第2話 剣聖の息子と勇者の娘
□■□■――リクト移動中――□■□■
恥ずかしくなった。死にたくなる。自分の抑えられない感情をレイナにぶつけてしまった。レイナはただ純粋に僕を元気づけようとしていただけだろう。そんな優しさに甘えて、剣聖の家系が本来守らなければならない主君に八つ当たりをしてしまった。
主君なんて言えるような実力も無いが。
【レイナ・ヴィスナ】――ヴィスナ大国の第一姫であり、賢者と国王の間に生まれた『世界最高の魔法使い』と呼ばれる天才だ。文武両道であり優れた容姿に隙の無い振る舞いは周辺諸国に留まらず、帝国や教会にまで名を轟かせている。
魔力が開花する前はもっと上手く自分の気持ちを伝えられた。どちらかと言えば僕の方がレイナを連れ回していたぐらいだ。いつも後ろを必死で追いかけてきたレイナが、今はずっと先を歩いているように見える。
そんな現実を振り払うように木剣を何度も振り下ろす。
リクトが現在いる場所はヴィスナ学園に設置されている『訓練場』だ。
授業をサボって木剣を精一杯振り下ろしている。訓練場は授業中のため誰もおらず、静かな室内には木剣の風切り音だけが鳴っていた。実力差を少しでも埋めようと無意味な努力に勤しんでいる――っと付け加えてもいいかもしれない。
リクトは基礎を積み重ねた教科書のような動きをしている。一つ一つの動作が綺麗にまとまっており、実戦向きかと問われれば武芸を見ているような気持ちにさせる。特徴的な自分の形などは無く、歴史を積み重ねて誰でも使える剣術の基礎そのものだ。
そして最初に言っておくが、僕は剣聖の息子でありながら剣術の才能に恵まれた『才能を発揮しきれない天才』では無い。剣術で満点の成績を出せているのは運が良かっただけだ。僕は基本だけはできていると言うだけのこと。魔法なしの剣術勝負ですら、僕はレイナやアーサーの足元にも及ばない。
そんな訓練場の出入り口からこれまた声をかけられる。
「やぁリクト、授業をサボって剣を振るなら私も誘ってほしいものだ」
静かな声色をしているがどこか知性を感じさせる女性の声。ゆっくりと近づいてくるがその足取りは聴覚すらすり抜ける。つまり足音が聞こえない。そして洗練された動作は移動しているだけで格の違いを分かりやすく教えてくれた。
それほどまでに動作の一つ一つが洗練されている。
レイナ・ヴィスナと言う幼馴染を『道理』と表現するのならば、もう一人の幼馴染であるこの人はいろんな意味で苦手で、そして『無理』だ。道理とはあまりにかけ離れていて、それは矛盾を通り越して概念の外を眺めているような空虚な瞳だ。
「レイナの次はリリスか」
「ハハ、そんな嫌そうな顔をしないでくれ。レイナが教室で落ち込んでいたよ。愛しい騎士様が酷いことを言ったんじゃないのかい? 結果が出た日はいつもここにいるね」
「分かってるなら邪魔をしないでほしい。レイナには申し訳ないことをしたと思ってる」
「そうだね。ただでさえ王族として冷たい仮面をかぶり続けているレイナだ。心の拠り所を君から崩すのはどうかと思うよ? 些細な一言で女は傷つくからね」
心を突き刺す言葉、しかし覇気のようなものを感じない。心のこもっていない人形と会話をしているような不気味さを感じる。だからだろうか? リリスとの会話には感情を揺さぶられない。僕みたいな人間が内心でリリスとの会話に文句がないと認めている。
故に異常事態が起きていた。
「分かってる。それよりリリスほどの有名人がこんな所で僕と話していいの? ロイド様とジャンヌ様の手伝いとかあるんじゃない?」
自分の感情を包み隠さずリリスには伝えられる。一番伝えたい相手には伝えられないのに……なぜだろう? 何故だろう?
「突進馬鹿なお父様と頭の中がお花畑なお母様の手伝い? 魔王を倒しただけで英雄扱いされているだけのあの人たちじゃ、世界の本質は変えられないよ」
とんでもない発言に木剣が手からスルリと地面に転がり落ちた。そして大慌てで周囲を確認して誰もいない事に安堵の表情を浮かべる。さすがに今の発言は洒落になっていない。年寄りが話すブラックジョークを軽く超えた発言はどうかと思う。
苦笑いを通り越して驚愕しちゃったんだけど!?
