人目のある場所で、手だけ繋ぐ
放課後の中庭は、やわらかな光に包まれていた。
低い生垣の向こうで、噴水が静かに水音を立てている。
部活動へ向かう生徒たちの足音が遠くに散り、木陰には談笑の声がほどよく混じる。
――人目がある。
それが、今日の空気を少しだけ軽くしていた。
ベルンハルトは、私の斜め前を歩いている。
距離は、半歩。
昨日までより、意図的に保たれた間隔。
(……やっぱり)
近づかない優しさは、続いている。
でも、逃げているわけじゃない。
私は、歩幅を揃えた。
同じ速度で、同じ方向へ。
噴水の前で、自然と足が止まる。
風に揺れる水しぶきが、午後の光を弾いてきらめいた。
「……ここ、通るか」
ベルンハルトが言う。
声は低く、穏やか。
「うん」
短い返事。
それだけなのに、胸が鳴る。
歩き出そうとした、その時。
――ためらいが、先に来た。
(……今なら)
人目がある。
密室じゃない。
逃げ場も、ある。
私は、小さく息を吸って、指先を伸ばした。
ほんの数センチ。
彼の手の近くまで。
(……いいのかな)
迷いが、指先に滲む。
その動きを、ベルンハルトは見逃さなかった。
視線が落ちる。
一瞬、止まる。
――拒まれなかった。
彼は、私の方を見ずに、ただ手を開いた。
掌を上に向けて、静かに。
(……あ)
そこに、言葉はなかった。
でも、意味ははっきりしている。
私は、そっと重ねた。
――指先が、触れる。
温度が、伝わる。
ぎゅっと握らない。
絡めもしない。
ただ、手のひらが合わさるだけ。
(……安心)
胸の奥が、すうっと落ち着く。
ベルンハルトは、力を入れない。
引かない。
離れない。
“ここまで”の距離を、二人で共有している。
(……これで、いい)
噴水の音が、少し近くなる。
周囲の視線は、ある。
でも、誰も気に留めない程度の距離。
それが、ちょうどいい。
「……大丈夫か」
彼が、低く聞く。
「うん」
答えは、即座に出た。
(……ちゃんと、選んだ)
前世の私が、口を挟まない。
攻略だとか、ルートだとか、今日は静かだ。
今の私は、
自分の手の感覚を信じている。
ベルンハルトの手は、大きい。
でも、包み込まない。
逃げ道を残すように、そっと添えられている。
(……守られてる)
それを、初めて“心地いい”と思えた。
彼は、歩き出す前に一度だけ、こちらを見た。
目が合う。
触れない。
でも、確かに繋がっている。
「……無理は、しなくていい」
昨日と同じ言葉。
でも、今日は違って聞こえた。
「うん」
私は、笑った。
昨日より、少しだけはっきり。
そのまま、並んで歩く。
中庭を抜け、石畳を踏む。
手だけ、繋いだまま。
――それで、十分だった。




