表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

私の一等星

作者: おれだおれだおれだ

 美しい星々と共に走る列車の旅は、どれほど眩いのでしょうか。古い革座席の隣に座る君は、どんな顔だったのでしょうか。生憎私は知ることができません。知ってはいけません。知りたいとさえ思ってはいけないのです。君のこれからを奪った私は、生涯後悔して生きていくのが道理なのですから。私は、私の幼さを振りかざし、取り返しのつかないことをしてしまいました。許してほしいなど決して言いません。ただ、ごめんなさいと謝らせてほしかったのです。


 私の甘やかな少年期は十年前に早々と終った。かと言って御立派な大人にも成れず,私は未だモラトリアムを彷徨い続けている。

 がたん、ごとん。

 一定間隔で揺れる座席に身を任せ、流れる木々を惰性で見つめる。やがて緑の壁を生していた木々はまばらになり、完全に視界が開けるようになると、そこには星を模した装飾で集落中が飾られた村が見えてくる。

 もう何年も連絡を取っていなかった母からの催促で帰郷したわけであるが、奇しくも今日こそが私が故郷から離れたくなるきっかけとなった日、即ち星祭りの日であった。

 町からの帰りであろう数人の薄汚れた労働夫やたくさんの本を抱えた青年と共に汽車から降りた私はまっすぐに改札を目指す。特に目立つものもない至って平和、平凡が代名詞の村であるが、駅構内は一新したらしく、それなりに都会らしく小綺麗になっていた。しかし私はさして興味を抱くことはなかったし、私にとって都会らしい駅というものはたいして目新しくもなかった。改札で車掌に切符を渡すと、帽子を目深に被り手元しか見ていなかった車掌がいぶかしげに私を見上げた。しわだらけで土がついている手の客がほとんどのこの村の駅で、力仕事をせず貧弱かつ水仕事による皸一つもない手を持つ私はかなり珍しいのだ。そしてこんな小さな村に一つしかない駅、構内が新しくなろうと変わらない利用者に車掌、私と顔見知りでないわけがないのである。

 「お前さん、もしかしてザネリだろう。大きくなったもんだなア。」

 私の予想だが、昔馴染みの大人は何年経っても同じフレーズを繰り返すことだろう。辟易とした私は曖昧に返事をして早々にその場から立ち去ろうとした。

 「ザネリ?」

 後ろから私を呼び止める声がする。若い男の声だった。

 「なんて奇遇なンだ、同じ汽車で帰っていたンだね、ザネリ。」

 ああ最悪だ。こうなりたくないからさっさと家に帰ろうと思っていたのに。

 振り向くと、そこに立っていたのはたくさんの本を胸に抱え、頬に散らばったそばかすが特徴的な青年だった。朗らかな笑みと後ろの窓から射す西日が黄金色で眩しい。私は思わず目を細める。そして観念したように口角を上げた。

 「…やあ、久しぶり。ジョバンニ。」

 私の旧友、そして少年期における苦い思い出、後悔、黒歴史、そういった類全てを一つ残らず練り固めたものが目の前に立っていた。


 夕陽が完全に沈み込むより少し前、白い月が昇り、一番星が輝き始めた頃、私は村に唯一、一軒だけある酒屋に居た。本当なら家に戻り父母に適当に顔を見せ、明日の始発で帰るために早々に眠りにつくはずだったのだが、私との再会を大層喜んでくれたジョバンニの奴が席を設けたのである。駅から家、家からここに着くまで、私の気分は大分落ち込んでいた。私を誘った本人が遅れているせいで余計思考が加速する。

