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第50話 必然

 つい先刻まで壁や天井が崩れ、瓦礫に埋もれていたはずの音楽室は、いつの間にか本来の姿を取り戻していた。潰れていたはずのピアノも、引き裂かれていたカーテンも、バラバラになっていた机も、割れたガラスも、すべてが嘘のように元どおりになっている。

 しかし、神獣は確かにそこにいたのだ。

 その名残が彼らの前に浮かぶ小さな粒状の物質――神獣の破片だった。

 それはまるで光を発するホタルのようにも見え、しばらくの間は昴と由布子の周りを漂っていたが、やがて風に流されるかのように閉ざされたままの窓を抜けると、ゆっくりと空へと舞いあがっていった。


「奇跡だ……」


 背後から聞こえた声に振り向くと、西御寺篤也が砕かれた右肩を庇いながら茫然と空を見上げている。そんな彼に昴は素っ気なく告げる。


「いいや、必然だよ」


 その声に強ばったままの顔を向けてくる西御寺に、昴はやはり淡々とした口調で付け加えた。


「俺があんたに負けていたら、柳崎と鋼鉄姉妹が力を貸してくれなかったら、未来が由布子を守ってくれなかったら、由布子が途中であきらめていたら、この結末はあり得なかった」


 昴たちはできる限りのことをやった。そして彼らに力を与えてくれた数々の人々――いまは亡き姉も含めて――そのすべての人々の想いと選択が、この結末をもたらしたのだ。

 もちろん、本当ならそれを奇跡と呼んでも構いはしない。実際、いくつもの幸運が昴たちに味方している。

 しかし、それでもその言葉は、そこに至るまでの道のりを、人々の意志や行いを無視しているかのようで好きにはなれない。だから昴はあえてこれを必然と言ったのだ。


「あんたには――わかんないか」


 昴は西御寺に対する怒りを忘れていなかったが、すでに敵意は向けていない。仇を討ったところで未来が喜ぶとは思えなかった。

 もっとも、西御寺がまだ彼や彼の仲間に危害を加えるつもりなら、今度こそ容赦するつもりはない。


「どうする西御寺、まだ()るか」

「無意味なことをするつもりはない」


 疲れたように首を振ると西御寺は背を向ける。そのまま立ち去るかと思ったが、そこで足を止めると、少しの間をおいてから彼は言葉を続けた。


「天使のことは報告しない。私の失点になるだけだ。敵は天使抜きで神獣を呼び出そうとして、それがゆえに失敗したことにしておく。神獣と互角に戦う姉妹のことも……そんなものは報告するだけムダだ。私の正気が疑われるだけなのでな」

「西御寺……」


 わざわざ安心させるようなことを言う西御寺に昴は意外そうな目を向ける。だが西御寺は後ろを向いたまま最後まで振り向くことはなく立ち去っていった。なにか心境の変化があったのか、それとも――その表情はわからずじまいだった。

 昴の隣で去りゆく男の背中を見送っていた由布子が、ようやく安心したように息を()き、昴に顔を向けた。


「終わったね、昴」

「ああ……。けど、落ち着くのは仲間と合流してからだ。それに、未来のことも捜してやりたいしな」

「そうね」


 昴の言葉に由布子は、やや表情を硬くして頷いた。西御寺は奇跡と言ったが、失われてしまったものは小さくない。それを失念してはいけなかった。

 表情を曇らせてしまった由布子に気づくと、昴はややイタズラめいた顔になって彼女の横にかがみ込んだ。


「それじゃあ、失礼して」

「へ?」


 膝の裏と背中に手を回して、いきなり彼女の身体を抱き上げる。俗に言うお姫様抱っこだ。


「ちょっ――なにを!?」

「暴れると見えちまうぞ」

「きゃあぁぁぁっ」


 真っ赤になって悲鳴をあげる由布子。ようやく自分が全裸にマントを羽織っただけの、極めてきわどい姿だということを思い出したようだ。慌ててマントを抑えるが白い素足までは隠すことができない。


(なま)めかしい足だな」

「なに言ってんのよ!?」

「いや、素足じゃ都合が悪いだろうから、上履きのある昇降口まで連れていこうと思ってさ」

「そういうことは抱き上げる前に言いなさいよ!」


 ポカポカと昴を叩きながら苦情を言う由布子。

 昴は気にせず笑いかけると、教室を出て白い輝きに満ちた朝の廊下を歩いていった。


(やっぱり、こいつには悲しい顔は似合わないな)


 と、内心でそんなことを思いながら。

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