第12話 アンゼルムの箱庭
陽が傾き始める頃、わだかまった霧の奥に、煉瓦造りの高い塀が見えた。三人は塀を迂回し、塀に備えつけられた門扉に行き当たる。先頭のルカがその錆びた鉄扉を解錠した。
途端に視界が開ける。ぐるりと塀で区切られた広い敷地には、純白の野薔薇、庭白百合らがしっとりと濡れて絡み合っている、奔放な緑の庭が広がっていた。舗装された道のまわりには、短く刈られた草が露に濡れていて、手入れが行き届いていることが知れる。
霧のなかに見える幻惑的な庭、そこにこぼれる美しい花々を見て、リィリエは感嘆のため息をついた。花の美しさはもちろん、三日ぶりに人の気配のする庭を目のあたりにして。
三人が行く道の先に、大きな屋敷が見えた。丸枠窓の装飾が施された、古い学舎といった趣の館だ。ルカは、館の正面に位置する大扉を押し開けた。
吹き抜けの玄関広間には、左右対称の階段が備えつけられており、それぞれがゆるやかに湾曲して上下階を繋いでいた。木造の内装は古びて疵ついているものの、丁寧に蜜蝋が塗りこまれ、飴色に黒光りしている。
「フォルモンド王国首都サリカより、魔導騎士のリヒトとルカが参上した」
ルカの声が広間に反響して響き渡る。しばらくして、ぱたぱたという軽い靴音が複数、三人のもとへ近づいた。
「あっ、ルカだ」
「リヒト! ひさしぶり」
小鳥が囀るような声が頭上から降ってきて、リィリエは喉をのけぞらせた。すると二階の欄干に、年のまばらな少年少女が、こちらに身を乗り出している様子が目に入る。彼らは一様に白黒灰といった、無彩色の服をまとっていた。
「あの子、だあれ?」
「知らない、見たことないよ」
リィリエを指さしてひそひそと話す、幼子たちの声がふりそそぐ。
二人と同じように名乗った方がいいものかと、あわてて息を継いだその時。
「あの子は狩人よ」
澄んだ声が広間に響く。二階の子どもたちの群れから歩み出た少女が、優雅な足取りで階段を降りる。
耳の高さでくくられた二房の黒髪が、墨が流れるなめらかさで躍った。黒いワンピースの裾から覗く白い手足はほっそりと長く、猫が歩くしなやかさを思わせる。
「お疲れさま、リヒト、ルカ。アンゼルムさまからお話は伺っているわ」
少女のまなざしがリィリエに向いた。大きな瞳は瑠璃の色だ。知性を感じさせる深い色に見つめられて、リィリエの胸は大きく跳ねる。それほどまでに目の前の少女は、硬質な美しさと、静かな気品を兼ね備えていた。
「お名前は?」
「……リィリエです」
「そう、百合の名ね。私はジゼル。アンゼルムの箱庭へようこそ」
ジゼルが服の裾を持ち上げて、優雅に腰を折ったのを見て、リィリエもあわてて頭を下げた。
言葉に詰まるリィリエの緊張をほどくように、ジゼルはにこりと笑みを浮かべて、リィリエの指先をそっと引く。
「こちらへいらして。アンゼルムさまのいらっしゃる庭長室へ案内するわ」
〇
「やぁ、君がリィリエだね。僕がこの館──〝アンゼルムの箱庭〟の庭長を務める、狩人のアンゼルムだよ」
差し出された手をおずおずと握ると、目の前の男、アンゼルムは笑みを深めた。
年の頃は三十前といったところだろうか。ゆるく波打つ赤毛と、小麦色の肌。左目に片眼鏡を嵌めて、そこから下がる細い鎖を、外耳につけた装身具と繋げている。装飾のついた服装と派手な顔立ち。狩人だと聞かなければ、商人、もしくは吟遊詩人だと思い込みそうな外見だった。
「ジゼル、案内ありがとう」
アンゼルムが労って、執務机の椅子に深く腰掛ける。ジゼルは静かに服の裾をつまんで会釈した。
庭長室の壁際には、書籍や天球儀、鉱石や剥製といった雑多なものが、所狭しと積み上げられていた。物珍しさにリィリエはきょろきょろとあたりを見回したが、ルカとリヒトは身じろぎひとつせずに立っている。
「ルカとリヒトも、ありがとう。道中大変だったろう。今夜こそ、この箱庭でゆっくりしていってくれ。もてなすからさ」
「いらん。リィリエの引き渡しが済んだら、私たちはさっさとサリカに帰る」
「相変わらずルカはつれないなぁ」
「そう言うお前はいつも通り軽薄だな、アンゼルム」
二人を交互に見ていると、リヒトが「アンゼルムはルカがお気に入りでね」とリィリエに耳打ちした。彼女がぱっと頬を赤らめたのを見て「……玩具としてだと思うけど」と、リヒトが憮然とした表情になる。
