先輩と後輩のケーキ作り
閲覧推奨時期:四章七話読了後
四章七話で少しだけ風夜さんの思考が垣間見えるので四章七話後がおすすめです。基本的にはいつ読んでも問題はありませんので参考までに。
現在十二月二十四日深夜。冬休みも真っ只中であり、人もいつもより格段に少ない女子寮の一室。私、月乃玲明の部屋では――
『バコッボフ……ボンッ!!』
火事が起きかけていた。
目の前で、明らかにおかしい音を立てながら赤い火のような何かをちらつかせる鍋。
「え、あ、えぇぇぇぇ!?」
言葉にしただけでも既に大惨事である。実物を見るとなおさら大惨事だ。
「えっと、えっと……水!そうですよ水!」
近くにあった別の鍋に水を貯め、鍋にぶっかけようとしたその時――
「今度は何があったんですか!!……ゲホッ。何か粉っぽいですね……」
声の主にとっては大変珍しい慌てた様子で鍵を閉め忘れていた扉から、私の部屋へと飛び込んできた。
「風夜先輩!ちょ、ちょっと火事に……」
同じ生徒会役員としてお世話になっている、風夜凛先輩だ。
「話は後です。その水が入った鍋はひとまず置いて大きめの布を!!」
「えぇ!?」
「早く!」
「あっ、はいっ!!」
近くにはこれといった何かがなかったため、近くのテーブルクロスを剥ぎ取り手に取る。
次どうすればいいか、指示を仰ごうと風夜先輩を見ると、慌てながら窓を開ける風夜先輩は声を上げた。
「水に浸してください!大至急」
「はいぃぃぃぃぃっ!?」
何が何だかわからなかったが、とりあえず水浸しになったテーブルクロスを軽く絞って風夜先輩に渡すと先輩はそれを、ばさっと鍋にかけた。
「風夜先輩これだと――」
「大丈夫です。見てください、火事になる前に防げました」
そこから無言で見守ること数分、音を立てることも、火を噴き出すこともなくなった鍋を見て二人ため息をついた。
* * *
「で、今回は何があったんですか?」
ひとまず鍋やらその他諸々の調理器具を片付け、落ち着いて話をできる環境を整えた、私、風夜凛と、月乃会計は別室の机のある部屋へと移動した。
向かい合うように座るこの位置からは、月乃会計の表情が、よく見える。……今までにない真剣な表情、これは何かあるのだろうか。
「実は――」
ゴクリ、と息を呑み、続く言葉を待つ。少しだけ伏せていた目を、しっかりと開いてこちらを見据えると、言った。
「――ケーキが作りたかったんです……!」
「………………はい?」
口から出た一言に、こもっていたのはケーキが作りたかっただけで、何故あぁなるのだろう、という単純な疑問だ。だが、いつもと同じく斜め上に解釈した月乃会計はズレた弁明をし始めた。
「あの、手作りするからには、ちゃんと衛生面は気をつけていて……、ちゃんと手も洗いましたし調理器具も消毒しました……!!なんなら家全体を掃除して、消毒もして、外からゴミが入らないように窓も閉めて――」
……月乃会計は何をどう解釈してこんな弁明を始めたのだろう。恐らく生徒会の誰よりも頭脳があると思われる天才ではあるのだが、いつもどこかがズレている。
そして、家全体を消毒するくらい衛生面には気を使っていたのに何故火事未遂が起こったのだろうか。
衛生面も大事なのは勿論だが火事を起こさないことの方にも気を配ってほしかった。
「あの火事はどういう状況で起きたのですか?」
放っておくと延々とズレた弁明をしていそうだったので、こちらから問いを投げかけて軌道修正する。
「えぇっと、お鍋に薄力粉を入れて、熱してたところです」
「薄力粉を…………はい?」
今何と言ったのだろうか。聞き返そうとしたら、聞き返す間もなく、月乃会計から詳しい説明が入った。
「バターと牛乳を温める……みたいなことが書かれていたので薄力粉も温めた方がいいのかと……」
……まず、やることがずれている。そして多分調理器具も違う。この様子だとバターと牛乳もガッツリ鍋で煮込んでいかねない。
「バターと牛乳は……」
「あ、そっちは問題なかったです。さっきのお鍋とは別のお鍋なんですけど、牛乳とバターはいい感じに温まってぐつぐつしていました」
