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サルタリスの小鳥たち  作者: オノイチカ
第四章 擬傷
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第35話 まがいものの祝祭


 白い顔の半分を、闇夜に隠した月が浮かんでいる。

 下弦の月の夜、リィリエは約束通り森を訪れた。ラウレンツはいつものように森のさかいまで彼女を迎えに行き、リィリエの手におとがいで触れ、彼女を森のなかへといざなった。


「今日はラウに贈り物があるの」


 湖畔に腰を下ろしてすぐ、リィリエは夜着のポケットをさぐる。

 彼女がラウレンツに差し出したのは、小さな布包みだった。リィリエがその布をほどくと、何ともいえない香ばしい匂いが、ラウレンツの鼻腔をくすぐった。


「これは……?」


「プリャーニクよ。祝祭の日のためのお菓子。小麦の粉に、蜂蜜とスグリの果汁、それからシナモンを混ぜて焼くの」


 彼女の手のひらの上に乗る、小麦色をした丸い菓子を、ラウレンツはそっとつまんで目の前にかざした。


「リィリエが作ったのか?」


 彼女ははにかみながらうなずいた。


「収穫祭に向けて練習してるんだけど、なかなかお母さんみたいにうまく焼けなくて……。でも、前よりずっと上手になったって褒めてもらえたから、味は悪くないと思う。ラウにあげたかったから、香辛料は控えめにしておいたわ」


 リィリエは「召し上がれ」と微笑んだ。

 匂いにつられて、ラウレンツはさっそく菓子を食べる。小気味よい歯ごたえを感じてすぐに、お日様をたっぷりと浴びた、小麦の匂いと甘さが口のなかに広がった。夢中になって、残りの菓子を口に運ぶ。


「……今まで食べたもののなかで、一番美味い」


「ラウったら大げさね。でも、ありがとう」


 そう言って微笑むリィリエを見て、この菓子が祝祭の日ためのものとはいえ、人にとってはありふれた食べ物なのだと気づく。それでも炎を飼いならすすべを知らない魔物にとって、火を通した食べ物はとてもめずらしい。


「収穫祭か……どういったことが行われる祭りなんだ?」


 プリャーニクを食べて、人々が笑顔に包まれる祭日──その様子を思い浮かべようとしたけれど上手くいかなくて、ラウレンツは彼女に尋ねた。

 リィリエは宙を見上げて質問に答える。


「えっと……朝はやくに収穫した野菜や小麦、果物や花をあちこちに飾って、かみさまへの感謝を捧げるの。子どもたちが教会で聖歌を歌って、そのあと広場でごちそうを食べるわ。乾燥させたセージやローズマリーで火を焚いて、村の女の子は花冠を貰って、その花冠の贈り主と、火の側でワルツを踊るの。花冠を貰うのは、家族でも友達でも誰でもいいの。花冠をくれた人との絆が強いほど、その女の子は幸福になるって言われてるわ」


 すらすらと祭りの様子を語る、リィリエの頬が紅潮している。目には小さな星が宿っていて、彼女がどれほど収穫祭を心待ちにしているかが伝わってくる。


「収穫祭はかみさまに感謝を捧げる祭りで、村人らの楽しみでもあるんだな」


 ラウレンツの言葉に、彼女は大きくうなずいた。


「……ロザリオがなくても問題ないのか?」


 やや迷いながら口にした疑問は、リィリエの顔から高揚を奪った。彼女は肩を落として「仕方ないわ」と小声でつぶやき、まつげを伏せる。


「ロザリオは、きっとかみさまのところにかえったのよ」


 貧しくて弟妹のロザリオを用意するのも苦労したという両親に、新しい祈りのしるしをうことなど、彼女にできるはずがない。そのことをラウレンツは知っていた。


「リィリエ」


 名前を呼ぶと、糖蜜にひたした満月のようなまなこが、ラウレンツに向けられる。


「俺がいいというまで、目を閉じていてくれないか」


 彼の提案に、ぱちぱちとまるい瞳をまたたかせたリィリエだったが、やがて微笑んで「なぁに?」と聞きながら、瞑目めいもくした。

 ラウレンツは隠し持っていた物を取り出し、たどたどしい手つきで彼女の目の前にかざした。「目を開けてくれ」と、そっと囁く。


 リィリエが、金のまつげをしばたく音さえ聞こえそうだ。

 目の前に差し出されたロザリオを見て、リィリエは小さな口を開ける。


「これ……」


「あ……安心してくれ。盗品じゃない。夜の間に大きな街に行って、そこで働いて稼いで、ちゃんと買ってきたものだ。シグリの村に受け継がれている意匠と同じものだと、店主が言っていた。だから家族や村の人々には、ロザリオが見つかったと言えば問題ないだろう」


