第14話 ひとしい境遇
白い外套と長衣を脱いで、シュミーズの上から木綿のワンピースを被る。洗いざらしてくたくたになったそれは、肌なじみがさらさらとしている。
他の子どもたちと同じ無彩色の服で、リィリエに割り当てられたのは、控えめにレースがついた乳白色のものだった。同じ型と色のお仕着せを三着支給され、それを順に洗濯して着るのだと、ジゼルに教えてもらう。
「丈は……ちょうど良さそうね。もし服が破れたりほつれたりなさったら、リネン室の小間物入れに針と糸があるから、それで繕いなさいな。針と糸はここでは貴重なものだから、大切に扱われて」
リィリエが襟口から長い髪を抜き出す間にも、ジゼルはすらすらと口を動かした。櫛や石鹸といったリィリエの配当品を、彼女は手際よく棚にしまっていく。
「何か質問はあるかしら?」
ツンと上向きに言葉を切って、ジゼルの目がリィリエを捉える。やっと着替えおえて、首からロザリオを下げていたリィリエは、曖昧な笑みを返した。──今のところ、分からないことがあるのかすら、分からない。
「質問がないなら、すぐに厨房へ行きましょう。今宵は宴。総出で調理にかからないと、草木が眠るころになっても晩餐は始まらなくてよ」
そう言って部屋から出るジゼルの背を、リィリエはあわてて追いかける。
カーティスとウルツに話を聞いてもらったあと、彼らに付き添われて館に戻ったリィリエを待っていたのは、不機嫌さを隠そうともしないジゼルだった。自室を共有するようアンゼルムに言われたらしく、彼女は「案内するからついてきなさい」と言い残し、足早に広間を後にした。
「うわぁ、彼女と同室か。災難だね。もともとは二人一部屋なんだけど、ジゼルは特別に一人で一部屋使ってたんだ。きっとアンゼルムは深く考えずに、空いてるならちょうどいいって思ったんだろうな……」
「……うん。まぁ、なんだ。仲良くな」
硬い表情のカーティスとウルツに見送られ、リィリエはジゼルを追い、彼女の部屋へ入った。寝具が二台、小さい棚と書き物机がそれぞれふたつある部屋は、思っていたよりずっと狭くて、いかにも貴族といった雰囲気のジゼルには似つかわしくなかった。
もちろん思っただけで口にはしていない。部屋に向かう時も、お仕着せや衛生品を渡す時も、自室の説明する時も、ジゼルはずっと不機嫌だったから。不用意にこぼした一言が、彼女の機嫌をますます損ねたら。そう思うと口は自然と重くなり、リィリエはジゼルに話しかけることができないでいる。
(せっかく年の近い女の子と同室なのに……これから少しずつ打ち解けられるといいんだけど……)
陽が落ちた暗い廊下には、壁面に備えつけられた燭台が仄灯りを投げている。その明かりを頼りに軋む階段を下りて、リィリエは先を歩くジゼルに追いつく。
廊下の奥から大勢の談笑の声と、香ばしい食べ物の匂いが漂ってきた。ジゼルがつきあたりの扉を開け放つと、熱気と共に音と匂いが押し寄せる。
「あっ、ジゼル!」
「ジゼル! あぁ、助かった! ちょっと生地の水加減を見てほしいんだけど」
扉を開けてすぐに、ジゼルは救いを求める少年少女に攫われた。
扉の向こうは厨房だった。大きな作業台が中央に置かれていて、奥にある竈と石焼窯が熱を放っている。そのまわりで、たくさんの子どもたちが調理に取りかかっていた。
まな板を叩く包丁が、刻んだ野菜の小山を作る。作業台のすぐ側の竈にかけられた寸胴鍋の大きさは、まるで大木の丸太のようだ。脚立に上がった幼子たちが、船の櫂に似た一本の木べらを協力して操って、寸胴鍋の中身をせっせとかき混ぜている。
厨房は広かったが、集まった人数が多すぎて、ぶつかっては互いに気をつけろと、声を上げ合うありさまだ。
