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彼女が愛したルチアの記録  作者: 蜂屋弥都
第一章
2/7

02.忘れてはいけない記憶

「ルチアは、まだ部屋に閉じこもっているの?」


「はい…左様でございます。奥様」


あれから数日が経ち、ルチアはずっと部屋から出ずに閉じ籠ってしまっていた。


もちろん伯爵夫妻は心配していたが、ルイが去るのを止めなかった手前何も言えずにいた。もはや屋敷内ではルチアがルイに告白した事は周知の事実となっている。使用人たちもルチアに同情し、落ち込み続けて出て来なくなったルチアをどうしたものかと頭を悩ませていた。


ルチアとルイは幼い頃から片時も離れずに共に生活してきた。


11歳程の年齢で突然伯爵家に養子として迎えられたルチアは、酷く臆病で精細な心の持ち主だった。出会った当初は、ボロボロの服で、両親のことも、自分の年齢さえも全く覚えておらず、今にも消えてしまいそうなほど儚かった。


けれど子供に恵まれず、養子を考えていた夫婦にとって、女神からの授け物だと思った。

だから、その繊細な部分も愛おしく感じていた。けれど、その寂しそうな表情がぬぐい去ることは無く悩む矢先、同じく孤独と戦う奴隷の少年を夫が連れてきた。


僥倖なことに、その少年との出会いをきっかけに、徐々に朗らかになる娘の姿に、夫妻は大いに喜んだ。でも反対に危うい状況でもあった。


ルチアから少年を奪ってしまったら、また元の彼女に戻るのではないかと。


ルイが去り、ルチアが部屋から出なくなった屋敷の中はより静かになってしまった。ルチアだけでなく、屋敷のものたちはみなルイを家族のように思っていたため寂しく思っていた。


肝心のルチアはというと、もう何日もベットの中で泣き続けていた。涙は枯れることを知らなかった。


寂しい、苦しい、辛いよ。


これまで押し込んでいた喪失感が一気に押し寄せ、胸が苦しくて仕方がなかった。

ルイや他のみんなのおかげで、これまで強く孤独感や喪失感を感じる事は無くなったが、ルイとの一件があった矢先、途端にそれは強まり出した。


今まで強固にしてきた本心が、膜を破って出ようとしているように感じる。


強いショックを感じた事により、ルチアの中の何かが薄くなった壁をこじ開けようとしていた。


苦しい、寂しいよ。

「うぅ…ルイ。会いたいよ」


涙でぐちゃぐちゃになったルチアの表情は、必死に心の拠り所であるルイにすがった。けれど彼はもうルチアの傍にはいない。

彼自身がそう望んだから。


そう自覚するだけで、またルチアの孤独感は強まる。


ルイはもうここにはいない。

こんなに苦しいのなら、もういっそ______。




その時、ノック音と共に部屋の外から声が聞こえた。


「お嬢様、昼食をお持ちしました。入っても宜しいでしょうか」


ハッとルチアは布団から顔を出し、身をゆっくり起き上がらせる。


「うん」


軽く返事をすると、入って来たのは昼食のワゴンを押した侍女のメルだった、ワゴンには程々の量の食事と、下の方には洗顔用の一式が置かれていた。


ふと窓に視線を向けると、締め切っているカーテンの隙間から温かい光が煌々と盛れ出していた。


ちょっと前まで暗かったけど、もう昼になっていたんだ。


メルはすぐさま部屋のカーテンを勢いよく開け、昼食の準備を始めた。


外の光に強い眩しさを覚え、外に何気なく目を向けると一段と天気の良い空が見えた。


ぼーっと窓に視線を向けていると、メルの手が頬に触れた。

驚いて振り向くと、メルは心配げな表情でこちらを見ていた。


「……メル?」


そう言うと、メルは泣きそうになっていた。

一体どうしたのだろうかと頭を傾げていると、メルが洗面用具と小さな手鏡を渡してくれた。


「さぁお嬢様、お顔を洗いましょう。それと、温かいタオルを持ってきましたので、何度か目に当てて下さい。」


そう言われて、そんなに酷い顔になっているのかと手鏡を見ると、目は腫れ、泣きすぎて目元から頬まで涙で赤く腫れてしまっていた。眠れていないのもあり、隈が黒く浮き出ていた。最近全身を洗えていなかったこともあり、髪はボサボサで前髪も上がっていた。いつもは隠れている金色の瞳は、分かりやすくて濁っていた。


