5.戸蒔綾
せん。
彼女の笑顔は……いや、彼女の俺に対する笑顔は全部偽物なのだ。
陽はとっくに沈み、辺りは暗闇に包まれており、街灯を頼りにして家に着くことができた。
玄関に入ると、元気を持て余した様子のショコラが跳ねながら迎えてくれた。それと同時に妹が出てきた。
「兄さん帰るの遅い! 私が帰ってくる頃にはいてよ! ショコラと心配してたんだからね」
富松琴音、中学2年生だ。琴音は犬だけでは寂しさは補えないようだ。
元々早く帰るため部活に入らなかった俺だが、今日は道草を食ってきた。
「ごめん、琴音」
中学の下校時間の方が若干の早いため、俺はいつも早めに帰るようにしている。とはいえ、いつもというわけにはいってない。
ただ今日は本当に遅すぎたのだ。
「そういえば、幸姉さんに会ったよ」
幸……。
「物凄くかっこいい人と歩いてたけど、兄さん取られちゃうよ?」
「……もう取られたよ。あと姉さんって呼ばないで」
「え……取られたって、別れたってこと?」
「……ああ」
「えぇぇぇええ!!」
目を見開いて叫ぶ琴音に、ショコラも驚き耳を立てた。
「まぁ、そうだよね。どんな優しい兄さんでも、あんなかっこいい人いたら、そっち行っちゃうよねー」
同情はしてくれないようだ。まぁいいさ。
さっさと風呂に入り、リビングにはニコニコした琴音が座っていた。
「じゃあ可哀想な兄さんの為に、この私が袖をまくって次のうち、普段兄さんにしない事一つだけしてあげる。選んでねっ!」
「……」
「1! 肩揉み。2! 膝枕。3! 頭なで──」
「5の寝るで。んじゃ、お休み」
「ひどいっ! せめて何か、何かさせて!」
「じゃあ子守唄でも歌っといてよ」
翌日。
重い目蓋をやっとのおもいで上げて、リビングの妹が座っている向かい側の椅子に腰掛けた。
「兄さん、頼み事があるんだけど」
「何」
──
いつも通り自分の席に腰掛ける。いつも通り、一人ぼっちの俺に朝一番から気をつかって話しかけてくる九条銀。偽善の優しさを与えてくれる戸蒔綾。
俺はそれぞれ、その二人との会話にただ相槌を打つばっかりだった。
今日頑張って登校してきたことを誇ってもいいほど、俺の心は辛かった。とはいえ辛かったうちの3割は琴音の音痴な子守唄のせいで寝不足だった事だ。
「どうしたの? いつもの風太くんじゃないよ?」
「いつもってどんな?」
「えっ……」
戸蒔綾との会話は、こんな感じですぐ話を打ち切ってしまう。偽物の優しさは嫌いだ。俺は魅力のない俺が嫌いだ。
昼になったが、食欲は湧かず、俺は机に突っ伏していた。
「……ねぇさ、元気だしなよ」
「……」
元気は意思で出せるものではない事を、彼女は知らないのだ。
「あっ! そういえばさ! 昨日の話、どういう事? 別れただの晴樹だの」
「……あぁ、あれね。そのまんまだよ」
「よく考えたんだけど、やっぱり……二人は付き合ってたの?」
「……え? 知らなかったの?」
「うん。私、風太くんと初めて話した頃、振られたとしか聞いてない。ただ風太くんが告白に失敗したのかと思った。仲が良かったのは知ってるけど」
戸蒔綾は、二人だけが聞こえるような声量で、周りへ配慮しているようだ。
言われてみれば、振られたとしか言ってなかった。俺は勘違いしていたのだ。
「へー、あの子晴樹の事好きなんだ」
……となると? 初めて話したあの時、彼女は『でもあの子は』と言った。続きは言ってないが、彼女は、幸が田神晴樹の事を好きだと言うつもりでは無かったのか?
知らなかったと言うことは……俺に何を言おうとしてたんだ?考えても考えても分からない。
もうどうでもいいか。
「ねぇ。えっと……綾さん」
「綾でいいよ。綾さんってなんか変」
少し苦笑いを混ぜられた。口に出すと、確かに変だ。
「分かった」
「よろしい。それで?」
「今日さ。新しく駅前にできた店行きたいんだけどさ……行かない?」
「え?」
キョトンとした様子だった。初めて女子を誘うことに抵抗はあるが、やはり断られるのは胸が痛い。
「だから、一緒に行こ?」
「……うん。いいけど」
無理やり感はあったが、押しに負けたようでなんとか同意してくれた。
放課後にもなり、ようやくその時が来た。
「それじゃあ、俺は先に行ってるからね」
「え? 一緒に行くんじゃないの?」
「あっちでは一緒じゃん」
「……そうだけど」
最近廊下を歩くたびに綾の事が耳に入ってくるのが多い。九条銀の言っていた化けるというのは本当らしい。要するにモテモテということだ。
そんな人と一緒に歩く。彼女が羨望の眼差しだ。そんな彼女の横を歩く……薔薇に芋虫が付いたようなものだ。そんなもの見せ物にできない。
それと単純に俺は目立つのは嫌いだからだ。
「それじゃあ」
「あ! ちょっと!」
教室から出る間際、幸と目が合ったような気がした。
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