第39話 雪降る箱庭にて
昨夜から降りはじめた雪は、アンゼルムの箱庭に静けさを被せていた。
館の二階、火の気のない廊下を、ジゼルが松葉杖をついて歩いていく。
彼女はふいに立ち止まった。杖を持っていない方の手で、曇った硝子窓をぬぐって、窓の外を覗き見る。舞いおちる雪が地面へと吸い込まれて、見渡すかぎり、白い布に覆われているかのよう……。
森へと視線を移して、彼女は冷えた唇を噛む。白瑪瑙の肌が青ざめて震えるのは、何も寒さばかりが原因ではなかった。
(リィリエ……あなた、どこに身を暗ませてしまったの)
疲労のにじむ顔が硝子に映って、ジゼルは溜め息をついた。
昨日は様々なことがあった。カーティスの運命の相手狩りに赴いたのを発端に、人に変化できる魔物マルギットと出会い、ジゼルは左肢を負傷して、カーティスの死を目の当たりにした。そのあとでカーティスの妹ミアを保護して……そして、リィリエが夜半に行方不明になった。
カーティスの死体の回収、およびリィリエの捜索は、二班の狩人が行なっている。ジゼルは左肢の接合をしてもらったばかりで、きつく包帯が巻かれた足は、罅が元通りになるまで動かすことを禁じられた。二班に同行するなど、もってのほかだ。
……リィリエは見つかるだろうか? ジゼルの脳裏に、白くやさしい少女の面影がよみがえる。
(早く帰ってきなさいな。ミアに二度と会えなくなってしまうわよ)
ミアは狩人にはなれない。魔物に傷つけられていないからだ。おそらく彼女は近いうちに箱庭を発つだろう。
リヒトとルカが今日、箱庭に支給品を運ぶ予定だ。もしかするとその時に、ミアは魔導騎士たちに引き取られるかもしれない。
いつの間に力を込めていたのか、窓にあてた指先が滑り、濡れた硝子が鳴った。その音に物思いから覚めたジゼルは、かぶりを振って窓から離れ、杖をついて階段へと向かう。自室で養生するよう言われたけれど、ジゼル以外に人のいない部屋は静かで寒くて、不安が掻きたてられてしまう。
(アンゼルムさまに、何か手伝いが必要ないか伺ってみようかしら)
こんな気持ちのままじっとしていられない。それに、リィリエの捜索に進展があったなら、真っ先にアンゼルムに報告がいくだろう。
ジゼルは決意をかためて、下り階段に足をかけた。
いつもは軽やかに駆け降りるきざはしが、やたらと長く感じる。なんとか降りきると同時に溜め息が漏れた。一息ついて、庭長室へ向かおうとジゼルが顔を上げると、玄関のあたりから喧騒が聞こえた。
(なに?)
幼子たちが、ジゼルを追い抜いて玄関へと走る。嫌な胸騒ぎがして、自然とジゼルも玄関の方へ杖を向ける。
玄関広間では、狩人たちが群れ集っていた。外の様子を見ようと騒ぐ子どもたちを、扉の前で止めているのは、ウルツをはじめとした年長の狩人たちだ。
「何かあって?」
ウルツに近づいて問いかけると、彼は困惑した表情をジゼルに向けた。
「アンゼルムさまの加護の聖域が破られたって、報告が」
彼の言葉に息を飲む。
加護の聖域は、箱庭に魔物が立ち入れないよう結界を張る、庭長の能力だ。箱庭をぐるりと囲う塀に、五芒星のかたちに輝石を埋め込んで、塀は陣となっている。輝石を陣から除くか、アンゼルムの息の根を止めるしか、解除する方法はないはずだ。
「……ジゼル!?」
ウルツが止める声は、彼女の耳には届かない。
ジゼルが玄関扉を押しあける。雪の白がまぶしくて、視界が眩む。それに構わずジゼルは雪に杖を突きさして、屋外へと出た。次々と舞い散る白い雪が、彼女の頬をかすめ、黒髪にまといつく。
──アンゼルムは庭長になってから、この箱庭を出たことがない。だから外から結界を破るには、輝石を打ち壊して陣を破るしか方法がない。輝石のことは、森の外にいる者たちは誰も知らないはずだ。
……そう、狩人を除いては。
明るさに慣れた視野に、橙色の色彩が映る。塀のむこうに群生する木々が、炎を上げているのだ。ジゼルの動きが止まる。
しかし、火の近くで向かい合う複数の人影を目に捉えると、ジゼルは杖を強く握りなおした。影は全部で五つ、ひときわ大きいものがひとつ。
「リィリエ! お前、どういうつもりだ!」
ルカの声が鋭い風に乗って届く。次いで、硬い金属音がふたつ響く。
刃を交えているのは、右腕を三日月斧に変えたルカと、大鎌を具現化させたリィリエ、そしてもう一対、左腕の鎚矛を突き出したリヒトと、鎚矛を爪で受け止めた魔物だった。
リィリエと魔物が、魔導騎士ふたりの武器を弾き返して、身を寄せる。
ジゼルは目を見張った。狩人と魔物が共闘している? それに、あのリィリエの武器はなんだろう。まがまがしいほどに大ぶりな大鎌。前に見た時は、半月刀くらいの刃渡りだったのに。
「お願い、話を聞いて。ルカ、リヒト、アンゼルムさま」
リィリエが悲痛な声で訴えた。
皆のところに辿り着いたジゼルは「どういうこと」と鋭くリィリエに問う。
「そこにいるのは、魔物じゃなくて。リィリエ、あなた箱庭に魔物を連れ込んだの? 輝石を壊してまで……何を考えているの!」
批難の声を投げたジゼルに、リィリエは一瞬びくりと身を竦ませた。
しかし彼女は怯まずに、すぐに顔を上げて、琥珀の瞳をジゼルに向ける。
「わたし、どうしてもみんなに聞きたいことがあるの。だけどそれを聞いたら、わたしの身に危険が及ぶかもしれないって、ラウは……この魔物は、わたしに同行してくれたの。輝石は壊さず、ここに。……輝石を返すまでの魔物除けのために、屋外灯を森に移して火を焚きました。わたしの問いに答えてくれたら、わたしは輝石を返して、ラウと共にすぐに箱庭を去ります」
瑕ひとつついていない青い輝石を掲げて、アンゼルムとの交渉に臨むリィリエのすがたを見て、ジゼルは面食らい、言葉をなくした。どこか朧げで、儚げだった今までの彼女とは違う。一体、行方を暗ましている間に何があったのか?