「……………………」
問題なく、ちゃんと間違えていた。ケーキを作るのに、牛乳とバターをぐつぐつし出すまで温めるのは月乃会計くらいだと思う。
「はぁ……」
今までの話から聞くに火事未遂の原因は大方判明した。再発防止のためにも、ここでちゃんと月乃会計にも説明するべきだろう。
「……月乃会計。粉末爆発ってわかりますか」
「……?えぇ、粉に火がついて大爆発が起こるアレですよ――あ」
何故粉末爆発をちゃんと知っていてこんなことになるのだろうと心底呆れる。
「今回の火事は、月乃会計が薄力粉をそのまま温めるという奇行と、窓を閉めてしまったことと……色々重なって起きたことでしょうね」
始めのうちは、原因が寮の設備の不具合か何かであった場合の対処など、他の生徒を危険に晒さないためのアレコレを考えていたのに、こんな原因とあっては注意喚起も何もあったものではない。
「……ご迷惑をおかけしてすみません」
しょんぼりした様子で月乃会計は謝罪を述べた。
「幸い部屋に破損はありませんし、今は冬休み中でこの寮にはほとんど人が居ません。月乃会計が迷惑を気にするというのなら、その残った方々に対する騒音ですが……こんな時間です。起きているのなど、私たちくらいでしょう」
そう述べたが、月乃会計の顔は晴れない。
「でも、風夜先輩を起こしてしまいましたし……」
「大丈夫です。私は元々眠りが浅いだけなので。
私の部屋の使用人たちはみんな寝ているようでしたし気にすることはありません」
そこまで告げると、月乃会計は少しだけホッとしたようだ。月乃会計は割と無表情だが、考えていることや感情は顔に出る。器用なものだな、と度々思う。
「ありがとうございます。……あ、そういえば、あの濡れた布を被せたあれってなんだったんですか?」
今までの話がひと段落したところで、月乃会計からは疑問が投げかけられた。
「あぁ、アレですか。あれは油を使っていることを想定した場合の火事の対処法です。まぁそれは杞憂だったわけですが」
そこまで言ったら、頭の回転が速い月乃会計はもう気づいたようだ。
「油に水をかけたら、反発して飛び散りさらに火事が広がりますからね。濡れ布巾で覆えば、酸素量を制限するのと同時に含まれた水で火を消すことが出来る。油を使っている使っていないが断定できない場合に使えるいい手ですね。
……今度からはちゃんと実践で使えるようにします」
……度々思うが、月乃会計は天才的とも呼べる頭脳を持っている。知識はこれでもか、というほどあるし、自分で考える力だってある。
今回のこの件だって、そうマイナーな話ではないから知識としては知っていただろう。
ただ、それ以外がすごくズレている。
実践があっては困るのだ、実践があっては。
火事未遂がそもそも非日常で、尚且つ粉末爆破でそれを起こすなんてこと、二度もあってはたまらない。
……いずれ、油を敷いた状態で薄力粉を熱しそうで怖い。
「なにはともあれ、ありがとうございました」
「いえ。では私は……あ」
と、そこで、これだけは伝えなくてはいけない、大事な案件を思い出した。
「月乃会計」
「はい?」
「――今後調理をするときは絶対に誰かの管理下で行うこと」
大切なことだと印象付けられるように、少しだけ語気を強めて告げる。そして、そろそろ部屋に帰ろう……と、向きを変えようとして、月乃会計が無言であったことに気づく。
「月乃会け――」
い。最後の一文字を、いうことが出来ずに、私は固まってしまった。……月乃会計が、酷く、悲しそうに見えたから。
「……どうしましたか?」
「あぁ、いえ。何でもないんですけど……ケーキ、作れなくなっちゃったなと思って」
そこまで聞いて、確認すべきだった月乃会計の「事情」を聞いていない、と気付かされる。
「月乃会計、何故ケーキを作ろうと思ったのですか?」
「今日は、神様が降り立ったとされる祭日で……親しい人とケーキを食べたりする日だと聞いたので、出来ればのあに……」
月乃会計は、料理が苦手だと、何時ぞや耳に挟んだ。そして、月乃会計自身もそれを自覚していると。