 私もかつては村の大人らのようにここで晩酌をするのだろうと当たり前に夢想していた。あの日までは私の世界はこの村の中で完結していたのだから、この場に息苦しさを感じるのは私がまだ大人になり切れていないからなのか、それとも私がこの村の空気そのものが合わなくなってしまったのか。どちら共かもしれないし他に理由があるのかもしれない。外も外だ。私が駅からまたは家から歩いている道中で、何度も走り回る子供たちとすれ違った。数少ない娯楽をめいっぱい楽しむ子供らを見ると、やはり私の心はどんよりと曇ってゆくのだった。私の背をゆっくりと追うきっかり十年間育てた希死念慮が今日ばかりは私を追い越してしまいそうだ。どうしてもあの日を思い出してしまう。流るる川の青陵な音。むせかえるほどの濡れた草の青緑の香り。安心と絶望が綯い交ぜになったたくさんの瞳が私を見ている。息苦しかった。あの日の私の追体験をするかのように徐々に体が反応を始める。喉は狭まり、肺は呼吸の方法を忘れ、犬のように息が荒くなる。大人たちの喧騒が遠くなり、視界は暗くぼやけていく。苦しいが、珍しいことではない。ただ、苦しいだけなのだ。あの日のあの子に比べたら、こんな痛みなんて。

 「おまたせ、ザネリ。僕が誘ったのに遅れてしまって面目ない。…ザネリ?」

 ジョバンニだ。明るい酒場の雰囲気にそぐわない犬のように呼吸の荒い私に大層困惑しているのが声色でわかる。

 「ずいぶん遅かったね、おかげで長旅の疲れが出てしまったよ。」

 有難いことに、私はジョバンニの戸惑った顔を見ると冷静になることができた。というより、彼なんかに私の柔い部分を見せたくないという辛うじてのプライドがあった。私の言い訳がましい文句に彼は苦笑してただ一言、ごめんと返した。つくづく愚直な男である。

 それから私は、店に入ってからずっと手付かずだった温い酒の入ったジョッキと、先ほど入れたばかりで冷気が漂うジョバンニのと形ばかりの乾杯をした。かきん、とガラスのぶつかる音が喧噪の中に融ける。

 「君とこうやってお酒が飲めるだなんて、なんだか不思議な気分だよ。」

 「そうだね。」

 心からこの状況を楽しんでいる彼に対して、私は帰ることばかり考えていた。そもそも酒は得意ではない。嵩の減らないジョッキが重たくて仕方がない。

 「君は今なにをしているの?僕らの中で唯一町に出たものね。あの時、皆は驚いていたけど、僕は驚かなかったよ。だって君はすごく頭がよかったから。」

 「今は、というか今も学校で勉強をしているよ。なりたいものもなくて、ずるずると続けているだけだけれど。…君は何をしているの。」

 彼の現状などどうでもよいが、私の話をすることのほうが心底嫌なので適当に話題を振る。

 「僕は今、学校で先生をやっているンだ。今日は、子供たちのために本を集めに出かけていたンだよ。」

 それから、ジョバンニは饒舌に話し始めた。村のこと、学校のこと、家族のこと。どれもこの村に似つかわしい平凡、平和な内容ばかりだった。ただ、大人しかいないこの空間で、なんだが私だけが異物のように思えた。私は適当相槌を打つ。ジョバンニはあらかた話し終えたのか、次はお前だ,とでも言うかのように私を見つめた。純朴そうな瞳はあの頃と変わらないが、かつての私を見つめる瞳はもっと後ろめたい感情を持ち合わせていた気がするのは、私の思い違いではないだろう。

