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移ろっていく世界で  作者: 五月
1/5

過日


 頭が痛む。周囲の厚かましい喧騒が鼓膜を揺らして、その音の中で浮いているような酩酊感を覚えた。目も痛んできて、瞼が酷く重く、熱い。気分は最悪で、足元に力が入らなかった。

 今にも雪が降り出しそうな重苦しい曇り空の下で近隣の中高合同の避難訓練。生徒は皆中庭に集められていたけれど、中々消防隊員の話が始まらないものだから少しずつ中庭は生徒の話声で騒がしくなっていた。僕はそんな中で一秒でも早くここを出たいと考えて、気を失わないように神経を張っていた。

 その日は朝から体が重く感じて、こんな天気の日に学校なんて行きたくなかった。でも、気持ちを体が置いていくことが習慣として染みついていた。毎日が吐き気のするような朝から始まって、無理矢理身体が動く。そうしなければならないという強迫観念染みたものが有ったから。


 「――おい、聞いてんの?」


 気が付かなかったけれど柄の悪い短髪の生徒が何か話していた。横目でそいつを見ると僕よりも一回りくらい背丈が大きかった。


 「寝てんのか?」


 そいつはからかう様な調子でこちらの表情を覗き見ていた。「話しかけるな」と、言いたいところだったけれど何だか言葉を発するのも辛くて、そのまま無視した。


 「――精神疾患が。」


 僕がその場で黙秘を決め込んでいると、そいつは白けた声でそう吐き捨てた。

 刃物があるなら舌を抉ってやりたいと思ったけれど、そいつの言葉にそれもそうだと納得している自分がいた。でも、好きで僕は僕でいるわけじゃないのに、酷いことだよ。

 少しだけ頭痛が酷くなった気がした。


 放課後、歩くのが億劫だったので湯の川を通る路面電車で帰ることにした。ホームで待っている時に向こう側から到着した電車は重そうな錆びた車体を引きずっているようで、その移動速度は鈍重に見えた。電車がホームに止まると、鉄の擦れる音と共に古めかしい乗り口が大げさに開いた。

 整理券を取って座席に着くと僕は目を閉じた。学校に居た時ほどでは無いけれど、頭痛はまだ続いていた。これは持病のようなもので、亡くなった祖母や、母も頭痛を持っていた。中学の頃から酷く病むようになったけれど、高校に上がってからは毎日痛むようになった。頭痛が酷くなるのは体調が優れない時と……イライラする時。酷くなると視界に黒い靄が掛かるし、最悪倒れることもあった。脳神経外科に行ったところ診断結果は慢性的な片頭痛とのことだった。処方された薬を飲んでも良い方向へは機能しなかった。藪医者がと吐き捨てたい気持ちが沸いて、神経が尖ると頭が痛み出してきそうだったので考えるのを辞めた。頭が痛むことは僕にとって弊害でしかなかったけれど、母との少ない共通点でもあった。だから、嫌いにはなれない。


 目を閉じているとあっという間に時間が過ぎていて、「次は五稜郭公園前」とアナウンスが聞こえて僕は重い瞼を開いた。近くに有った降車ボタンを押して、僕は電車を降りる準備をした。

 停車ホームに近付くと、右手の窓に最近建造された四階建てのシエスタが見えた。この過疎化が進む街にはおよそ不釣り合いなモダンな雰囲気の建物だった。無印良品が店を構える其処は雑貨、インテリア、食品が各階層に店を置き、防音施設が完備されたスタジオまである。前にそのスタジオを貸切って楽器の練習をしたい等と後輩が言っていた記憶が有る。生憎、音楽何て二度とやりたくないのだけれど。


 電車がホームに止まると、等速直線運動の要領で身体が電車の進行方向に釣られた。そのまま、電車を降りた後、少し肌寒さを感じた。そこで初めて車内に暖房が効いていたのだと認識して、次の停留所へと向かう電車の後姿を遠目に眺めた。思い返せば車内は高齢者ばかりだったような気がする。


 五稜郭公園前とアナウンスは言っていたが公園まで徒歩で十分程度は掛かる。僕の住むアパートにはさらに公園の先に十数分歩かなければならない。まあ、高校から徒歩で帰るとすれば一時間以上かかるので明るい時間は何時も電車を利用していた。