そんな月乃会計が、自ら料理をしようと思ったなら、何かそれ相応の理由があるだなんて、容易に想像できたではないか。
「いつも、のあに助けてもらってばかりなので、少し返したいなって思って、ケーキを作ろうかと思ったんです。だけど――」
「月乃会計」
このまま、月乃会計に言葉を紡がせたら、「仕方ない」と諦めるのだろう。でも。
「恩を感じた人に、それを返そうとすること。それは、とても素晴らしいことで、私はそれを手助けする人にこそなれど、邪魔する人には、絶対になりたくありません」
私にも、恩を返したい人がいる。また、会いたい人がいる。けれど、どこに居るかも、何をしているかもわからないその人だから――
「私も手伝いますから。一緒にケーキ、作りませんか?」
目の前にいて、ちゃんと恩を返すことができる、月乃会計には、ちゃんとその気持ちを届けてほしい。それが、私の心情だった。
* * *
「レシピに書いてある一つ一つの動作を忠実に守ること、そして計測をしっかりすること。この二つが出来れば、ケーキ作りもそこまで難しくありません」
目の前で真剣な眼差しを向ける月乃会計に応えるべく、私も真剣にお菓子作りのポイントを語る。
「一つ一つの動作にちゃんと意味があるんですか?
なんだか無駄が多いように感じてしまったので……」
「まぁ、そう感じてしまうかもしれませんね。
ケーキ作りにおいてふわふわに泡だてた卵に加える牛乳を先に温めてから加えるか、卵と混ぜてから温めるか。という動作を例に出しましょう。
一見すると、先に温めるか、後に温めるかの違いですが、これにもちゃんと意味があります」
こうして理論的な説明をしていると、お菓子作りであることを忘れそうになるが、月乃会計には、恐らくこちらの方が理解しやすいだろう。
「まず、先に混ぜてから、後で温める方。こちらは牛乳を加える時、牛乳は冷たい状態です。
ただこのままだと、牛乳の冷たさによって、ふわふわにした卵がその意味を為さなくなってしまいます。
一方、先に温めた牛乳は、ふわふわにした卵を潰さないまま、混ざってくれます」
おぉ〜、と月乃会計から歓声があがる。見たところだが、一応は理解できているようだ。
「計測の方は、初めに測る材料の分量はもちろん、温度も大切です」
「え、温めるだけじゃダメなんですか……?」
「そうです。例えば、先ほどの温めた牛乳ですが、あまりに高すぎる温度になると、卵が固まり出してしまいます。逆にあまりに低すぎると、冷たい牛乳と変わらない。適切な温度、というのが大切です」
「お菓子作りって、なんだか数学のような理科学のような……」
「月乃会計にはそう捉えた方がわかりやすいかもですね」
きっと、数学に捉えるなら、月乃会計は同じ答えに辿り着くのなら、どんな計算式でもいい。という風に捉えていたのだろう。
ただ、お菓子作りにおいて、探せばあるのだろうが基本的に材料を混ぜる順番、分量、状態……数式に例えるなら「式」と呼べるそれの正解がお菓子作りでは一つしかない。
月乃会計のように何か手心を加えることは、それは式の中身を全く違う風に変えてしまうこと他ならない。
それだと当然、結果として出来るものも変わる。
それを今、ちゃんと理解できたのではないだろうか。
「……理解したとは言え、今まで全く出来なかった何かを急に出来るわけもありません。
細かい指示はレシピを読みながら私が出すので、月乃会計はそれに従いつつ、分量や温度を測ることを基本にやってみてください」
「わかりました」
こうして、ケーキ作りはスタートした。
……だが、私は正直油断していたのだ。いつもは何でもそつなくこなす月乃会計の、料理センスがここまで壊滅的であると、予想しきれなかった。
* * *
「月乃会計。そこはもう少し……つのが立つくらいまで混ぜてください」
「つの……これは?」
「全然ダメです。ほら、一瞬は立ちますがもう崩れてます」
想像を超えていた。主に悪い方に。
……思い返せば、お菓子作りはなかなか曖昧な表現が多かった。
先ほどあの話を伝えてから、分量、温度こそ完璧に守るようになったものの、少しでも各自のセンスに委ねられるところがあれば、大惨事になりかける。