 「次は君の話を聞かせておくれよ、ザネリ。君は町で勉強をしていると言ったが、何を勉強しているのさ。」

 こいつは私が答えたくない質問をしてくる。しかし、言わないほうが不自然なので私は敢えて平然を装う。

 「星だよ。…天文学を学んでいる。」

 そういうとジョバンニの温度が数度上がるのが見て取れた。

 「君も星を見ているンだね!僕も見ているよ。といっても本を読んだり実際に見てみたりと自己流でしかないンだけれど。」

 同志を見つけて彼はとても嬉しそうだった。

 「カンパネルラがこの場に居たらどれだけ楽しかったろう。」

 そして言った。カンパネルラ。その六文字の男性の固有名詞に私は凍り付いて、何を言えばいいか途端に分からなくなった。私がこの世で最も忌避している話題に近づいていく。

 「実はね、僕が星を見ているのはカンパネルラがきっかけなンだ。覚えているかい?昔君に話したことがあったと思うのだけれど…。」

 「…。」

 「…その、君を責めているわけではないンだよ。あれは仕方のないことだった。事故だったよ。」

 適当でも相槌を返していた私が急に黙りこくったのだ。お優しいジョバンニは私を決して糾弾すまいと穏やかに言う。

 「…うん、分かっているとも。何回と言われてきた言葉だ。あれは事故だったンだって。みな私を責めるのではなく、カンパネルラを称えるべきだって。そう言うさ。」

 私は震える声に気を留めない。

 「しかしだよ。実際私を責める人はだれ一人としていなかった。あるのは、誰も君を責めていない、君は悪くない、っていう慰めの声だけだ。これってつまり、結局は私を許してはいないってことだろうよ。聞けば聞くほど私に向けた言葉じゃなくて、みながみなに言い聞かせているようにしか思えなくなった。このがきのせいでカンパネルラという頭の良くて誰にでも優しい少年は死んでしまったが、まだ子供だ、こいつを責めてはいけないンだって!」

 「ザネリ!君は何を…!」

 「っぁ、すまない、…うん。ごめん。」

 ほかの客からは聞こえにくい場所にいてよかった。私は荒ぶる感情を抑えきれず、つい大声を出してしまった。久しぶり出した大声と、いつも心の内に秘めていた思いを自ら暴いたことに、呼吸がまた乱れる。

 いくらほかの客からは気づかれにくいと言ってもそれなりの音を出せば周りはちらちらと様子を伺ってくる。ただでさえ珍しい若者二人が衝突寸前なのだ。目立つのは時間の問題だろう。

 「ザネリ、少し夜風にあたりに行こう。ここは暑い。」

 「…そうだね。私もこの場から離れたいな。」

 私もジョバンニに同意したものの、顔を上げることができなかった。ジョバンニは私の手を引いて店を出た。まるで帰り道のわからない幼子の手を引く兄のようだった。私は、こんな時でも見下していた彼が私よりも優に早く大人になっているという事実に少しばかり苛立ちを覚えた。そしてそんな私に、だから成長できないのだ、と自己嫌悪が押し寄せていた。

 私たちが思い出話をしている間に騒ぎはおおよそ済んだようで、出店を片付けているおやじや帰路に着く子どもたちの様子がうかがえたが、私は相変わらず手を引くジョバンニに身を委ね滑る石畳を見ていた。

 私は本当にいやな子供だったな、とつくづく思う。父親は漁から帰って来ず、母親は病みがちで家のことをしなければいけない不遇さを知って尚、見下す材料と判断し、懇切丁寧に同級生をからかうよう煽動した。そして祭りに浮かれて足を滑らして川に落ちる。そして、目が覚めるとすべて終わっていた。村の名士の息子が私の身代わりとなって死んだ。学校では勤勉で優しい性格からおとなしいながらも生徒だけでなく教師からも慕われていた子だった。水難事故の被害者である私は一時腫物のように扱われたが、それも次第に薄くなっていった。私はその移り変わりについていけず、いじめっ子としての私は鳴りを潜め、家に籠りがちになった。家に籠ってもやることはなく、ただ一人で黙々と勉強をする時間が増えた。勉強をしないと、余計なことを考えるのが怖かった。殺人者だと思われること。カンパネルラより価値が低いのに生きていると思われること。カンパネルラの両親や彼と特に仲の良かったジョバンニが私に復讐をするのではないか。事実としてカンパネルラの父親は学士らしく死別を割り切っている様だったが、母親のほうは決してそうではなかった。村の人々の前では毅然とした振舞ではあったが、明らかに普段と違って笑みは引きつっていたし、綺麗に整えられていた着物は皺が目立ち、遂に彼女の黒髪から一筋白いものが見えたとき、私は彼女の前に姿を見せまいと誓った。そして村を出ようと決めたのだ。そして今がこれだ。カンパネルラの死を乗り越えられず、いじめていた同級生に情けを掛けられている。本当に、消えてしまいたいものである。私はため息をつくことさえできなかった。降り注ぐ星の視線にさえ痛みを感じた。


