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彼女が愛したルチアの記録  作者: 蜂屋弥都
第一章
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01.最初で最後の恋

「す…好き!ルイ、あなたの事が好きなの!」


日が傾きかけたオレンジ色の空と、フォランド伯爵邸自慢の庭園をバックに、ルチア・フォランド伯爵令嬢は一世一代の告白をしていた。


手には汗が滲み、握り締めたスカートはもうシワシワである。心臓の鼓動が止まらずドクドクと盛大に鳴り、それでも泣かないようにすることだけがビビりなルチアの全力だった。対する告白相手であるルイは、少女の必死な告白を動じることなく受け止める。けれど、そのエメラルドブルーの瞳は伏し目がちで、僅かに陰りがあった。


「だ、だから…私と。私と」


「…申し訳ありません。」


「ふぇっ…」


「私は貴方様のお気持ちにお答えする事が出来ません。」


はっきりと放たれた言葉に、ルチアは元々俯きがちだった頭がさらに下がる。


「そ、そうだよね…。いきなりこんなの、迷惑だよね」


「いえ、恐れ多い事です。」

長い前髪で表情は見えないが、零れ落ちる雫のせいで泣いていることはバレバレだ。


ルイはそんなルチアの様子に苦虫を噛み潰したような表情を一瞬見せ、それを隠すように頭を深く下げた。そして、更にルチアを失意のどん底に叩き落とす一言を放った。

「お嬢様、本日をもって貴方の従者を辞めさせて頂きたく思います」


「…へ?それって、どうゆう」


ルイはゆっくりその銀髪の頭を上げ、俯きがちな青い瞳を無理やりルチアに向けて言い放つ。

「言葉の通りです。もう、これからは貴方の従者でいる事はできません。」


「え?そんな…、そんなの嫌だよ!だって、だって、ずっと守ってくれるって!言ったじゃない…」


縋り付くように言い募るルチアの瞳は、既にもうルイの瞳と合うことはなかった。前髪が長くて表情が読めないルチアの心を、いつも理解してくれていた優しい瞳は、もうルチアを見ていなかった。


「ごめんなさい。私がみっともない主人だから…だよね。でも、頑張って立派な主人になるから、私頑張るから…。どうしても、従者で居続けてくれることはできないの?離れたくなんかないよ…」


ルイはルチアの切なる願いに応えることはなく、少しして重く言葉を紡ぐ。


「申し訳ありません。どうしてもお守りしたい方ができたのです」


こうして一人の少女の小さな恋心は儚く砕け散った。


ああ。何とも呆気ないものだ。


人の感情は千差万別、人の数だけ好みや趣向もバラバラで選びようがない。この2人はたまたま一緒にいたけれど、気持ちが合致しなかった。それだけの事だ。


だから人は面倒だ。そもそも幸せとはなんだろう。学んで、働いて、結婚して子供を産んで、年老いて死ぬ。皆がそうだ。それを幸せと呼び、苦しみを前に縋り付くなんとも愚かな生き物だ。


では、もっと長い人生だったら、人間はそうは考えなかったのだろうか。こうやって人間たちを愚かだと言う私たちは、果たして本当に幸せなのだろうか。

ああして小さな恋心を燃やしたまま、誰にも受け入れられずにいる少女と、私は何が違うだろうか。


ああ、悲しいな。

また一人ぼっちだね。

私を受け入れて欲しかった。


これは私の最初で最後の恋だ。



◆  ◆  ◆


昔から常に海中から空を眺めているような感覚があった。


静かで音もない空間が周囲には広がってるのに、その海面を超えた先には、喧騒で溢れていた。私の意識と現実の間に薄い膜があって、夢の中にいるような、そんな感覚。


でも、その世界から抜け出して、膜の外を超えると、私は壊れてしまうんじゃないかと思うくらいに、寂しさが鬱陶しくまとわりつく。何か、とても大切なものを失ったような喪失感と孤独感は、意識を朧気にしていないと強く感じる。