そんなつまらない内心のツッコミを読み取ったのか、リリスがクスリと笑みを浮かべた。
「勇者様と聖女様になんてこと言っちゃってんのさ!?」
そう、目の前にいる【リリス・ドラゴニクス】はこの世界で英雄として名を轟かせている勇者と聖女の一人娘である。これも剣聖である父親の影響と言えよう。知り合いがどいつもこいつも有名を通り越した英雄ばかり、そんな中で凡人として生まれてしまった僕に居場所なんて無い。こんな冗談でも誰かに聞かれれば首が飛ぶ。
少なくとも『平民の母親』との子である僕の場合は。
「アハハ! いいじゃないか、こんな冗談もリクトの前でしか話さない。君の目の前にいる私はこの世界で最強なのだよ? レボルシオ帝国やラスエル教会にも化け物みたいな人間はいるけど私ほどじゃない。三大迷宮も踏破したからやることが無いんだよ」
「馬鹿みたいな冗談が好きみたいだね」
三大迷宮なんて存在するかも分からないおとぎ話の一つじゃないか。見つけるだけでも偉業なのに、踏破なんてしたら世界各国から目を付けられる危険人物になってしまう。確か三大迷宮には世界を滅ぼすほどの力が眠ってるんだっけ?
まぁ、子供が読む有名なおとぎ話の内容だ。三大迷宮を踏破するよりも人間が空を飛ぶ方が簡単だろう。
「冗談はたしかに好きだけどこれは事実だよ? ……まぁいいか」
「どうしたの? あらたまって」
「私ならリクトを強く出来る。こんなちっぽけな場所で君の剣術を腐らせるのは勿体ないと思ってね。――レイナを諦めて私の騎士になるつもりは無いかい? 君は魔法が絶対的な力だと思っているようだけど、そうじゃない」
そう言いながらリリスは壁際に革ベルトで取り付けられている木剣に手を伸ばした。そして器用に木剣を引き抜くと、切っ先を白の塗装が施されている壁へと向けた。木剣を握っただけで世界各国の美術家が目を見開くような美しい光景が広がる。
きっちりと伸び切った背筋は誰に見せても恥ずかしくないボディーラインを浮き上がらせており、まっすぐ伸び切った右腕と視線の先に映る『銀髪』は粉雪のような儚さを感じさせる。
「私だけを見て」
「えっと、そんな含みのある発言はしないでほしい」
「今日の私の下着は純白。ついでにレイナはスケスケで漆黒」
「――……!?……――」
今の発言にどういった意味があるのだろうか? そもそも意味なんて無いのかもしれない。異性に対して下着の話を持ち出す女性の『性』事情。と言うよりも生活環境に問題があるのか? どういった教育方針を勇者様と聖女様はなさっているのだろうか? お宅の娘さんは知らないうちにとんでもないことになってますよ!?
そんな自問自答をリアルフェイスで行いながらリリスのボディーラインに視線を向けて、僕は脳内で純白の下着を着用させていた。銀髪に純白……綺麗すぎないか? まるで太陽の眩しさが限界を超えて視線で直視できないほど白いイメージが!?
ついでにレイナも脳裏でこっそりと……いやいや。夜空のように漆黒なエロ下着と月のように綺麗な金髪など想像していない。レイナはリリス以上に色気のある体形をしているが間違っても僕は変態じゃない。年頃の少年なのだから許容範囲だろう。
やはり勇者と聖女の娘か。精神への攻撃が上手すぎるぅ。
「アハハ! リクトに捻くれた性格など合わないよ。君は君が思っている以上に真っ直ぐな人間なのだから、最初はそのぐらいの馬鹿な表情を浮かべるべきだ」
「見透かしたような発言はやめてくれ! だ、大体……その本当なの?」
終わった。最初に卑屈なキャラを通そうとした僕のイメージはインフレを起こしたように一周してしまったかもしれない。これはいろんな意味でマイナスにしかならないのではないだろうか?