 十年ぶりに会った旧友はひどく生きづらそうだった。意地悪に吊り上がった眦は隈だらけで、溌溂としていた声は随分としおらしくなっていた。かつての僕にとって君は厄介で目の上のたんこぶでしかなかったが、今の打ちひしがれた君は不憫でならなかった。

 ぽつりぽつりと歩き続け、何となく土手に腰を下ろす。ザネリは何とも言えない顔をしていた。それはそうだろう。彼にとって川べりほど苦手な場所はないだろう。分かっていて選んだ僕もいる。これまでの君の暴力に応じて許してほしいと思った。

 「少しは落ち着いたかい?混凝土で出来た町と違ってここは夜が少し寒いよね。」

 僕は道中何度もザネリに話しかけたが、一向に返事は帰って来なかった。カンパネルラの話題は堪えるのだろう。やはりこれに関しても累積でいえば僕のほうが被害者と言えるだろうと思った。

 それでも僕は話をしなければならない。

 「ねえ、崩壊と誕生。君はどちらだと思う?」

 「…唐突だね、君は。」

 「ベテルギウスが超新星爆発を起こした後の話だよ。完全に崩壊して跡形もなくなってしまうのか、それとも中性子、ゆくゆくはブラックホールになって宇宙に傷を残すのか。」

 ザネリは一瞬あっけにとられていたが、仕方なく論拠を示し始めた。

 「中性子星、ブラックホールになるンじゃアないかな。どちらの可能性もあるから今の時点では科学者それぞれの希望的観測またはロマンでしか語れないけどね。」

 ジョバンニはザネリが話題にようやく反応してくれたことにほっとした。

 「じゃあ、その見解には君のロマンとやらが詰まっている訳だ。」

 「ロマンというほどではないが、なんというか。ただ、あんなに大きな恒星が宇宙に傷も残せないなんて、悔しいじゃないか。」

 ジョバンニは、否定した割にはずいぶんとロマンティックな返答をするものだと感心した。そしてその感情はザネリにも伝わっていたようで。

 「なんだよ、その目は。じゃあ君のロマンティックな見解も聞かせてもらおうじゃないか。」

 「そうだね。僕は完全に崩壊するンじゃないかと踏んでいるよ。」

 「ふーん、その心は?」

 「うん。そうだね。僕のロマンスを存分に発揮させてもらうと、まず、ベテルギウスはオリオン座の肩なわけだろう。そしてベテルギウスが無くなってしまえば、オリオン座は消えてしまう。」

 「消えてしまえば、アルテミス神と一緒にいられなくなるじゃないか。君、純朴そうで意外と畜生だな。」

 「すごい言い様だな。だがまアしかし、僕はそれでいいと思っている。愛する人と永遠を誓うのも素晴らしいが、やっぱり僕、人は人で終わるべきだと思うンだ。人は人だ。それ以上でも、以下でも、ないよ。」

