底に沈んだ熱
教室の扉が開いた瞬間、空気が変わった。
「送る」
軽い調子で投げられた声に、カレンの肩がびくりと跳ねる。
振り向くより早く、背後から確かな体温が近づいた。
「彼女は俺の恋人だ」
低く、はっきりとした声。
ベルンハルトは一歩前に出て、カレンを自分の影に入れる。
「将来は、俺の公爵夫人になる」
教室に、静かなざわめきが落ちた。
公然の宣言だった。逃げ道を閉じる言葉。
「行こう、カレン」
差し出された手は迷いがなく、拒めば世界ごと壊れてしまいそうな重みを持っていた。
「……あ、……ごめんなさい」
レオンに名を呼びかけられ、カレンは一瞬だけ視線を揺らす。
けれど、その手を取った。
ベルンハルトと並んで、教室を出る。
馬車の扉が閉まる。
走り出す前の、短い静寂。
カレンは深呼吸を、二度、三度。
胸の奥のざわめきを落ち着かせようとする。
次の瞬間、腕が回された。
強くはない。だが、逃がさない抱擁。
肩に、ベルンハルトの額が触れる。
「……奪わせない」
囁きは、吐息に溶けていた。
視線が合う。
彼の瞳に、今まで見たことのない濃い色が滲む。
底に沈んだ熱が、ゆっくりと浮かび上がってくる。
「あ……」
声になる前に、距離が消えた。
熱が落ちる。
唇が重なり、短く、しかし深く、確かめるように。
カレンは思わず、彼の服を掴んだ。
指先に伝わる硬さと温度が、現実を突きつける。
離れた瞬間、胸が大きく上下する。
鼓動が早すぎて、追いつかない。
抱き寄せられたまま、逃げ場はない。
それでも、抱擁は優しい。
けれど——
(……怖い)
その感情が、初めて芽を出した。
大切で、愛おしくて、
同時に、踏み込まれすぎることへの予感。
馬車は規則正しい音を刻みながら進む。
夕暮れの光が揺れ、二人の影が重なっていた。




