第21話 きたるべき日のために
禁忌の森で、枯葉をにじる音が響いている。
複数の足音に、やがて硬い打撃音が加わった。何かが木の幹にぶつかって、糸杉がざわざわと揺れる。くぐもった唸り声が響く。
幹に叩きつけられたのは、中型の魔物だった。上半身すべてが縦に裂けた口である奇形である魔物が、噎せて体液を吐き出し、腐葉土を酸で焼く。
魔物が体勢を立て直そうとした時、流星に似た輝きが魔物の口内を穿った。後頭部を貫いて、幹に魔物を縫いとめたのは一振りの騎槍だ。魔物は呻いて大量の酸を吐き出すが、円錐の武器は溶けだすどころかびくともしない。
魔物は虫の節足に似た下肢を騎槍に這わせ、そのまま武器の持ち主を──ジゼルを絡め取ろうとした。
その刹那、魔物の下肢が狩りとられる。ほそい爪痕を何度も刻み、下肢を引きちぎったのは、カーティスの左手が変貌した鉤爪だ。金切り声を上げて絶叫し、残った足を蠢かせ、苦痛の道連れを探す魔物から、彼は素早く身をかわす。
カーティスが身をひるがえした刹那、半月の煌めきが魔物に落ちた。半月刀が心臓を両断したのだ。魔物は森を震わす雄叫びを上げて、事切れた。
ジゼルは体をしならせ後方転回して、その勢いで左肢である騎槍を魔物から抜いて、着地した。武器にまとわりついた酸で、彼女の黒い外套が濡れる。ジゼルはあわてて外套のすそを持ち上げた。
「連携が遅くなくて? 武器と聖具が汚れてしまったわ」
「ご、ごめんなさい!」
半月刀の右腕もそのままに、リィリエはジゼルに頭を下げる。白い外套が大きくはためき、百合の香りをまき散らした。
「リィリエは剣の刃渡りが変わったから、まだ距離感がつかめないんだろ」
「私が言っているのはあなたのことよ、カーティス。リィリエは悪くないわ」
「うーん……? まさかジゼルが、初撃であそこまで魔物を吹き飛ばすとは思ってなかったから、駆けつけるのが遅れた。以後気をつけるよ」
カーティスは肩をすくめて、ジゼルに携帯水筒を差し出した。彼の手もとをちらと見て、ジゼルは拗ねた顔のまま、騎槍を彼の前に突き出す。水筒が傾いて、彼女の武器が水で清められていく。
このやりとりは、小鳥がじゃれあっているようなものだ。アンゼルムの箱庭に入ってから季節が冬に移ろった今、リィリエも、やっと二人の口喧嘩になれてきた。
ジゼルに続いて、半月刀の右腕を水筒の下に差し出す。
「それにしても……成長する武器なんて。初めてお目にかかったわ」
白銀の輝きを取り戻したリィリエの武器を見たジゼルが、感嘆の吐息を漏らす。
そう。武器を初めて発動した頃は、果物ナイフくらいの刃渡りしかなかったリィリエの刃は、魔物と戦ううちに徐々に発達していき、いまやもとの腕よりも長い、半月刀へと変わっていた。
「わたしの武器、そんなにめずらしいの……?」
武器を腕へと戻して、リィリエが尋ねる。彼女の不安に感づいたのか、ジゼルは「威力が増したのは喜ばしいわ」とやわらかな微笑みを返した。
「なんにせよ、これでここら一帯の魔物は殲滅した。戻ろう、アンゼルムに報告しないと」
カーティスが灰色の外套をひるがえす。いつもの淡々とした口調だったが、それでもどこか浮立った彼の様子を嗅ぎ取って、ジゼルは小さな鼻を上向けた。
「この魔物で、ついに中型二十匹目ね。今のお気持ちはどう?」
カーティスが立ち止まる。彼は振り返り、二人に笑顔を向けた。
「最高だよ。──やっと妹を助けられる」
その目は爛々と輝いていた。
〇
運命の相手を狩るにふさわしい狩人になったと、そう判断される基準がある。すなわちそれが、中型の魔物を二十匹倒したという実歴。
「まぁ、そう言ったのは僕だけどね? ちょっと早すぎじゃないかなぁ」
力の抜けた台詞を聞いて、カーティスが鼻白む。
「早すぎる? ミアが攫われてから、こんなに時間が経ったのに? どれだけぼくがこの日を待ち望んでいたか、あんたは知っているだろう? アンゼルム」
「勿論だとも。そう睨まないでほしいな」
アンゼルムはあくまで柔和にほほえんだ。
箱庭に戻ってすぐに庭長室へ駆け込み、報告をするなり「条件がそろったので運命の相手を狩りとる許可を」と意気込むカーティスに、アンゼルムが返した言葉は、やんわりと先延ばしをほのめかすものだった。
ちりちりと産毛が逆立つ緊迫した空気に、リィリエは固唾を飲む。