 「…曖昧な意見で大変結構。」

 「うん。壮大な話に思えるようだけど、案外身近なことだと思うからさ。」

 「…。」

 「…。」

 「君、性格悪くなったな。」

 「大人になったんだよ。」

 僕とザネリはようやく目が合った。少年期を含めて、初めて対等に話ができる気がした。


 人は人で終わるべきである。

 「ジョバンニ、君は私がまるでカンパネルラを神様だと思っていると考えているのかい?」

 「そうだろう?君はカンパネルラにずっと許しを乞うているじゃないか。あの子が生きていたら話は別だが、生憎ともういない。キリストや釈迦にすがるのと何が違うんだい。」

 「違うよ。」

 「何が違うんだよ。君は十年前の今日変わってしまったが、それ以来変わっていないじゃないか。ずっとカンパネルラの影を引きずっている!」

 ジョバンニの言葉にザネリは顔が瞬間的に熱くなった。こんなに感情を揺さぶられるのは久しぶりだった。

 「それを言うならお前たちはあの子のことをすぐ消したじゃないか!それなら私だけでもあの子のことを一番大切にしないといけないじゃないか!」

 「大切にしているだと?それが過去に囚われているって言っているンだ!」

 ジョバンニも引き下がるわけにはいかなかった。

 「君は今を生きているンだ!カンパネルラが繋いでくれた命をなんだと思っている⁉いいか、カンパネルラは君だから助けたンだぞ、神様みたいに誰もかれもに手を差し出した訳じゃない。」

 「君に生きてほしいと思ったから手を差し伸べたンだろ!」


 大きな水音がした。

 穏やかに流れていた川の水面が大きく揺れ、収まったころに二人は川の中で取っ組み合っていた。咄嗟に   ザネリがジョバンニを突き飛ばしたのだ。ザネリはなりふり構わず吠えた。

 「うるさい!私はそんなことが聞きたいわけじゃない!もはやあの子のことはあの子しかわからないンだ。お前が分かったような口をきくなよ。ジョバンニのくせに!」

 「とうとう本性表したな!そうだよ、君はそう言うやつだよな!僕のくせにだって?言っておくが僕のほうがカンパネルラのことを知っているぞ。君の神様は僕の友達だからね。大体君はいつまで僕を馬鹿にしたら気が済むンだよ。カンパネルラがいなくなってから、僕のほうがずっと一生懸命に生きている!母さんや姉さんの手伝いをしながら働いて、勉強して。学校の先生になることができた。たくさんの自慢の生徒がいるよ。どこに君に文句が言えるって言うんだい。町から、カンパネルラの死から逃げているくせに!」


 二人とも水浸しだった。淡水と涙の区別もつかないほどに川の中でめちゃくちゃやった。

 「じゃあどうすれば良かったンだよ!逃げずに謝ろうたって誰も私を責めなかった!まず謝らせてもくれなかったンだから仕方ないだろ!」

 私は川から落ちた後、全くと言っていいほど怒られなかった。慰めと励まししかなったと言っても過言ではない。ごめんなさいで許されていた年齢だ。そのごめんなさいを言わせてもらえないのだ。

謝る相手がいないことで、私の中で罪の意識は目をそらすことのできない怪物になっていた。

 ザネリはジョバンニに、いや初めて人にこれほど大きな怒りをぶつけた。大人になっていく過程で必要な感情の整理をようやく行えた。ザネリは尻もちをついたジョバンニに跨り、胸ぐらを掴んだ。そしてもう抑えきれない涙をそのままにして弱々しく言った。

 「みんな私を置いて大人になっていく。あの子もおいて。…これ以上置いていかないでよ。」

 ズレていくテンポ。あの日から迷子の私はどうしようもなかった。

 泣き縋るザネリを、ジョバンニは拒絶しなかった。悪いことをして、怯えている生徒と同じ眼差しをしていた。だからこそ、言わなければならなかった。

 「大丈夫、置いていきやしないよ。だからこうやって話しているンじゃないか。君が進める方法を考えようよ。」

 「ジョバンニ…。でも私、どうしたらいいか分からない。カンパネルラの父さんや母さんに今更顔向けできない。どうしたらいい?」

 「簡単だよ、君が謝るべき今を生きる人間は、僕だ。」

 「…え?」

 「戸惑うことなんかないだろ。僕と君の繋がりなんてそれしかないだろ?あの時僕がどれだけ嫌な思いをしたか知らないだろう。君の言葉で不安が消えなくて眠れない夜もあったンだぜ。ザネリ、君も僕のことがそれなりに気がかりなンだろう。あんな顔であいさつされたら誰だって分かる。それなのに君ときたら僕に全然謝ってくれない割にはずっとカンパネルラに謝りたい謝れないって。」

