戻ってきた日常なのに少し違う。
朝の空気は澄んでいて、いつもと同じ道、いつもと同じ時間。
なのに、胸の奥だけが落ち着かない。
門の前に停まる馬車の横で、ベルンハルトが待っていた。
整えられた身なりも、
落ち着いた佇まいも、
変わらないはずなのに――
視線が合った瞬間、胸がきゅっと締めつけられる。
「おはよう」
低く、穏やかな声。
それだけで心拍が早まる自分に、カレンは小さく息を整えた。
「おはよう」
短い挨拶のあと、ベルンハルトは一拍置いてから手を差し出す。
「……手を」
その一言に、指先がわずかに震えた。
拒む理由はない。
けれど、触れたら戻れない気がして。
それでも、カレンはそっと指を重ねる。
馬車の扉が閉まる。
外の音が遠のいた瞬間、空気が変わった。
ベルンハルトの腕が伸び、迷いなく抱き寄せられる。
肩口に落ちる温度、耳元に触れる吐息。
甘く、低い呼吸が、囁きのように肌を撫でる。
唇が重なった。
一度では終わらない。
確かめるように、間を詰め、離れ、また重ねる。
深く深くお互いが溺れていくように重なる。
視界が滲む。
胸がいっぱいになって、息が追いつかない。
カレンの瞳に潤みが浮かんだ、その瞬間。
ベルンハルトは ふっ と距離を取った。
近すぎた熱が引いて、代わりに彼の瞳が真正面から映る。
逃がさない、けれど追い詰めない。
そんな奇妙な静けさがあった。
「……次は、君の番だ」
低く落とされた言葉に、カレンは息を呑む。
避暑地での夜景。
湖畔の風。
あの時は、確かに自分が一歩踏み出した。
そして今。
彼の瞳には、以前の爽やかさが残りながらも、奥に確かな熱が宿っている。
隠さない。誤魔化さない。
それでも、押し付けない。
カレンは胸の奥で、静かに理解した。
戻ってきた日常。
けれど、もう同じではない。
選ぶということ。
選ばれるということ。
その両方が、今は自分の手の中にあるのだと。




