【4月】ムービープレミア
公開を楽しみにしていた映画が今日から全国で上映される。
公開日がわかった瞬間に有給を取得していた私は、勿論朝イチの回を観るべく映画館に来ていた。
情報解禁時に物議を醸した作品だけに、平日とはいえ客足は多い。
チケットの心配?
前売り券も買っていたし、そこは何ら問題ない。
朝からトイレ対策にモチも食べてきたし、スマホも試写会の日以降起動していないからネタバレも踏んでいない。
準備は万端。
「九時四十分の回、“ツイアビ対シン・坂口安吾〜嵐を呼ぶアドゥレセンス・スキヤキ館のデス・ゲーム〜”の入場を開始します」
ロビーに案内がアナウンスされた。
私はワクワクと、少しの恐怖を感じながらもスタッフにチケットを渡し、記載されたスクリーンに入場。
“ツイアビ対シン・坂口安吾〜嵐を呼ぶアドゥレセンス・スキヤキ館のデス・ゲーム〜”は、シンギュラリティーを起こした最初のAIにして前人未到の領域に到達したAI映画監督である、マシーナリー宮崎メカ新海ハヤオ・ノーラン監督の最新作である。
私はこれが観たくてたまらなかった。
創造とは、人の欲求に尤もらしい理由を付与した言い訳のようなものであり、作品とはそういった言い訳に社会的なテーマを含んで意味とする複雑極まりないものである。
人類の歴史が始まってこれだけの時が流れれば、世界には人が作りしあらゆる物語が蓄積し、文脈は膨大であるので、後の世代の我々は最早それら全てを鑑賞・理解する事など不可能であり、今や創作物は老人に知識マウントを取られてムカ着火ファイヤーするだけの装置へと成り果ててしまった……だって映画観ててもガンダムとか、グリーン・ホーネットとか、知らんし。
だからこそ、私はこの映画が楽しみだったのだ。
人類のこれまで紡いできたあらゆる創造を一瞬にしてラーニングしたAIが何の思い入れもなく噛み砕いて羅列した、人の澱み等一切含まれていない、物語そのものが物語であり、意味そのものが意味であるこの映画が、マウントの道具と化した文化史に中指を立ててくれるはずだ。
本作を前に、人間のアイデンティティーさえ揺らぐであろうが、それはマウントを取り続けた老人達への仇討ちだ、別に何者でもない私達にとって、アイデンティティーなんて後からどうとでもなるのだから。
……うだうだ説明している間に映画泥棒も終わり、もうすぐ映画が始まる。
これから九十分、私の目は私の身体を離れ……この不思議な時間の中へと入っていくのだ。
文芸サークル『むちゃむちゃ海月味』のInstagramアカウント(https://www.instagram.com/muchamucha_kurageaji?igsh=NndteGl1N29obmUx)にて不定期連載中の『きまぐれ!むちゃくらマガジン』4月の部にて掲載されたものです。
テーマは「スタート」。
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