 予想しなかった切り口にザネリは反応することができなかった。ジョバンニに乗り上げたまま固まるザネリの両肩を掴んでジョバンニは続ける。

 「君が理解するまで何度だって言ってやる。カンパネルラはもう戻ってこないンだよ。だから君はカンパネルラには一生謝ることはできない。カンパネルラに許してもらえやしないンだ。」

 ザネリの肩が震える。逃げ出したいと思うと同時に、今ジョバンニの目を逸らせば、取り返しがつかなくなると感じた。

 「だからこそだ。今を生きている人間で君が謝るべきなのは僕だよ。じゃないと君は君を一生許せないままだ。」

 ジョバンニは、実はそれほどザネリの過去の行いを怒っているわけではない。少年期のザネリのいたずらなど今となれば可愛いものだし、もしカンパネルラでなくザネリがいなくなっていたら、同じくらい悲しんでいただろう。それくらいザネリのことも大事だった。しいて言うならば、ジョバンニはカンパネルラと共に旅をすることができた。だからこそ前を向くことができた。あの旅がなければジョバンニもザネリと向き合うことが出来なかっただろう。ザネリは攻撃されて然るべきと思っている。だから村中のザネリを思遣る気持ちも、ザネリにとって裏返された攻撃でしかなかった。こればっかりはザネリ自身が気付かなければどうしようもない。

 結局己のことを許せるのは己だけなのだ。

「だからザネリ、君が謝るべきは僕だろ。」

東からちらちらと見えるお天道様だけが青臭い二人を見守っていた。


 結論から言うと、私の母とジョバンニは共犯関係にあったらしい。

 あんまり陰気すぎる私に母が心配したようだった。わざわざカンパネルラの命日に帰れと言ってくるあたり母の本気を感じたし、駅で偶然を装って再開したジョバンニも正直どうかと思った。私は生まれ育った景色が遠くなっていくのを見つめながら故郷を離れて初めての帰省を振り返っている。結局始発には間に合うはずもなく、昼過ぎの汽車で私は戻っていた。

 ジョバンニに謝ることで、ようやく自分の中で踏ん切りがついたようで、水を含んで重い服を引きずって帰り、満身創痍で覗いた鏡に映る私の顔は朝日と汗で照っていたし、瞳は充血し、瞼は腫れてこれまでにない醜悪さだったが、憑き物が落ちたような精悍な顔つきをしていた。母も私を見ると一瞬驚いた表情を見せ、すぐに笑顔で朝食の有無を問うてきた。久しぶりに母の純粋な笑顔を見ることができた気がした。

 ジョバンニは、かつて私が家に引きこもる前に、君にだけだ、と内緒話をしてくれた。

 曰く、あの日、満遍なく広がる星空を駆ける鉄道に乗ったこと。

 曰く、隣にはあの子がいたこと。

 私にはその情景を夢想する資格はない。しかし、必要もない。

何故なら私は、空想に逃げなければ生きていけない子どもではないからだ。私は、取り返しのつかないことをした。一生後悔して生きるつもりだったが、それもやめた。その代わり、もっと真剣に今を生きることにした。

 私もジョバンニも、星を見つめる理由は一緒だった。星空を見ていると、カンパネルラがそこにいるように錯覚していたのだ。ただ、彼は対話していたが、私はあの子に縋りついていただけだったのだ。

 今夜からは純粋に天体観察を楽しめそうだと私は思った。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