その日は、静かに終わった。
騎士科と魔術科の合同演習。
器具庫の前。
人の流れが交差する時間帯。
――何も、起きなかった。
ベルンハルトは、廊下の角で足を止め、
一度だけ、振り返った。
誰も転んでいない。
誰もぶつかっていない。
名前を呼ぶ声も、慌てた気配もない。
(……問題なし)
胸の奥で、ゆっくりと評価が下される。
配置は正しかった。
時間調整も、導線の選択も。
声をかけるタイミングも。
すべて、想定通り。
(……これでいい)
彼は、歩き出す。
隣にいるカレンは、少しだけ静かだった。
だが、不安げな様子はない。
拒む気配も、戸惑いも、表には出ていない。
(……守れている)
その事実が、思考を穏やかにした。
もし、あのまま器具庫側を通っていたら。
もし、彼女が一人で歩いていたら。
もし、自分が遅れていたら。
――“何か”が起きていた可能性は、確実にあった。
それを、起こさせなかった。
(……正解だ)
ベルンハルトは、そう結論づける。
恋人として。
彼女を一番近くで見ている者として。
これは、独占ではない。
制限でもない。
“予防”だ。
問題が起きる前に、
余計な要素を排除する。
それだけのこと。
(……カレンは、無自覚だ)
無自覚に、予定に近づく。
無自覚に、人を引き寄せる。
だからこそ、
彼女自身に任せるのは、危うい。
(……俺が、判断する)
彼女が困らないように。
彼女が傷つかないように。
彼女が迷わないように。
“選ばなくていい日常”を、整える。
それは、優しさだ。
ベルンハルトは、そう信じて疑わなかった。
カレンが、ふと立ち止まる。
「……ねえ」
「どうした」
「今日は……静かだったね」
彼は、一瞬だけ考え、
そして穏やかに答えた。
「そうだな」
それ以上は、言わない。
説明は、必要ない。
結果が、すべてだ。
カレンは、小さく頷き、
また歩き出した。
(……受け入れている)
その姿に、
ベルンハルトの胸の奥で、何かが落ち着く。
“何も起きなかった”。
その事実が、
はじめて明確な手応えを伴って残った。
(……できる)
できてしまう。
偶然を、消せる。
予定を、ずらせる。
世界の“起きるはず”を、回避できる。
しかも――
誰も傷つかない。
誰も、泣かない。
(……なら)
それを、続けない理由が、どこにある。
ベルンハルトは、カレンの歩幅を測りながら、
次の調整を、無意識に組み立て始めていた。
明日の動線。
放課後の時間。
誰と、どこで、すれ違わないか。
成功体験は、
静かに、次の判断を呼ぶ。
“何も起きなかった”という安心が、
彼の中で、確信へと変わっていく。
それが――
最初の一歩だった。




