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移ろっていく世界で  作者: 五月
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過日2

父が蒸発してから母は一人で姉弟二人を養ってくれた。僕の目には何時も母は余裕が無いように見えていた。実の子供が助けを求めても何もしてあげられないほどに余裕が無かった。母は殆ど家に居る事は無かったし、仕事から帰っても、仕事の電話、職場の愚痴を僕等に毎日のように聞かせた。父への恨み言も。家事は殆ど祖母が手伝ってくれていたため、苦労は無かった。母との仲が冷えていったのは中学の頃だった。僕はあの頃、毎日が苦痛だった。部活動では練習も人間関係もうまくいっていなかったし、初めは良かった成績も下がる一方だった。そんな中、姉が札幌に就職したことで、姉が聞いていた母の愚痴を毎日聞かされることになった。僕は適当な相槌を打ちながらも、学校でのことで毎日心に余裕が無かったため、ストレスが溜まる一方だった。この頃から頭痛が酷くなっていった。聞きたくも無いけれど、僕は毎日母の愚痴を聞いていた。

どうして我慢していたのかは、幼い頃に他愛ない事で母を怒らせたことに有る。あの時、母は神経衰弱からか、怒りのまま僕に向かって死んでやる等と言った。僕はその時の記憶が恐ろしくて母に投げやりな態度を取らないようにしていた。だけれど、そんな日々も限界を迎えた。ムシャクシャしていたんだ。周りの人間全部敵に見えて、何処に怒りを晴らしていいかわからない、そんな日にも母は何遍も口にしたような愚痴を聞かせてきた。頭の中で何かが弾けて怒りの言葉が口をついて出ていた。自分でも不思議なほど自然に出てきた言葉の数々は、無責任なことだが思い出そうとしても思い出すことは出来ない。人には辛い記憶を無意識に忘れようとする機能があるらしいけれど、きっとその機能が働いたのかもしれない。あんなに辛い思いをしている人に酷い言葉を投げかけたという事実が僕には耐えられなかった。


 それから、母は僕に話しかけることは殆ど無くなった。話をするとしても学費の問題とか食費、極めて義務的な事だけだ。母が僕にできる話が愚痴くらいだったのだと考えてひたすらに空しくなった。今では母と顔を合わせることすら辛くなった。でも、僕は母を憎んではいないし、一番可哀相なのは母だと思っていた。月日が経つほど母の姿は弱々しく見えていった。同時に、この人は生きてて楽しいことなどあるのだろうかと考えた。

 母はたぶん、僕の事が怖いのだと思う。僕が怒りを表したあの日から一言目には「ごめんなさい」とばかり言うようになった。僕は謝られるたびにイライラした。母が謝る必要なんて何処にも無いから。そして、自身でも分かるほど露骨に不愉快が顔に出ていた。別に母に怒っているわけではなかった。もっとしょうもなくてどうしようもない何かに対して僕は怒っていた。


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