「いいかいカーティス。まずひとつ、たしかに君は優秀で、中型の魔物を二十匹倒した。怪我ひとつ負わずにね。けれど同じ班のリィリエはどうだい? やっと魔物狩りに慣れてきたばかり。おまけに彼女の武器は未知数だ。班で狩りをする以上、もう少し時間を置いても──」
「わ、わたしなら大丈夫です!」
アンゼルムの言葉を遮って声を上げる。彼は目をまるくしたが、「きちんと自分の意見が言えるようになった。成長したね」とリィリエに微笑んだ。
気恥ずかしくなってうつむく。でも、あの淡白なカーティスが、運命の相手を狩って妹を助けるという目的に関しては、人一倍野心を抱いていると知っている。足手まといになりたくない。
アンゼルムはふっと息をはいて、カーティスに視線を戻す。
「ま、この件は百歩譲って大丈夫だとしても、だ。ふたつめの問題がある。……ねぇカーティス。冷静になって考えてみてほしい。三年だよ。その間に君の妹が囚われたまま食べられず、無事でいられると思う?」
「運命の相手はあの時、両親の腸と、ぼくの左手を食った。飢餓期の空腹が満たされる、十分な量の食事じゃないとでも?」
カーティスが皮肉な笑みを浮かべた。
「それに、騒ぎを聞いて駆けつけたミアを、その場で傷つけることなく攫っていく様子を、ぼくは血の海のなかで見た。より大型に近づくにつれ、魔物の知性が発達する仮説が正しいとしたら、空腹を感じた時の食料を、新鮮に食べるために生かしておいても不思議じゃない」
沈黙が落ちる。カーティスとアンゼルムの視線が交わり、空気が研ぎ澄まされる。
「……たとえ君の妹が生きていても、死んでいても、地獄を見るかもしれないよ?」
「地獄ならもう見たさ。僕が狩人になったのは、ミアを助けるためだ。たとえどんな結末が待っているのだとしても」
カーティスの意志は、静かでありながら強固なもので──先に根くらべを投げたのは、アンゼルムだった。
「はぁ……。そうだよね。君は初めからそう言っていた」
カーティスが表情をほぐして、アンゼルムの方へ一歩踏み込む。
「それじゃあ……」
「運命の相手狩りの許可を出そう。ただし出立は七の日をまたいだあとだ。準備は念入りに。それから──もし狩りで深手を負った場合、迷わずすぐに引き返すように」
痛みをはらんだアンゼルムの表情を見て、カーティスは言葉に詰まる。
──本当は彼も知っていたのだ。どうしてアンゼルムが今、運命の相手を狩ることを渋っていたのかを。
リィリエは唇を噛んでうつむき、まぶたを閉じた。まなうらに、亜麻色のおさげを跳ねさせてリィリエの名を呼ぶ、アラリカのすがたがよみがえる。
思い出のなかの彼女はいつも明るくて、そのことに慰められるけれど──切ない。
しんと静まり返った庭長室に、アンゼルムのやさしい声が染みていく。
「約束してほしい。何度でもやりなおせるのだから。……命さえあれば」
〇
一班がカーティスの運命の相手狩りに行くという話は、晩餐の席でアンゼルムの口から皆に伝えられた。
歓声を上げる者、一班を鼓舞する者、沈痛な面持ちで黙りこくる者──ウルツとエミリアは後者だった。特にエミリアは最近めっきり口数が減っていて、話を聞いた時には、いまにも倒れてしまいそうなほど、顔から血の気が失せた。
「かならず帰ってくるわ」
リィリエはエミリアとそう約束し、小指をすくいとって結んでみせる。
そう──だってリィリエは、まだ自分の運命の相手を狩っていないのだから。
「カーティスの復讐が成し遂げられたなら、次はあなたよ」
食堂から自室に戻る道すがら、リィリエの考えを読み取ったかのように、ジゼルがそう囁いた。
「運命の相手狩りをあますことなくご覧になりなさい。そうしてきたるべき日のために、しっかりと牙を研ぎなさい」
リィリエはジゼルの言葉にうなずいた。
それから一班の三人は、勉強や作業の空き時間を使って、情報を交わし、意見を擦り合わせていった。あらゆる事例を想定して、対策を練っていく。
ふとリィリエが疑問を投げた。みずからの運命の相手をどうやって見分けるのかと。
ジゼルとカーティスは顔を見合わせ、どちらともなく笑みを浮かべた。それは皮肉を帯びた笑みだった。
「ここで知るのよ」
ジゼルが、自身のうすい肋骨を撫で上げる。鎖骨の下、小さな膨らみの間で指を止める。
「狩人は運命の相手と共鳴できるの。自分を傷つけた魔物だと、そう心が教えてくれる。だってその魔物は、赤い糸で繋がれた〝運命の相手〟だもの」




