90話
「レイザック様、申し訳ございません!大旦那様と大奥様から詰問されて、アイカ様がこの屋敷を出て行った時の事を、全てお伝えしてしまいました!」
「気にするな。使用人にすぎないお前が、主である父上たちの命令に逆らえない事は良くわかっている。嫌な思いをさせて済まなかったな」
レイザックはベイリーに謝罪すると、ため息をつきながらのろのろと立ち上がり、両親の向かい側のソファに座り込んだ。その様子を見たマリーナは、すぐさまベイリーに人払いを命じた。
親子三人きりになった応接室で、マリーナは改めて居住まいを正すと、疲れた顔をしたレイザックに問いかけた。
「さっきの話を続けるわ。猫の姿に変えられたアイカちゃんが、あなたやこの屋敷の使用人たちから虐げられて逃げ出したというのは、本当の事なの?」
レイザックが力なく首を縦に振る。
「ええ。本当です。大切な客人であるにもかかわらず、俺から冷たくあしらわれて、ろくに食事も与えられず、挙句の果てに使用人たちに殺されそうになった彼女を、精霊たちがこの屋敷から逃がしました」
「レイザック、お前が女性嫌いで猫嫌いなのは知っているけれど、それはちょっと酷いのではないかな‥‥‥」
「我が息子ながら、最低な事をしているわね‥‥‥」
彼の告白を聞いたオルトランとマリーナの顔が引きつっている。
「返す言葉もありません。しかし、まさかアイカ嬢の避難先が我が公爵家の別邸で、彼女が母上の病を治してくれていたとは、思いもしませんでした」
「もうあなたも知っているとは思うけれど、あの子は王都で噂されているような悪女などではないわ。むしろ真逆よ」
「わかっています。彼女は俺の命の恩人でもありますから。それなのに、俺は取り返しのつかない事を――」
レイザックのその呟きを聞いたマリーナが再び目を瞠る。
「え?今なんて?あなたもアイカちゃんに助けてもらっていたの?それなのに、恩人である彼女にそんな酷い仕打ちを?」
「鬼かな‥‥‥?」
「申し訳ありません‥‥‥」
呆れる両親を前にして、レイザックは深々と頭を下げる。
「謝罪する相手は私たちではなくて、アイカちゃんでしょう?いくらあなたが女性が苦手で大の猫嫌いでも、それを理由に彼女に謝罪しないのは許されませんからね?」
「もちろんわかっています。これからすぐにでも別邸に赴いて、命を救ってもらった感謝を伝えた上で、今までの非礼を彼女にきちんと謝罪します」
だが、その言葉を聞いたオルトランは渋い顔をした。
「そうは言うけれどねえ。私情を優先して命の恩人に対して暴言を吐いたお前が、本当に素直に謝罪なんてできるのかい?どうせアイカ君の姿を見たら、また嫌悪感で一杯になるのがオチじゃないか?彼女を傷つけるとわかっているのにお前を会わせる事は、僕には許可できないなあ」
「それならば、彼女を傷つけるような事はしないと、精霊に誓約します」
レイザックは迷いのない顔で、渋るオルトランにそう告げる。
「そうね。それがいいかもしれないわ。でないと、精霊たちはあなたをアイカちゃんに絶対会わせないでしょうから」
「母上――」
ほっとするレイザックに、だがマリーナは厳しい顔で釘を刺す。
「でもあなたが思っているほど、彼女に謝罪する事は簡単ではないわよ?まあ、それが理解できるようになる頃には、彼女に対して自分がどれほど酷い事をしたのか、心の底から思い知っているでしょうけどね」
マリーナは、彼女にしては珍しく口の端に皮肉な笑みを浮かべてそう告げた。
「?それはどういう意味ですか?」
「アイカちゃんを虐めた人に教えてなんかあげないわ」
「母上‥‥‥」
その後、レイザックがこの時の母親の言葉の意味を嫌というほど思い知らされるのに、それほど時間はかからなかった。
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