 シエスタを横切って公園へと向かう中でどう時間をつぶそうかと考えていた。一人で居ても何かすることなんて思いつかなかった。つい先月まで暇を持て余すことなんてなかったし、明るい時間の街を歩くことも高校の三年間両手で数えるほどしかなかった。こんな時にあいつらが居たら退屈の事なんて考える必要はないけれど、部活を引退してから仲間とは連絡を取っていなかった。ここらの周辺は娯楽施設等に事欠かなかったが、どれも一人で入るのには気が引けた。何をするのにも一人で居る事は退屈で仕方がない。


 出来る限り家には時間を掛けて帰りたかった。いや、帰りたくはないが。

 結局数分歩いたところで見かけたYAMAHAに立ち寄った。店内は平日だからか客は一人もいなかった。特に何も買う予定は無かったので、長居するのもこの人気の中では気が引けて、宇多田ヒカルなどのピアノのスコアを十数分物色した後、店を出た。

 店の扉を閉めて、僕は溜息をついた。息は白くて直ぐに宙へと消えていった。頭の痛みはまだ続いていて、額に手を当てると少し冷めた後の湯呑茶の様な熱さだった。こめかみのあたりが脈打っているのが感じられたので、安静にしてた方がいいと考え、真直ぐ五稜郭公園を通って帰ることにした。


 道の途中には先月に引退の演奏会をしたばかりの芸術ホールが有った。ここで中学から高校に掛けて何度も演奏した。今は観客など一人も見当たらない小ぎれいなホールだが、眺めているとここで演奏した記憶がまざまざと蘇ってくるようで。ただ、ひたすらにイライラする。少し離れたところにラッキーピエロも有って、部活のメンバーで食事したのが懐かしい。機会が有ればまた友人とあの大きな皿に盛られたオムライスを食べに行きたい。


 五稜郭公園の道は春になれば桜の木の下に花見客を喧しいほど見かけるけれど、今は人一人見かけないし、桜もみんな葉を枯らして雪に濡れている。桜の木の先に車道を走る自動車が冬ではよく見えてしまう。ここ一週間は雪が降っていなかったからか、五稜郭の道には溶けかけの雪がよく見られた。五稜郭を囲む池は相変わらずスケートリンクみたいに凍っていた。


 冬は嫌いだ。辺り一面真っ白になって、見上げれば何時もグレーの曇り空が有る。外出する機会が減っては、人に会うことだって少なくなる。いっそう、孤独を感じる季節だった。一人になれば嫌でも我に返って、そうした時間には考えたくも無い事を何遍も思考してしまう。家の事だとか、過去に起こった数えきれないいさかいに思い出。全て忘れられたらと思うのだけれど、それは余りにも無責任なことかもしれない。

そして、歩き疲れた頃にアパートが見えた。帰ってきてしまったか、と其処でまた溜息をついた。


 入り口のドアを二つ続けて開けて、無音の部屋に戻った。リビングの床には母の仕事の書類が山積みに置かれていて、僕はそれらの近くに置かれていたリモコンを取ってテレビの電源を付けた。電源を付けた後、音声と映像の流れるテレビに見向きもしないで僕は部屋の奥に行って制服をハンガーに掛けてリセッシュを撒いた。

 顔を洗いに洗面台の前に行った。鏡の前に立って、自分の顔が映った。

 そいつは僕の事を睨んでいた。顔に嫌悪感と怒りをあらわにして。苦虫を噛み潰したような顔をすると直ぐに、わざとらしく目を逸らした。


 ――気持ち悪。


 無心で下を向いたまま顔を洗った。バシャ、バシャ、バシャ、バシャ、消えろ、消えろ。


 僕は痛む頭のまま寝床についた。だけれど、痛みから中々寝付けなかった。目を閉じていれば考えたくも無い事がずっと頭に浮かんできた。

 最近になって気付いたのだけれど、つい先月までは毎日が部活動での練習ばかりで家の事など全て忘れていられた。悩み事を考える暇だって無かったから何かを深く考えることもなくいられた。そして、いざ終わってみると自分が抱えていた悩みなんてものは何一つ解決なんてしていなかったし、暇になればなるほど、一人で居る時間が長くなればなるほど、ふと我に返って自分が何に苦しんでいたか思い出してしまう。

 そうは言っても、悩みなんてもう取り返しのつかないことばかりだ。でも、これから何とかしたいと思うことがあった。

 今では殆ど会話することも無くなった母との仲を取り戻すことだ。いや、取り戻すことはできなくても感謝だけは伝えたかった。


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