新婚初夜
扉が静かに閉まった瞬間、音が遠ざかる。
新居に用意された寝室は、淡い灯りに包まれていた。
厚い絨毯が足音を吸い、外の世界と切り離されたみたいに静かだ。
胸の奥が、ふわりと跳ねる。
緊張と期待が混ざった、落ち着かない鼓動。
ゆっくり振り返ると、そこに夫がいる。
今日、何度も見たはずの横顔なのに、今は少し違って見えた。
式の間、常に背筋を伸ばしていた彼の肩が、ほんのわずかに緩んでいる。
「……ここまで、よく頑張ったな」
低く、穏やかな声。
その声音だけで、肩の力が抜けてしまう。
一歩近づいてきた彼の気配が、温度として伝わる。
香り。
懐かしくて、安心する匂い。
胸いっぱいに吸い込むと、心臓がさらに忙しくなる。
そっと、手を取られた。
指先が絡むだけなのに、触れた場所から熱が広がっていく。
指の長さ、節の張り、力強さ。
この手が、これからも自分を導き、守るのだと思うと、喉がきゅっと鳴った。
視線が合う。
逃げ場のない距離で、じっと見つめられる。
強いはずの瞳が、今は驚くほど柔らかい。
独占欲も、執着も、その奥に確かにある。
でもそれ以上に、慈しむような色が滲んでいた。
「怖いか?」
小さく首を振る。
正直に言えば、少しだけ怖い。
でも、それ以上に――。
「……嬉しい」
唇がほころんだのが、自分でもわかった。
その瞬間、彼の表情が変わる。
抑えていたものが、静かに溢れたような顔。
抱き寄せられる。
触れ合い、鼓動が重なる。
彼の腕は確かで、逃がさない力を持ちながらも、乱暴さは一切ない。
頬に、額に、髪に。
確かめるように、丁寧に触れられるたび、呼吸が浅くなる。
「……やっとだ」
囁きは、ほとんど吐息だった。
唇が近づく。
焦らされるほど、時間はゆっくりと流れる。
視線が絡み、息が混ざり、覚悟を問われている気がした。
そっと、唇が重なる。
初めは軽く。角度を変えてさらに深く。
離れては吐息がもれ、何度も…
上書きするように、確かめるように。
触れ合うたび、胸の奥が満たされていく。
熱は確かにあるのに、不思議と心は静かだった。
(ああ……)
この人のそばにいる。
それだけで、世界はもう十分に満ちている。
腕の中で、身を預ける。
離れないことを、疑いもしない。
怖さは、まだ消えない。
でも、それごと包み込まれている。
(恐いと感じる中で、幸せになる)
それが、私の選んだ未来。
灯りはまだ消えない。
夜は、始まったばかりだった。