「……わたしに?」


 リィリエが短く尋ねた。

 ほうけた彼女の顏に不安を覚えながら、ラウレンツは深くうなずく。


 途端、ぽろりとリィリエの目から、透明なたまがこぼれおちた。

 ぎょっとしてあわてふためいていると、彼女は不思議そうにラウレンツを見つめる。


「あれ……? どうして……ちがう、ちがうの、ラウ」


 自身がこぼした涙に気づいたリィリエが、戸惑いながら目じりをぬぐった。


「ちがうの、びっくりして……それよりもっと、うれしくて……おかしいね、ごめんね。でも、うれしいの。とってもとってもうれしいの」


 彼女の頬にいくつもの熱の雫が伝い落ちる。とめどなくあふれる涙を眺めているうちに、胸の奥をぎゅっとつかまれたような痛みが広がって、ラウレンツの心をどうしようもなく揺さぶった。


「ねえラウ」


 いつものように、リィリエが魔物を呼んだ。


「ロザリオ……あなたがつけてくれる?」


 そう願われて、ラウレンツはうなずく。

 爪で彼女の柔肌を傷つけてしまわないよう、よくよく気をつけながら、長くてまっすぐな髪をけて、小さな鎖を彼女のうなじへ当てる。腕のなかに少女を捕らえたような格好のまま、指先の感覚を頼りに留め具を閉じる。

 そっと彼女の首から腕を抜き取って離れると、彼女の胸もとで十字架が白く輝くさまが眺められた。


「よく似合っている」


 そう告げると、リィリエは微笑んだ。


「ラウ」


 彼女は目じりの露を払うように、まつげを重ねて満面の笑みを浮かべる。


「ありがとう」


 ──その言葉がどれだけ嬉しいか、きっとリィリエは知らない。


 頬に落ちた涙粒に、ラウレンツは手を伸ばした。手のひらを彼女の頬に添えて、そっとぬぐうと、リィリエは心地よさそうに目を閉じて、彼の手に頬を寄せた。




   〇




「ラウにも、わたしたちと同じロザリオがあったら素敵なのにね」


「それならもうひとつロザリオを買って、俺も身につけよう」


「あ、ううん、そうじゃなくて……わたしがラウに贈りたいなって思って、つい。でも……そうね、それは無理な話ね。ごめんなさい、忘れて」


 ロザリオをつけて、踊るような足取りではしゃいでいたリィリエが、息を弾ませながら立ち止まって、眉を下げた。彼女はもつれた足を崩すように、湖畔に腰を下ろす。


「大丈夫か」


 いつもおとなしいリィリエが、よっぽど嬉しかったのだろう。顔を紅潮させて、肩で息をしている。

 ラウレンツが気遣わしげに顔を覗き込むと「ちょっと疲れただけ」とリィリエは笑顔を向けた。


「今日はまるでお祭りみたい。祝祭の日のお菓子をラウに渡して、ラウから贈り物を貰って……」


 草原に腰を下ろしたまま、彼女はそうつぶやいて夜空を見上げた。リィリエの琥珀の瞳に下弦の月が映りこみ、ほのかな銀の灯りがともる。


 ──祝祭の火は、彼女のまなこを赤く染めるのだろうか?

 ふと湧いた疑問に、胸の底が焦げるような心地を覚える。


 ラウレンツはどうあっても、リィリエと収穫祭の光景を一緒に見られない。彼女に話を聞いて空想にふけっても、それはきっと実際の収穫祭とは大きく違うのだろう。


 彼女のすがたを見守っていたラウレンツだったが、ふと月明かりを受けて白く浮かぶものが目に入り、腰を浮かせる。下草に分け入って、手を伸ばして取って……それから湖畔に座るリィリエの側へと歩み寄る。

 薄灰色の夜着のすそを広げ、髪に夜露をまとわせた彼女が、ラウレンツを見上げて小首をかしげる。彼は、大きな身体に隠すようにしていたそれを、彼女の前に差し出した。


「俺と、踊ってもらえないだろうか」


 風が吹き、ラウレンツが手に持っている白百合が揺れた。

 リィリエがまばたきを止める。


 花冠の編み方など知らない。無知な魔物に渡せるのは、せいぜい一輪の手折った花くらいのものだ。それでも、リィリエのさいわいを祈りたかった。花冠を贈った者と踊ると幸せになれるという、人間たちの収穫祭のまじないをなぞるかたちで。


 彼女はおずおずと白百合に手を伸ばした。ラウレンツの毛に覆われた指先と、リィリエの白くほそい指先が触れ合う。

 手もとに視線を落としていたラウレンツが、彼女の表情を確かめようとおとがいを上げる。


「……わたしでよければ、よろこんで」


 目の前には、リィリエのやわらかな笑顔が咲いている。

 さきほどはしゃいでいたせいか、その頬は紅潮していた。




   〇




 月だけが見ている。

 手を重ねて向かい合い、ゆっくりとワルツを踊る二人のすがたを。

 髪に百合を差したリィリエが、ラウレンツの手を軸にくるりと回ると、薄灰色の夜着のすそが月光にさらされ、まるで花のようにひらめいた。ラウレンツは彼女のほそい体を支え、彼の腕のなかでリィリエがのびやかに踊るさまを見つめる。


 花冠の代わりに一輪の百合を。焚火の代わりに白い月を。

 ……何もかもが偽物の、まがいものだらけの祝祭。

 けれどこの夜のひとときは、二人にとってかけがえのない時間となった。

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