86 ミカのこれから
数週間ぶりに訪れたギルドのカウンター。
王女護衛依頼完了の報告を終えたリノに、新たな冒険者ライセンスが支給された。
受付嬢がにこやかに手渡ししたライセンスカードは、なんとミスリル製。
それを凝視し、受付嬢の顔を見て、ライセンスカードを二度見する。
「……えっ? あの、何ですかこれ?」
初めて目にする代物に、リノは困惑した。
今までリノが持っていた、そして先ほどウリエとガブリエラが受け取ったSランクのカードは純金製。
アリエスとミカが受け取っていたSSランクのカードはプラチナ製のはず。
「リノ様のライセンスカードとなっております。交付されるのは約三百年ぶりとなります、SSSランクのライセンスです」
「はぁ、SSSランク。……えぁぁぁっ!!?」
▽▽
王都北区画、大聖堂。
ギルドを後にした『クルセイド』の三人は、師匠であるポートに昇級を報告。
昼食も兼ねて、昇級を祝うささやかな宴の席が設けられた。
参加者はエンジェラート三姉妹とポート、そして彼女たちに同行していたリノとアリエス。
「……なんで私とリノまで」
「気にすんな気にすんな。せっかくだし楽しもうぜ」
「そうよぉ、アリエスちゃん」
リノが中央の座席に座り、その両隣をアリエスとミカが固める。
この座り方が一番いい形だと、二人が無言で示し合わせた結果だ。
向かいの並びは右からポート、ガブリエラ、ウリエ。
こちらの席順に深い理由はない。
「リノさん、トマトとチーズのサラダですわ。あーん、してくださいまし」
「美味しそうだね、ありがと。あーん、あむっ」
「……むぅ。リノ、こっちのパスタの方が美味しい。ほら、あーんして」
「おっ、こっちも美味しそう。ありがとね。あー、んむっ」
左右から餌付けされ続けるリノ。
余談ではあるが、テーブルに並んだ家庭的な料理を作ったのはポートだ。
「あむあむ……ごくん。そうだ、遅れちゃったけど。ポートさん、あの時は本当に助かりました。ポートさんがいなかったらもっと到着が遅れてて、アリエスちゃんを助けられなかったかも……。だから本当に感謝してます!」
東区画の境で偶然に遭遇したポート。
彼はあの時、暴徒騒ぎで出た怪我人の治療のために街中を奔走していた。
リノを見つけたのも、まったくの偶然だったらしい。
「当然のことをしたまでだよ。それよりも、SSSランク昇進おめでとう。今やキミは近隣諸国に名を轟かせる英雄だね」
「いやいや、そんな……。全然ピンと来てないですし……」
「功績を考えれば当然。ドラゴン一匹倒すだけでも歴史に残る英雄なのに、リノは何体も倒して見せた。あのレイドルクだってやっつけた」
「私の力だけじゃ、レイドルクには勝てなかったよ。ミカちゃんの補助魔法が無ければ潰されてたし、アリエスちゃんがいなければミカちゃんが間に合わなかった」
両隣に座る少女たちにそれぞれ微笑みかけ、
「そしてライナがいなければ、そもそも私はずっと荷物持ちのままだった」
『お、あたしも忘れてなかったのか。感心感心』
「当たり前でしょ。感謝してるんだから」
首から下げた首飾り、紅い宝石を指でそっと撫でる。
「だから、私が英雄ならみんなが英雄です。それにほら、今日はクルセイドのみんなのお祝いですよね! 私が主役みたいな空気はナシですよ」
「そうだぜ師匠! 愛弟子たちの昇級もしっかり祝ってくれよ!」
「そうだね、うん。キミたちは僕の誇りだ」
「あらぁ、嬉しいわぁ〜。私たちも、や~っと師匠に認められたわねぇ」
両手でハイタッチを交わすガブリエラとウリエ、二人を微笑ましく見守るポート。
リノはアリエスとミカに餌付けされ続け、小さな宴会は幕を閉じた。
▽▽
久々の我が家を目指して、家路を行くリノとアリエス。
並んで歩く二人の口数は少なく、リノは時おり何かを言おうとして言えず、気まずそうに頬を掻く。
「リノ、なんとなく察しはつく。ランと恋人になったんだよね。大丈夫、気にしてない」
「あっ……、うん。ごめんね、アリエスちゃんがいるのに。なんか浮気みたいで……」
「本当に気にしてない。それと、ミカにも伝えたいこと、あるんだよね」
ビクッと、リノの肩が跳ねる。
アリエスがミカに良い感情を持っていないことは、重々承知している。