「私の宿のことなどどうでもいい! それよりリィリエに、狩人やこの箱庭の説明をするべきだろう!」
声を荒げたルカにアンゼルムは不服そうな表情を見せたが、「アンゼルムさま」と静かにジゼルがたしなめると、彼は咳払いをして、にこやかにリィリエに向きなおった。
「ええと、どこから説明したものかな。とりあえず今日からこの箱庭が、君が暮らす家になる。ここは、狩人の庭長としてのちから……僕の〝加護の聖域〟の結界で、魔物は入れないようになっているから、肩の力を抜いてくつろいで。狩人としての務めについては……うん、すこしずつ覚えていけばいいから、まずはここでの暮らしに慣れてくれ」
「もっと深くまで語っていい。リィリエはすでに武器を発動できる」
ルカが入れた横やりに、アンゼルムが驚きの表情をみせた。
「──もうそこまで? それは森で?」
「うん。彼女はここに辿り着くまでに、魔物の群れの長と、小型の魔物を倒したよ。発動箇所はルカと同じ右腕、武器は短剣のかたちだったな」
どこか誇らしげにリヒトが答えると、アンゼルムはますます驚愕を露わにした。まじまじとこちらを見つめるアンゼルムの視線に恥じらいを覚えて、リィリエはうつむく。
(わたし、変なのかしら……)
ふと背に視線を感じて、リィリエは後ろを振り返る。壁際に控えていたジゼルが、リィリエをじっと見つめていた。視線が合うと、彼女は黒髪をひるがえして、ふいとそっぽを向く。
「それは……あまり例のないことだ。優秀だね。この箱庭にいる狩人のほとんどが、ここで暮らしてしばらく経ってから、武器を発動できるようになったから」
リィリエはアンゼルムのつぶやきにはっとして、正面に向きなおった。
「──あの、気になったことがあって……伺ってもいいですか?」
アンゼルムが首肯で続きをうながす。
「この箱庭にいる狩人のほとんど、とおっしゃいましたけど……ここに狩人は何人いらっしゃるんですか? この箱庭に着いた時に、たくさんの子どもたちが出迎えてくれたんですが、あの子たちは下働きでしょうか……?」
「──ああ、なるほどね。うん、そう思うのも無理はない」
アンゼルムは眉をひそめて苦笑した。彼は一度唇を閉ざして、リィリエに困ったような笑顔を向ける。
「この箱庭は、狩人以外は住めない。君を出迎えたあの子たちも、全員君と同じ狩人だ」
──リィリエを見下ろして、ひそひそと言葉を交わしていた無垢な幼子たち。まだ十の年に届かない子も大勢いたのに。
「残念ながら、成熟した〝大人〟と言える狩人は僕一人だけだ。そこにいるジゼルも十五歳、一応大人と言える年齢だけど、二重の齢を重ねてはいない。理由は……そうだな、想像してみてほしい。もし君が魔物だったらって。お腹が空いていて人間を食べたいと思ったとき、君ならどんな獲物を狙う? 無力で抵抗することもかなわない、それでいて肉のやわらかな幼子がいいと思わないか?」
「不謹慎だ」とルカが低く罵ったが、アンゼルムは肩をすくめて「事実だよ」と返す。
「狩人は魔物を倒す存在。──けれど、さすがに心も体も未熟な子どもたちに狩りはさせないから、安心してほしい。健やかに成長して、きちんと武器を発動できるようになってから、森に狩りに行くようになる。そういう意味では、ここは寄宿舎に近いね」
──魔物に襲われて不具になり、箱庭に行き着くしかなかった子どもたちの。
「ただ、君みたいに立派に狩人としての務めを果たせる子は、しばらくしたらすぐに森に狩りに行ってもらうようになると思う。僕たちは班をいくつか作って、数人で組んで魔物狩りを行うんだ。はじめは小型の魔物を狩って、経験を積んで、最終的に〝運命の相手〟を集団で狩り取る……」
運命の相手とは、狩人になるきっかけを与えた魔物だと、アンゼルムが説明してくれる。それぞれの狩人に一対の運命の相手がいる。それを殺して初めて、狩人は箱庭を去ることを許されるのだ。
「裏を返せば、ここは復讐を遂げていない狩人たちが集う館だ。基本的には、ね」
暗に匂わせた例外について触れる間も与えないまま、アンゼルムはそこで言葉を締めくくった。ぱんと手を打って笑顔を作り、空気を変える。
「さ、難しい話はここまでだ。今夜はリィリエの歓迎会を開こう。ごちそうをたくさん作らなくちゃ」




