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卅と一夜の短篇 

他愛のないこと(三十と一夜の短篇第50回)

作者: 惠美子

 加来(かく)は昼休み、休憩室で弁当を突きながら、同僚の阿井の話を聞いていた。加来が無口なのではない。むしろお喋りな女性なのだが、同じ空間にいる阿井の方がよりお喋り、一旦口を開けば鉋屑(かんなくず)に火が点いたようと周囲から評されている。


「わたしと旦那とさ、以前に旅行に行った時に、そこは山だったから、近所に食事のお店がなくてそこのホテルで晩御飯を食べることになるのよ。

 わたしたちが案内されたとこの隣のテーブルにご夫婦が案内されてきて、座ったんだけど、何か忘れたことがあったのかどうか知らないけれど、奥さんが席にバックを置いて二人でテーブルを離れたのよ。そしたら少しして、別のウエイターさんが隣のテーブルに別の二人連れを案内してきたの。わたし、余計なことかと思ったけれど、そこの椅子にバッグがありますよ、既にお客さんがいるテーブルですよって教えてあげたわ。でもそのウエイターさんったら構わず座らせちゃったの。まあいやあよね。客が言ったことを確かめようともしないんだから。わたしは親切に教えてあげたのに

 しばらくして当然先刻のご夫婦が戻ってきて、案内された場所で、荷物も置いていたのにって」


 加来と同じく一緒に昼食を摂っている佐治が口を挟んだ。


「あらあ、そりゃ大変」


 佐治が喋れたのはここまでで、加来に至っては相槌を打つ暇もない。


「ほんと、(はた)で見ていてドキドキよ。結構席数多いレストランを二人のウエイターさんで回してるって感じで大変だってのは判るんだけど、これじゃあ旅の気分がマイナスになっちゃうわ。

 ウエイターさんはお客さんから散々苦情を言われて、もう一人のウエイターさんも一緒に謝って、でも後から案内されていたお客さんの気持ちは収まらなかったみたいなのね。ずっと文句言ってて、食事が終わってからもまたウエイターさんに突っかかっていっていたわ。

 次の日の朝にそのウエイターさんがフロントに立っていたから、ホント、少人数でなんでもかんでも回しているんだなあって思ったわ。それにしたって……」


 阿井の話はまだ終わらないようだ。既に昼食は食べ終えているのだから、午後の始業時間まで気にしないのだろう。加来と佐治も弁当は空になり、黙ってお茶を啜っている。旅の思い出なのか、人員削減によるサービス低下を語っているのか、阿井自身にも不明である。加来はテレビで朝に報じていた歌手の恋愛ネタが気になっており、佐治は晩御飯の献立は豆腐を使おうかとぼんやりと考えている。話は右から左へと流れる。

 休憩室に遅れて入ってきた者がいた。


「あ~、やっと終わりました」

「舘ちゃん、お疲れ。お客さん、帰ったの?」

「ええ、手続き全部終わって、気分よくお帰りいただきました!」


 午前中に対応していた客の案件の内容が複雑で、昼休み過ぎても掛かっていた。舘はコンビニエンスストアで買ってきたサンドイッチとサラダとデザートを卓上に並べた。


「あら、それは新製品のフルーツヨーグルト?」

「そうです。今日の楽しみ」

「ふうん、それって乳脂肪ゼロのヤツ?」


 舘はカップを持って同僚に見せた。


「これは普通のヨーグルトですよ」

「そうなんだ。M乳業のヨーグルトのシリーズは乳脂肪ゼロとそうじゃないのと、いつも両方出ているわよね」

「いくらか脂肪分があった方が美味しいですから、わたしはこっちにしました」


 はきはきと答える舘に、何の気なしに阿井は言った。


「わたしは美味しくても脂肪分が入っているのはちょっとね。カロリーゼロとか、糖質オフとか、美味しいは結構あるじゃない」


 無邪気そうに舘が言う。


「阿井さん、イマドキ、カロリーが高いだけで太る太らないなんて古いです。今はGI値も大切なんです」

「糖質のこと?」

「ああ、違いますよ。単にご飯や甘い物を減らす糖質制限とは別ですよう。血糖値の上昇を抑えるって言うんですか、そういうのです。

 白いご飯とか、白いパンはGI値が高くて、血糖値がぱっと上がるんです。でも、ほら、この全粒粉のパンだとGI値が低いから食べても血糖値の上昇が緩やかで、体にもいいし、減量にも役立つんだそうです」


 舘の摘んでいるサンドイッチのパンの部分は確かに少し色合いが茶色っぽい。


「糖質制限のダイエットなんて、結局昔からある極端に食事を減らした減量と変わらないじゃないですか。

 今は生活リズムや食材の特性を組み合わせて健康管理したり、体重のコントロールしたりって、どこでも言ってますよね」


 舘は一息に喋るとサンドイッチを食べ始めた。阿井は火が消えたようだ。佐治は話を継いだ。


「血糖値の波を抑えた方が健康にいいってのは何かの番組でもやってたわね」

「そうそう、雑誌やネットにも載ってます」


 舘が肯いた。阿井が口を閉じたのを、舘も佐治も気にしていないようだ。阿井が黙ったのは話題が尽きたのでも、喋り疲れたのでも、舘の話に感心したのでもなく、話を遮られて、それも舘が自分の知らない情報を披露したのに臍を曲げたからと、加来は気付いた。周囲が内心どう感じているかも構わず滔々と言葉を垂れ流すのに、他人が話すのは不愉快なのだ。

自分だけが経験豊かで物知りだと、誰でも思うものらしい。

 食べ物の話を自ら続けられなかったことなどどうせ少しすればすっかり忘れて、また休憩時間に顎が痛くなるまで思い付くまま阿井は喋り散らかす。仕事仲間が聞いていてくれると思えばこそ。人形や鏡に向かって語らない。その実誰も真剣に耳を傾けておらず、その場を離れれば内容はどこかへ飛び去り、記憶に残らない。きっと排泄と同じなのだろう。

 GI値について改めて覚えるよりも、糖質(炭水化物や糖分)の多い食品を控える方が手っ取り早いのは確かです。

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[一言] 他人のことを聞き役、あるいはゴミ箱としてしか認識できない方っていますよね。そんなに延々と話したいなら、「王様の耳はロバの耳」と叫ぶように、穴を掘って叫んで欲しいなあと思うくらい。ある程度相槌…
[良い点] 日常生活に潜む罠……というほどではないのですが、しかし、知らず知らずにはまってそうな状態。 誰よりも物知りでいたいと思うのは悪いことではないのかもしれませんが、知識の披露のしどころを間違え…
[良い点] あー、お昼どきのこの風景、あるある! ダイエットや健康のためにアレがいいコレがいいと情報だけはたくさんありますよね。それを語らい合う女子たち。しかし話題は次から次へと移っていきまして……会…
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