ミカの告白への返事をずっと保留のままにしている、最大の理由がそれだった。
「……いいの? アリエスちゃんは、本当にそれでいいの?」
「問題無し。ミカのことはもう認めてる。あの娘もリノにとって必要な存在なのも分かってる。だから、早く行ってあげて」
「……ごめんね。それと、ありがとう」
この言葉は彼女の本心だ。
アリエスの気持ちなら、表情を見ればすぐに見抜ける。
それでも、彼女の表情にはほんの少しの寂しさも含まれていた。
「アリエスちゃん、愛してるよ」
軽く抱き寄せて、唇を奪う。
感謝の気持ちと、ほんの少しの後ろめたさから。
「この埋め合わせは絶対するからね。先、帰ってて!」
来た道を戻り、大聖堂へと駆けていく。
彼女の背中を見送るアリエスに、不思議と嫌な気持ちは湧かなかった。
あの口づけが無ければ泣いてしまったかもしれないが、今胸に溢れる感情は暖かな恋心。
「……ちゃんと分かるから、かな。リノ、本当に私のことも、みんなのことも好きなんだ」
大聖堂の入り口近く、箒で床を掃いていたミカを発見し、猛然と駆け寄るリノ。
その勢いに驚いて、彼女は思わず箒を取り落とした。
「ひゃっ!? リ、リノさん、そんなに急いで忘れ物ですの?」
「うんっ、大事な忘れ物! ミカちゃんに伝えたいことがあって!」
ミカの両手をギュッと握り、顔を思いっきり近付ける。
「わ、分かりました、分かりましたから落ち着いて! ひとまず場所を変えましょう?」
大聖堂の最上層、大鐘楼の鐘の下。
北区画を一望できる隠れた絶景スポットであり、ミカのお気に入りの場所でもあった。
高い仕切りで覆われていて、少し身を屈めれば外からは見つからない。
悲しい時、辛い時、彼女はよくここで景色を眺めていた。
「ここなら、誰にも見られる心配はありませんわ。さ、何でもどーんと言ってくださいまし」
リノ以上に大きな胸をポンと叩きながら、頼もしいセリフを口にするミカ。
叩いた拍子にぷるんと揺れた気がしたが、それはさておき。
「……うん、じゃあ言うね。もしかしたら、最低だってほっぺ叩かれるかもだけど」
どんな反応が返って来てもおかしくない。
アリエスとランは最初から承知の上だったが、彼女はそうではないのだから。
「あの時の、告白の返事。私も、ミカちゃんが好き。ミカちゃんと恋人になりたい。いい、かな?」
「え……っ、あ、あのっ……、はい、喜んで……」
物騒な前置きから何を言われるのかと身構えていたミカ。
予想に反した嬉しすぎる内容に顔を真っ赤にしつつ、あっさりと承諾する。
「あ、あの……、でもよろしいんですの? アリエスさんやランさんのことは……」
「ミカちゃんも気付いてたんだね、あの二人の気持ち」
「と、いうことはリノさんも知って——あの、もしかして」
「うん、もうアリエスちゃんともランちゃんとも恋人同士なんだ。だから私は今、三股を許して欲しいって最低なお願いしてる」
全てを伝え終えると、リノは身を固くしてギュッと目を閉じた。
頬を叩かれてもいい、罵倒されても構わない。
けれど、ミカに嫌われることだけは怖かった。
「……そうでしたの。よーく分かりましたわ」
ミカが今、どんな顔をしているのか分からない。
声色からは何も読み取れない。
頬に何かが近付く気配がする。
叩かれる、かと思いきや。
ちゅっ。
頬に触れたのは、柔らかな唇の感触。
「……へ?」
間抜けな声が出てしまい、そっと目を開ける。
目の前には頬を赤く染め、喜びに満ちた表情のミカがいた。
「正直、安心しましたわ。あの二人を差し置いてわたくし一人が選ばれたら、アリエスさんに何をされるか分かりませんもの。きっと火葬されてしまいます」
「えと、つまり、オッケーってこと?」
「皆まで言わせないでくださいましっ!」
ぷい、とそっぽを向くミカ。
彼女の様子に、強張っていた緊張が解け、同時に喜びと愛しさが溢れだす。
「ありがとう、ミカちゃん! 大好きっ!」
「わひゃぅっ!」
彼女の体を抱きしめ、そして、
「ね、キスしてもいい?」
「……一々聞かなくても、リノさんですもの。良いに決まってますわ」
「そっか、じゃあ遠慮なく。んっ……」
二人は大鐘楼の鐘の下、初めての口づけを交わした。