そもそも薄力粉を熱しようとするくらいの人だ。普通のセンスを求めてはいけなかった。
「風夜先輩は、お菓子作り上手ですね」
卵を混ぜるのにも慣れてきたのか、今までお菓子作りそのものの、指示をこう言葉ばかりだったのが、ふいにそれた話題の言葉を投げかけられた。
「実際はほぼ使用人に任せてしまいますが教養として料理も基本的なものなら出来るようにしていますから」
「すごいですね」
月乃会計は、目をキラキラさせながらそう言ったが、こんなこと、そんなに凄いことではない。それよりも――
「……月乃会計の方が凄いと思いますよ」
急に、月乃会計はきょとん、とした顔をした。こちらの真意が掴めないと言った顔だ。
「何が出来る、出来ないより、出来ないことに取り組もうという心意気が凄い、という話です」
氷の詰まったボウルの上で、生クリームを泡立てる手は止めないようにしながら、雑談を続ける。
「貴族社会では「出来ない」ことは許されないことになりますが、月乃会計のいる場所ではその価値観は適用されない。道徳的な話をするなら、それは凄いことではないですか?」
「それは、のあに渡そうと頑張っただけで――」
「その人のためを思って何かができる、という存在がいることも素晴らしいことです」
私には……居ない存在。
貴族社会の中でなら、私は色々ができる「凄い存在」になれるのかもしれない。でも、私に月乃会計のような人の心に訴えかけられる凄い何かは持っていな――
「風夜先輩も凄いです」
「え?」
月乃会計の発した言葉の意味がわからなくて聞き返す。
「風夜先輩、今私のケーキづくり手伝ってくれてるじゃないですか」
「恩を返したい思いを大切にすることは当たり前ですから……」
「それを、当たり前といえることが凄いんですよ」
少しだけ、目を見開いた。言われたこともない言葉。
でも、なんだかすうっと胸の中に入った。
「……ありがとう、ございます」
「いえ、こちらこそ」
そのまま、受け取って、私を凄いと思うことも出来ないが突っぱねなくてもいいか、とも思えた。
……月乃会計はなんだか不思議な力を持った人だな、と度々思う。
「……あ!卵混ぜすぎました!!」
「えぇ……」
それと同時に、凄くズレていて、料理センスについても壊滅的な人ではあるのだが。
(世間では、いい人と呼ぶ人種なのでしょうね)
混ぜすぎて使えなくなった卵をどういう料理にして消化しようか考えながら、そう考えた。
* * *
「で、出来たぁぁぁぁ」
もう、朝日が見え出す時間になって、ようやっとケーキが出来上がった。
「ちゃんと完成しましたね。月乃会計、お疲れ様でした」
「いえ、風夜先輩がいたからこそです。こんな時間まで付き合って下さって、本当にありがとうございました」
お礼を述べると、風夜先輩は去ろうとした。
「では、私は――」
「待ってください!」
そんな風夜先輩を呼び止め、開いていた手に包みを渡す。
「月乃会計、これは……」
「あの、失敗しちゃった卵で作ったクッキーです。スポンジだと混ぜすぎた卵は硬くなってしまうので使えませんが、クッキーなら元々硬いものですし大丈夫かと。
一応味は確かめましたし、レシピもちゃんと見ました。クッキーは意外と簡単だったので……」
目を見開いた風夜先輩に口早に説明をした。
風夜先輩の表情は、驚きながらも少しだけ……嬉しそうにも見えた。
「……何を起こすかわからないので本当ならちゃんと管理下でやってほしかったところですが……ありがとうございます。美味しくいただきます」
「それでは」といって今度こそ風夜先輩は部屋を去った。風夜先輩の背を見送ると同時に寝室まで駆け込んだ私は寝台にダイブした。
「疲れた。でも……」
(楽しかったな)
最後の言葉が音になる前に、私の意識は落ちた。
だから、私は同時刻、同じく寝台に潜り込みながら「こんなよふかしなら悪くない」と思っている風夜先輩がいることを知らない。
これはそんな、火事事件と、お菓子作りで一夜を明かした聖なる朝のこと。