一瞬誰かと思った。

それ程酷い状態になっていた。


これでは、誰も伯爵令嬢とは思うまい。


「お嬢様、気が向いたらで構いません。一度は外にお出になりませんか?」


食事中に、メルはそう提案してきた。突然の事では無い、メルは良くこの提案をしてくれていた。しかし頑なにルチアは外へ出ようとしなかったのだ。


しかし今日は、外に出てもいいかもしれないと思った。


「うん、少し外に出てみようかな」


そういうと、メルは心底嬉しそうに、今準備致しますねと答えた。


今日は取り敢えず人には合わず、外の空気を吸うために庭に出る事にした。

気付けば季節は秋に差し掛かり、徐々に定演の草木に赤みを帯び始めていた。


ルチアはぎこちなく進み、片手をメルが支えてくれていた。


養母が丁寧に手をかけて育てた花壇には、種類ごとに分けられた花々が美しく咲いていた。草木も丁寧に管理されており、この庭はいつ見ても完璧だった。


ゆっくり歩いていると、噴水の近くにたどり着いた。


決して大きくはないが、人が数人泳げるくらいの水嵩がある噴水で、ゆっくりと静かに流れる水の音が、どこか心を落ち着かせてくれる。


縁に腰掛け、流れ出る噴水を背に一休みすることにした。少々風が強くなって来たため、メルが上着を持って来ると言って離れた。


一人で外に出るのもたまにはいいものね。


ゆっくりと胸に手を当て、未だ締め付けられる心臓を感じる。心臓の鼓動を感じると、全身に冷たさが広がる。身体が震えて、手先が徐々に冷たくなるのが分かる。


ルチアがずっと痛みを堪えてきたこの症状がなんなのか、ずっと疑問だった。医者に聞いても以上は無いと言われ、こらえる事しか出来なかった。

最近の新しい研究では、心にも病があると発表された。しかしそれを信じるものは未だ極わずかで、治療法も確立されていなかった。


人は心を強く持てば大丈夫とか、気を紛らわせたら直ぐに忘れるとか、それしか言わない。


では、きっと私は強く心が出来ていないのかもしれない。だって、そうでなくては、この痛みは何故治まらないのだろうか。


いつしかルチアの誰にも相談できずに耐え続けてきた風船のような心が、膨らみすぎて破裂しそうな状態にまでなっていた。


このままだとまた捨てられる。


ルイもこんな私を置いていった。


そのくせ地味で臆病な私が、生きてる価値などあるのだろうか。


私なんかが居たらこの家も迷惑なのではないか。迷惑を掛けて、全く貢献しない養子を捨てたがっているのではないか。

考えれば考えるほど暗く沈んでゆく。


一瞬思い浮かんだ感覚が、ルチアの心を想像以上に軽くさせた。まるで、その答えを探し求めていたように。


背後の噴水の音がやけにうるさく感じた。


例えると、未まで閉じていた膜が破れて、海中から上がったように、音がクリアに聞こえた。


「ーー。ぇーュ」


微かに誰かの声が聞こえる。

「…え」


ざーと流れる水の音が強くなる中、微かに誰かの声が聞こえる。

「だれ?何を言ってるの?」


当たりを見回してもその存在は確認できない。それでも誰かの声が聞こえる、


「ーー。ーェ、ユエ!」


「へ?」


気付くとそこは崖の上だった。それはそれは高い崖の上に、ルチアは座っていた。その先は広大な海が広がっており、地平線の先に光る夕明りがとても綺麗だった。


徐々にルチアの気持ちは晴れていった。


今、会いに行くからね。


そんな言われのない感情が駆け上がり、ルチアは海の先へと手を伸ばした。そして、ルチアの体はゆっくりと体を傾け、海に落ちていった。


あぁやっと、あの人の元に行ける。


「お嬢様!」


ハッと意識を戻したのもつかの間。気付くと噴水の中を覗き込む体勢になっており、驚いて縁に置いていた手を滑らせてしまった。


体を支えるものがなくなり、目をつぶると何かに強烈にぶつかる衝撃と、息苦しさで意識が徐々に薄れる。


微かに聞こえるルチアを呼ぶ声が最後まで頭の中でコダマした。


目を開けると、そこは太陽と海が接触する地平線の沖。眩しくも美しい世界の動きが一望できた。


町外れにある海の突き出た崖の上で、ユエはいつものように海を眺めていた。夕日が沈み始め、周囲が赤赤と色を変化させてゆく。爛々と光る太陽に反射して、彼女の金色の髪が黄金に輝く。