「私が純白なのは本当だよ? レイナについては勝手な想像だけどね。あぁ、想像するなら下着の真中に付いている小さなリボンも忘れないでほしい」
どういうこと!? 真中にリボン? 左右じゃなくて!? 全く想像できないんだが、それはそもそも解けるのか? 解くとどうなって……これ以上はまずい。
「それより、剣術を見せてくれるんでしょ? 僕で遊ばないで」
「あぁ、そうだったね。ごめんごめん……リクトはこういう話をすると反応が面白いから時間を忘れてしまうよ。見ていたまえ」
自分の頬がとても熱い。でも違うから!
リクトはあらためて学年一位であるリリスに視線を向けた。何をするのか少しだけ興味がある。僕は木剣を膝元に降ろしてリリスを見た。とても静かで、とても冷たい雰囲気だけが周囲を包み込む。
先程までの冗談が嘘のようだ。
そしてリリスは魔法を使っていない、はずだ。魔法は変に光輝くから何となく分かる。それからゆっくりとリリスは木剣を構えて……――木剣を壁際に取り付けられている革ベルトに戻した。
意味が分からず、呆気にとられたような声が漏れる。
「え?」
なにもしていない。ただ木剣を構えただけだ。
「ちゃんと振ったよ? 木剣を見てみなよ」
「そんなわけ無いじゃないか。何もしてなかった」
リクトは訝しげな表情を浮かべながら冗談を言っているリリスを少しだけ睨んだ。将来ほぼ確実に英雄となるリリスの剣術を、こんな面白くもない冗談で流されてはイラっとしてしまうのも無理はない。
しかし――その木剣に目を見開く。
あり得ない光景に状況を正確に理解できなかった。
「なに……これ?」
その木剣の刀身は砂のように崩れていき、そして塵となって消えた。
「速度の限界を超えると物って固形で居られなくなる。 ね! すごいでしょ? 私と一緒に誰よりも強くなろう。レイナを忘れて私を見てほしい」
無機質な表情を一変させて可愛らしい素振りを見せるリリス。偽りの仮面を脱ぎ捨てたように問われた言葉――しかしそれだけは許容できない。
「僕を馬鹿にしすぎだ。リリスが僕の目を盗んで魔法を使うなんて朝飯前でしょ? 本当に冗談が好きみたいだね。僕はレイナの為に今も嫌いな剣を振り続けてる。レイナは僕の幼馴染で……大切な人だから。無駄な努力だけど」
自分で言っていて恥ずかしくなる。子供の頃にした約束を未練がましくもいまだ鮮明に覚えているのだから。リリスのことは好きだけど、こう言ったやり取りも本当に好きだけど、それでもその願いにだけは答えられない。
「リクト、私も一応女の子なのを忘れていないかい? 嘘つき呼ばわりされると傷つく。この方向には……まぁ問題ないだろう。はぁ、強すぎる力はリクトがもう少し強くならないと共感できないみたいだね。それにレイナの話をそんな顔でしないでほしい。悲しくなってしまうよ」
僕はどんな表情を浮かべているのだろう? 先程と比べると頬の熱さは感じない。少しだけ眉間にしわが寄っている気がする。視界が細くなっているから真面目な表情だったのだろうか?
リリスはそう言いながら出入り口に向かっていった。
どうやら訓練場から出ていくらしい。
銀髪をクルっと回転させて遠心力でふんわりとスカートが持ち上がる。可愛らしい純白の下着には視線を持っていかれることは無く、舌を出しながら「リクトのバーカ!」と言った可愛らしい表情と声が脳裏に刻み込まれた。
そしてリクトは気付いていない。訓練場全体が目を細めて見ないと理解できない切れ込みが入っていたことに。訓練場いや、学園全体に直線上の切れ込みが入っている。そのことに学園で生活していた生徒達は誰も気づいていない。
これは後日談だが、その斬撃の結果――あと数年で冬眠から目覚めるはずだったヴィスナ学園の地下に眠る邪竜やヴィスナ大国を滅亡させるために暗躍していた闇ギルド【ラズベリーパイ】の幹部も一刀両断されていた。
つまるところ、リリス・ドラゴニクスはこの物語で本当に最強なのである。
読んでいただきありがとうございます。
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