)
席を立ちながら、カレンは小さく息を吐く。
(今日は……家に帰ったら)
攻略情報を書き出して、整理して、
自分が今どの段階にいるのか確認したい。
(そうしないと……落ち着かない)
立ち上がった瞬間、
ふっと影が落ちた。
「カレン?」
低く、穏やかな声。
顔を上げると、
いつの間にか、ベルンハルトがすぐそばに立っていた。
近い。
思ったよりも、ずっと。
「大丈夫?」
その距離に、
思わず身体がびくっと跳ねて、
半歩、後ろに下がってしまう。
(あ)
しまった、と思った時には遅い。
「……っ」
ベルンハルトの表情が、一瞬だけ止まった。
「ごめん」
慌てて取り繕う。
「えっと…考え事してた。うん。行こう」
笑顔を作る。
ちゃんと、いつも通りのつもりで。
ベルンハルトは何も言わなかった。
ただ、視線を外さずに、ほんの一拍置く。
そして――
静かに、手を差し出した。
「……手を」
短い一言。
当たり前のようで、
でも今日は、やけに重く感じる。
(……あ)
恋人だから。
昨日、約束したから。
何もおかしくない。
なのに、
戸惑いが先に立つ。
(……どうして)
一瞬、迷う。
その間が、
やけに長く感じられた。
「……うん」
小さく頷いて、
そっと指先を重ねる。
――ぎゅ。
思ったよりも、
しっかりと握られた。
包むように。
逃がさないように。
(……あったかい)
安心と、
なぜか少しの緊張。
二人並んで歩く放課後の廊下は、
昼間よりも人が少なく、
音がよく響いた。
足音。
衣擦れ。
繋がれた手の感触。
(……近い)
距離が、物理的にも、心理的にも。
馬車乗り場に着くと、
一台の馬車がすでに待っていた。
黒を基調にした車体。
扉には、はっきりとした家紋。
(……あ)
ベルンハルトの家の紋章。
(そうだよね……)
魔術科首席。
名門の家。
“送迎の馬車がある”のが、当然の立場。
けれど。
「じゃあ、また明日!」
思わず、そう言っていた。
手を離し、
一歩、距離を取る。
ベルンハルトは、
一瞬だけ目を瞬かせた。
「送る」
短く、はっきり。
「え、でも……」
言いかけた言葉は、
視線だけで止められた。
強くない。
圧もない。
ただ、
「当然だろう?」
と言われているような、静かな目。
「……今日は」
彼は少しだけ声を落とす。
「一人で帰らせる気はない」
その言葉に、
胸が、どくんと鳴った。
(……え)
理由は、言わない。
説明もしない。
ただ、
決定事項として。
……
ベルンハルトは、再び手を取った。
今度は、ためらいなく。
「行こう」
馬車の扉が開く。
その中が、
いつもより少しだけ、
狭く感じられた。
(……なんで)
安心しているはずなのに。
胸の奥で、
小さく、不穏が息をした。