「おーい、ユエー、おーーい」


名を呼ばれ振り向くと、黒髪の背の高い女性がこちらに駆け寄って来ていた。


「またここにいたのね、ほんとユハはここが好きね」


「ああ、海の音が心地いい。心を一緒に洗ってくれるみたいだ」


黒髪の女性は無言でユエの隣に立ち、同じ方向を眺め始めた。


「おい!隣に並ぶなと言っただろ!」


「ふふ、まだ小さいって言われたの気にしてるのー?」


「うるさい、お前が無駄にでかいから」


「あはは!、確かに私、普通より背が高いからね」


「何故だ……」

心底悔しがる小さな少女の様子を愛おしげに見ながら笑を零し、黒髪の少女はまた景色に目を向ける。


「ねえユエ」


「なんだ」


「私たち、この国をこれからもこの海のように、いつまでもどこまでも綺麗で済んだ世にできるかな」


ユエはチラッと隣の女性の顔を見上げた。いつも世界を睨みつけるように力強く世界を見ていた彼女の目には、何処か怯え混じっていた。


それもそのはず、彼女は革命を成功させ、いよいよこの国の女王として君臨する。弱気になるのも仕方がない事なのだろう。


「さぁな、そんなのは分からん」


「えー、すごく真剣に聞いたのに!」


頬を膨らませながら怒り出した彼女は、やはり女王には見えなかった。


ユエには、年相応の少女に見えた。


ユハは少し考え込むような表情をした後、また眼前の景色に目を向けた。


「ただ、もしお前が間違いを起こしていると感じたら、一発殴り飛ばしているだろう」


「……っぷ、あははは!!」


一瞬の間と共に、彼女は大きな声で笑い出した。終いにはお腹を抱え始め、ユエは恨めしそうに彼女を睨んだ。


そんなユエに目を向け、滲んだ涙を指で拭いながら、彼女は深呼吸をした。そうして心底嬉しそうに、ユエを正面から見つめた。


「そうね、今の私にそんなことができるのは、もうあなたくらいだわ。……だからユエ、これからも私のこと、見ていてね」


「何を当たり前のことを、決まっている。お前が天帝の元に旅立つその日まで、な」


「うん……」


その答えに彼女は安心したのか、再び海を眺め始めた。その目は、もう怖がってはいなかった。


お前がどこにいようと、誰になろうと、決して側にいる。だから、お前も私の元から去らないでくれよ。


どこまでも続く地平線をキラキラした瞳で眺める少女の顔を人知れず眺めながらユエは誓った。


自分はこの輝かんばかりの陽の光を決して失わないと。


瞬いたた同時に、ユエの周囲は暗転した。地面も天井もない、ユエ以外のもの全てが暗闇と化した。


すると突然辺りは宮殿の中に変わり、周囲に多くの人が立っていた。皆下を向き、泣いている者もいた。ただただ静かなその空間の中央には、大きな棺桶が置かれていた。そこに眠っているのは、さっきまで共に話をしていた彼女だった。


「ああ、どうして…、こんな」


そしてユエは信じたくなかった。


そうだ、私は守れなかった。

何が守護だ。

何も守れてないじゃないか!


ユエは両手で顔を覆った。もう何も見たくなかったのだ。感じたくも、知りたくもなかった。


けれど同時に、決して忘れては行けない罪。自らが半身を死なせてしまった自分は、もう堕ちたも同然だ。


「置いていくな、陽凛!!!!______」




ハッと気付けば、先ほどの世界とは全く別の世界の、暗い一室だった。


今のいままで息をしていなかったかのように酸素が足りない。記憶が混乱していた。明かりが消された部屋の暗闇が、夢の出来事を彷彿とさせる。


違う。夢じゃない。

身体が、心臓が、血が言っている。

これは現実だと。


今の今まで忘れていた。

最愛の記憶。


「ああ、あ…。あああ」


その時ルチアは全てを思い出した。



「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」


自分が何者であるのか、自分が大罪を犯した守護龍ユエであったことを_____。


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