触れられない距離が、逆に意識される
あっ、まただ。
カレンは、無意識のうちにベルンハルトの方を見ている自分に気づいて、そっと視線を逸らした。
(……また、私を想ってる顔)
授業中。
教師の説明が続く中で、ベルンハルトは一切こちらに触れない。
声もかけないし、距離も変えない。
なのに。
(……優しい)
それが、分かってしまう。
ノートを取る速度を、私に合わせて少し落としていること。
私がページをめくると、同じタイミングで彼も手を止めること。
視線を投げる前に、必ず一拍置くこと。
(前のカレンは……)
ふと、胸の奥があたたかくなる。
(前のカレンは、こういうところが好きだったんだな……)
すぐに、内心で突っ込む。
(……あ、私もカレンだけど!!)
思わず、口元が緩みそうになって、慌てて引き締める。
授業が進む。
魔術理論。
魔力循環の応用。
頭では理解しているのに、集中しきれない。
理由は、はっきりしていた。
(……香り)
ベルンハルトから、ふとした瞬間に漂ってくる香水。
甘すぎない。
清潔で、落ち着いていて、ほんのりと温度がある。
(……なにこれ……)
胸の奥が、くすぐったくなる。
(すごく、いい香り……好き……)
意識した瞬間に、余計に気になってしまう。
呼吸を整えようとして、
逆に、深く吸ってしまって。
(……だめだ)
自分の思考に、赤面する。
その時。
ベルンハルトが、ふとこちらを向いた。
視線が、合う。
――近い。
距離は変わっていないはずなのに、
彼の灰色の瞳が、まっすぐにこちらを覗き込んでくる。
(……っ)
心臓が、きゅっと縮む。
(ちょ、ちょっと……!)
何か言われたわけじゃない。
触れられたわけでもない。
なのに。
(心臓に悪い……)
数秒で、彼は視線を戻した。
まるで、何事もなかったかのように。
(……今の、なに……)
胸の奥が、ざわつく。
触れられていない。
距離も保たれている。
なのに――
前よりも、ずっと意識してしまう。
(……これが、“触れない距離”……)
不意に、別のことを考えてしまう。
(魔術科って、ローブ基本だよね……)
自然と、思い出す。
上衣を脱いだ、あの一瞬。
引き締まった肩。
無駄のない筋肉。
(……また、見れるチャンス……来ないかな……)
――はっ!
(なに考えてるの、私!!)
内心で、盛大に首を振る。
(だめだめだめ!…落ち着け!)
前世のオタクが、
今の現実に顔を出しすぎている。
その事実が、じわじわと実感として迫ってくる。
授業の合間。
廊下から、騎士科の生徒たちの声が聞こえた。
条件反射で、そちらを見る。
(……あ)
エルンスト。
背筋の通った立ち姿。
鍛えられた身体。
無駄のない動き。
(……くぅ……)
胸が鳴る。
(エルンストの肉体美も……良い……!!)
前世からの推し。
画面越しに憧れていた存在。
(……やっぱり、かっこいい……)
それは、迷いのない“好き”。
でも。
その直後、
隣の席から、紙を押さえる音がした。
ベルンハルトが、風でめくれそうになった私のノートを、
何も言わずに押さえてくれている。
触れない。
けれど、確実に守る。
(……あ)
胸の奥で、
違う種類の鼓動が鳴る。
エルンストを見る時の“きゅん”と、
ベルンハルトに感じる“きゅっ”は、
似ているようで、どこか違う。
(……どっちが、好き……?)
答えは、まだ出ない。
でも。
ベルンハルトが、何も言わずに隣にいるこの時間が、
思った以上に、落ち着いてしまう自分がいる。
(……前のカレンは)
(この距離が、好きだったんだな……)
その事実が、
少しずつ、
前世の私の声を押しのけていく。
授業終了の鐘が鳴る。
立ち上がる時、
ベルンハルトが、ほんの少しだけこちらを見る。
笑わない。
触れない。
でも――
逃がさない距離。
(……ずるい)
カレンは、胸の奥でそう思いながら、
それでも、その距離を嫌だとは思えなかった。