眠っていた方が悲しさを紛らわせるように、この悲しみは、起きちゃいけない。


決して心が目覚めてしまわないように、慎重に、静かに、そして小さく生きなければ。


ルチアがフォランド家に来て少し、養父が連れてきた少年の瞳を今でも忘れられない。

身を震わす喪失感と孤独に、諦めの籠った瞳の少年は、その何も移さぬガラス玉を通して、ルチアに笑顔で挨拶した。


一目で同類だと思った。

だから、従者であり、兄妹としてそばに居てくれることに心底嬉しく思った。同じ寂しさを抱える同志なら、この寂しさを和らげる事が出来ると思った。


恋心を抱き始めたのはそう早い段階ではない。きっかけは、彼のある一言だった、


ずっとお守りします。


"ずっと"とは、いつまでのずっとだろう。

何年までだろう。私がおばあちゃんになるまでかな。


それでも、とても魅力的な響だ。


だから心底嬉しかった。彼はきっと私の求めたピースの穴を埋めてくれる。この水の中から私をすくい上げて、寂しさを埋めてくれる人なんだと。そう思ってた。

これが恋でなくても叶わない。

これからも共に居てくれる存在が欲しかった。


彼のいつまでも晴れない影る瞳が、優しく細められる瞬間が、心底好きだ。


けれど、半年前からだろうか。

彼の瞳が澄み渡り、青々と光出したのは。


その頃には既にもう、彼は別の大切なものを見つけていたのかもしれない。


「お嬢様…。失礼致します」


控えめなノックと共に、数秒間を開けて馴染みの専属侍女メルが部屋に入ってきた。


「…良いのですか?間もなく彼が出立されますよ」


不安気な面持ちで主人の返答を待つメルは、ルチアが憔悴しきっていると感じ、どう言葉をかけていいのか分からず、口を何度か開閉

していた。


「……無理だよ。だって、ルイとどんな顔して会えばいいのか分からなくて」


「ですが、これが最後かもしれないのですよ。お嬢様はそれで本当によろしいのですか?」


ルチアは奥歯をグッと噛み締め、途端にすがるような表情になると窓に駆け寄り、外の様子を見つめた。


外には、今まさに荷物をまとめ終わり、馬車に乗って最後の挨拶を済ませようとするルイの姿があった。遠くからでも分かる銀色の美しい少年は、見慣れないシックなベストを着ていた。


ルイの顔を見た瞬間、ルチアは破顔して涙をポロポロと流し始めた。


「わたし、どうすれば良かったのかな…。私が臆病でずっと前に進めなかったせいで、ルイはどんどん私を追い越して…、いつの間にか、ルイの妨げになってた」


立つ気力すら抜け落ち、窓辺で膝をつき、その目に貯めた涙を余すことなく流した。もう止められる気がしない。


「うわぁぁーーーーー!!!!」


「お嬢様…」


メルが泣き崩れるルチアの横にそっと膝を付き、背中を優しくさすった。

その手はとても、温かいはずなのに、身体の奥は徐々に冷えていくばかりだった。


ルチアが窓から目を離した本の数秒後、ルイはルチアの部屋がある窓に視線を送った。あの日より、本当に最後の最後まで、顔を表さなくなったルチアにどこか苛立たしさを感じながらも、変わらず自分が居なくなった後の彼女の幸せを願った。


結局窓からも出てこず、諦めたように視線を正面に戻した。


そんなルイの姿に、見送りをしていた夫人は申し訳ない表情でルイに言葉をかける。


「…ごめんなさいね、ルイ。あの子どうしても貴方と会いずらいみたいで。本当に、これが最後かもしれないのにね」


「いえ、全ては私の身勝手な行いが招いたもの。何も聞かず行かせていただけるだけでも、とても感謝しております。お嬢様にも、よろしくお伝え下さい」


「ええ、必ず伝えます。どうか無事で、ルイ。あなたの事、本当の息子のように思っています」


そう言って夫人はルイの肩に手を置いた。ルイはぎこちなく夫人の少しシワのよった手に自分の手を重ねた。


「たまには手紙を寄越しなさい。悩んでることや嬉しい事でもいい。寂しくなって帰りたくなったら、何時でも帰っておいで」


次に夫人とは逆に、涙を必死に我慢し眉間にシワを寄せた伯爵がルイに言った。


「はい!」


ルイは何だかむず痒い気持ちと、温かい気持ちが胸の奥で広がり、徐々に離れ難い思いが強くなっていった。気持ちをなんとか引き戻し、ルイは左脇に置いていたカバンを持ち直し、姿勢を強めた。


「今まで本当にありがとうございました。どうかお元気で」


徐々に屋敷と距離が遠ざかるのを眺めながら、ルイは改めてフォランド家とルチアの事を考えた。


フォランド夫妻と使用人達とは、恐らくもう合うことはないだろうと薄々感じ取っていた。ルチアとは、あと数年で学園にて再会を果たすだろう。だが、彼女との縁はこれで切られたも同然だ。もう話す機会もない。学園は同じでも、学年や選択科目、志す道もきっと違う。

そしてルイの遠い未来に、彼女は居ない。


これで良かったのだ。

ルイは心底そう思った。


名残惜しさはあるものの、どの道付き纏ってくることになるこの別れの感覚には、慣れていかなければならない。


ルイは、ゆっくり瞑った目をギュッと強めてからゆっくり開けると、音のない声で言葉を発した。


「――――」


こうして2人の少年少女の道は分かたれた。


けれど二人は知らない。

この後、二人が抱える自らの運命が、お互いを巻き込んで行く事になろうとは。



文章の変更を行いました。名前や設定に一部変更があるため、最初からもう一度お楽しみください。

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