44話
「本当に、あの女魔導士をこのままにしていてもいいのかしら?」
アイカが公爵邸に来てから四日目の朝。家政婦長であるイライザは、城から飛んできた伝令鳥の知らせによって主人であるレイザックが久々に帰宅する事を知ると、不安そうな声で呟いた。
「いいに決まっている。旦那様から猫になった彼女を世話するよう申し付けられている以上、我々は黙ってご命令に従うしかないのだからな」
そう話すベイリーの眉間にも深いしわが刻まれている。口では命令に従うと言っているが、実は彼もイライザと同じ不安を抱いているのだ。
彼らの主であるレイザックが連れ帰った子猫は、今に至るまで彼らの手を煩わせる事なく、与えられた部屋で大人しく過ごしている。最初の日は、みゃうみゃうとしきりに話しかけてきたが、言葉がわからないと何度も伝えているうちに諦めたらしく、二日目からは悲しそうに見つめてくるだけで、鳴き声を上げる事はほとんど無くなった。
パンや果物や水にしか口をつけず、少しずつ痩せてきている事が少々心配ではあるが、おそらくは慣れない環境で一時的に食欲が落ちているだけなのだろう。
子猫の正体がアイカという名の女魔導士だと主から聞かされた時、二人は動揺と困惑のあまり言葉を失った。最近では良い噂も聞こえてくるが、ほんの少し前までアイカという女魔導士は最低最悪の悪女だという悪い評判でもちきりだったからだ。
そのため、部屋で暴れられたり、ケガを負わされたりする事を覚悟していた二人だったが、実際に世話してみると、そんな目に遭う事は一度もなく、むしろ彼女がこちらに気を使っている様子さえ見受けられた。
「もしかしたら、巷に流れていた悪い噂は間違いで、本当の彼女は善良で優れた魔導士だという、最近の噂こそが真実なのではないか?」
彼女に対して少しずつ好意を覚えるようになっていた二人は、次第に考えを改めるようになっていた。
だがそんな彼らに、再びアイカへの疑念の芽を植え付けたのは、精霊教会から王都民に向けて出された告知だった。
「聖女様の美貌と能力に嫉妬した女魔導士が、魔物を召喚して聖女様を亡き者にしようとしたが、精霊たちに阻まれて失敗してそのまま逃亡した!」
買い出しから戻った下働きたちからその告知内容を聞いた時、聖女を襲った女魔導士がアイカだと知った二人は、驚きのあまり卒倒しそうになった。
「旦那様の説明では、彼女は魔法実験に巻き込まれた被害者だということだったが、一体どちらが正しいのか‥‥‥」
「もし精霊教会の告知内容が本当なら、あの女魔導士は聖女様を殺害しようとした、とんでもない悪女だってことになるわ。旦那様が彼女に篭絡されているという事はないのかしら?」
「女嫌いの旦那様に限ってそれはないだろう。彼女に対しても冷たい態度は変わらないし、むしろ猫である事を毛嫌いして極力関わりたくないご様子だった」
「それならいいのだけれど‥‥‥」
イライザとベイリーは、自分たちが無意識にアイカの事を、「アイカ様」ではなく「女魔導士」呼びで会話している事に気づいていない。やはり彼らにとって信頼できるのは聖女エリアナであり、主の命令で仕方なく受け入れた女魔導士アイカではないのだ。
この時点で、再び疑念に捕らわれた彼らから、アイカに対して芽生えた好意は既に失われていた。
「イライザ、お前の不安はよくわかるが、今夜旦那様が戻るまでは、ご命令通りにあの女魔導士の世話を続けよう。精霊教会からの告知は旦那様の耳にも入っているだろうから、きっと屋敷にお戻りになり次第、今後彼女をどうするか正しい指示をいただけるに違いない」
「ええ。わかったわ、ベイリー」
アイカを疑問視するようになっても、二人が信頼と忠誠を捧げるレイザックから与えられた命令を忠実に果たそうとしていたため、公爵邸での彼女の身の安全はかろうじて守られていた。
ところが、それから時を置かずして、アイカは身の危険にさらされる事になる。
実はこの時、二人の会話は彼らが知らぬ間に盗み聞きされていたのだ。