「あっ、あなたが今日入った狩人!?」
「あ……はい、リィリエです」
「リィリエ! 悪いけど、手伝ってくれないかな!」
熱気あふれる厨房、その作業机の片隅で大量の胡桃と格闘していた少女が、ひらひらと手を振った。リィリエは戸惑いつつも、ごったがえす人波の奥に、なんとか身をよじって入り込む。
「あたしはアラリカ。ごめんね、今日来たばかりなのに。なにしろ人手はいくつあっても足りなくてさ、今夜はごちそうだから」
亜麻色の髪をおさげにした少女、アラリカは屈託なく笑って、リィリエに丸椅子を差し出した。それに腰かけると、すぐにアラリカは煎った胡桃に錐を差し込み、錐の柄を木槌で叩いて、殻を割ってみせる。剥いた胡桃を金属の器に投げ入れて、彼女はもう一揃えの錐と木槌をリィリエに手渡した。
「胡桃割りを手伝って。胡桃は保存がきくのはいいんだけど、殻むきに手間がかかるのが難点だよね。料理にたくさん使うから、どんどん割らないと」
手際よく胡桃の殻を剥ぐアラリカを横目に、リィリエは見よう見まねで錐を握り、胡桃にあてて木槌を振り下ろす。──しかし振り上げた右手から、ゴトリと木槌が滑り落ちた。
教会にいる間に訓練して、いくらか感覚を取り戻したとはいえ、リィリエの右手の握力は常人のものとは程遠かった。そのことを思い出し、ふがいなさに思わずうつむく。
「……っと。もしかして右腕? 魔物に食べられたの」
リィリエは顔を上げてアラリカを見た。戸惑いつつもこくりと首を縦に倒すと、彼女は眉根を寄せて笑う。
「そっかぁ。あたしは左腕。でも大丈夫、今じゃ思い通りに動くから」
木槌を持ち上げ、左手で固定した錐にカンと打ちつけて、胡桃を割る。「ね?」と笑顔を向けられて、リィリエは呆気にとられたまま何度もうなずいた。
「三ヶ月くらいかな、毎日動かして慣れるまで。焦らなくていいよ、使徒の種子はそのうち体に馴染む。みんなそうなんだから。殻割りはあたしがやるからさ、リィリエは左手で胡桃を砕いてくれないかな」
快活な口調でそう言われ、調理台に転がった木槌を手渡される。リィリエはぼうっとしていたが、彼女の言葉にあわててうなずいた。
同じように種子の義肢を持ち、その義肢をすっかり使いこなしているアラリカのすがたに、リィリエは心奪われた。不具である右手の機能が戻る可能性──その事実を目のあたりにして、胸のつかえが溶けていくような、そんな感覚が身体に広がる。
リィリエは言われたとおり、金属の器に入った胡桃を作業台に置いて、左手で木槌をふるって潰していった。アラリカが「そうそう、うまいうまい」と褒めそやしてくれて、リィリエは唇をほころばせる。
「……ここの厨房は、普段もにぎやかなの?」
「まさか! 毎日こんな調子じゃ疲れちゃうよ。いつもはパンとスープの質素な食事で、調理も当番制さ。今日のごちそうは、リィリエの歓迎会のためだよ。ここじゃ狩人の歓迎会と送別会には、ごちそうを作るならわしになってるの。大変だけど、たまのごちそうは嬉しいし、みんなで料理するのもけっこう楽しいでしょ?」
アラリカが、にっと歯を見せる。
二人が話している隙に、砕いた胡桃の入った器がさっと奪われた。
「あっ、ウルツ! 砕いた胡桃はパン生地が優先! あんたたち肉料理担当はあと! だからそれ返しなさい!」
「硬いことをいうな。同じ班だろう」
「それは今関係ないでしょ! こらー!」
胡桃を持ったまま持ち場に戻ろうとするウルツを、アラリカが追いかける。狭い厨房で追いかけっこをする二人を取り巻いて、子どもたちの批難の声、囃し声、笑い声が生き生きと沸き起こる。
「……ふふっ」
賑やかしい光景は日なたのようにあたたかく、リィリエもふわりと笑みをこぼした。