「……言ってごらん」
「アンゼルム!」
「どうやらこの魔物は、人間に危害を加える気はないようだ。炎が箱庭を守ってくれているし、まずはリィリエの言い分に耳を傾けてみよう」
アンゼルムはルカを言葉で制し、それからリィリエに視線を送って、発言をうながす。
「……ありがとうございます、アンゼルムさま」
リィリエは短く礼を言った。
ルカとリヒトは苦い表情を浮かべながら、武器を肉へと戻す。それを見たリィリエは二人に小さく会釈をして、アンゼルムに向きなおる。
「……わたし、シグリの村の生まれなんです。でも、シグリの村は百年前に火災で焼け落ちて、今は荒れた土地が残るだけだって、ラウは言っていて……。教えてください。シグリの村は、本当に百年前になくなってしまったのですか」
「……シグリの村……?」
眉をひそめるルカのつぶやきを、リヒトが継いだ。
「おれたち魔導騎士は、フォルモンド王国の街や村をすべて把握している。どこに狩人を迎えに行けと言われるか分からないからね。……ただ、シグリという村の名は聞いたことがない」
「……正確には百五年前に焼失しているよ」
皆の視線がアンゼルムに集う。
「僕はこの箱庭にきて二百年になる。この国で起こったことは、魔導騎士たちから長年にわたって報告を受けてきた。……シグリの村は、百五年前に消失している。間違いないよ」
「……じゃあリィリエが、その百五年前に焼失したシグリの村の生まれというのは、どういうことだ? わたしたちは、教会の近くで倒れていた記憶喪失のリィリエを、ハイネ神父が保護したと聞いているぞ」
ルカの言葉に、リィリエの顔が青ざめる。リィリエは視線をアンゼルムに向けた。
彼は黙ってうなずいた。ルカと同じ報告を受けているという意味で。
「……リィリエの記憶が違う、もしくはハイネ神父が嘘の報告をした。このどちらかになるね」
ジゼルとリィリエが出会ったばかりの頃、二人で反省室に入って、身の上話を打ち明けあった。リィリエが微笑みながら話してくれた、シグリの村の思い出。昔馴染みの神父に導かれて狩人になったと言ったリィリエが、偽りの記憶を語っていたとは思えない。
「……でも、もしリィリエの記憶が正しいなら、彼女は百年のあいだ眠っていたことになる。狩人になる前に、少女のままで? そんなことってあるのか?」
リヒトの問いかけに、リィリエは何も言わなかった。ジゼルがよく見知っているはずの白い少女が、吹雪に阻まれて遠く感じる。
リィリエが、きゅっと唇を噛んで顔を上げた。
「ハイネ神父に真実を尋ねます」
「駄目だよ。運命の相手を狩るまで、狩人は森から出られない」
アンゼルムは穏やかに、しかし揺らぎのない声で答えて、リィリエの隣に立つ魔物に視線をやった。
リィリエが一歩踏み出し、魔物をかばうように立つ。
「……ラウはわたしの運命の相手です。でも、ラウは好んでわたしを傷つけたんじゃありません。わたしはラウに生きていてほしくて、自分で自分を傷つけて、わたしを食べてと懇願した。……わたしはあの時、もうすぐ天に召される命だったから」
彼女の唇は、ジゼルがよく知るリィリエと同じように動いているのに、唇からこぼれる言葉は、まるで知らない人のように、遠い。
鋭い輝きを宿す瞳で、リィリエは四人を見据えた。
「このままじゃ、わたしは何を信じればいいのか分からない。だから、ハイネ神父に会いに行きます」




