78 龍殺し、宿敵と刃を交える
龍殺しが、人を喰らった龍人を見逃す。
何を言っているのか理解できない、そんな様子で、フィアーは茫然と問い返す。
「正気か……? 私は命ある限り、恩義あるレイドルク様のために動く。それ以前に、また人を喰らうやもしれないのだぞ」
「あぁ、どっちも心配いらないよ。あんたにはまた捕まってもらって、目の届く範囲にいてもらう。今度は地下牢どころじゃない厳重な監獄にね」
そこまで口にすると、リノは殺意を滾らせて背後を振り向いた。
「それに、あんたはもう、レイドルクに従う必要もない。何故ならアイツは——」
「『あのクズは、ここであたしがブチ殺すからね」』
廃時計台を背にこちらへと歩いてくる、燕尾服にシルクハットの男。
ステッキをクルクルと回しながら、躍るようなステップをフムと、帽子を取って深々とお辞儀をする。
「やあやあ皆様お揃いで。ご機嫌はいかがですかな」
「最ッ悪だね。テメエのドブみたいな面見てるだけで、反吐が出る」
「おやおや、これは手厳しい」
シルクハットをかぶり直し、片眼鏡の奥で不敵な笑みを浮かべるレイドルク。
この男の表情から、心の奥底が窺い知れない。
薄ら笑いの奥で何を考えているのか、リノにも何一つ読み取れない。
「さてさて、王都で暴れる龍人たちは、もう半数以上がやられてしまいました。私の直属の手駒も、みーんなあなたに負けてしまいましたねぇ。大したものです、褒めてあげますよ龍殺し」
「ご褒美になんかくれるってんなら、お前の脳味噌くりぬかせてくれよ。ちょっくら便所に放り込んでくるからさ」
「ふふっ、中々面白いアイデアですねぇ。ところで——」
会話でリノとライナの注意を引きながら、その裏で彼はフィアーに念波を飛ばす。
思考を読まれないよう、張り付けた笑顔を少しも動かすことなく。
龍殺しの気を引いているうちに、騎士団に守られた姫君を殺せ、と。
(さあ、やりなさいフィアーさん。大丈夫、龍殺しが気付いたところで、私が抑え込みますから)
(…………し、しかし)
(どうしたのです? 私に受けた恩、忘れたのですか? さあ、早くやるのです)
レイドルクの命令は絶対。
信念を曲げてでも、従わなければならないと心に誓っていた。
だがその結果、信念を曲げて人を喰った結果、もたらされたものは——。
「……出来ません。そのような騙し打ちで目的を達成しても、その先の悠久に近い生、ずっと私の心にはしこりが残るでしょう」
「はい? 今、何と仰いましたかな?」
「出来ないと、言っています……」
初めて、レイドルクの命令に逆らった。
盲目的に従うのではなく、正しいと信じたことを貫き通す。
そうでなくては、自分は強くなれないと知ったから。
フィアーの発した言葉で、リノたちは思念による会話の存在に思い当たる。
「まさか……! レイドルク、今度は一体何を企んでいる!!」
「そんな目くじらを立てなくても。私が気を引いている間に、フィアーさんがお姫様を亡き者にする。ただそれだけのことだったのですが……」
『「貴様……っ!』」
二人分の怒りと殺意が、片眼鏡の男に向けられる。
ミカ達はすぐにランの下へ急ぎ、彼女の守りを固めた。
「レイドルク様、私はまだ戦えます。私はこの武で、自らの力のみで、あなた様の矛となりたい。共に龍殺しを倒しましょう。私たちが力を合わせれば、きっと勝利は——」
「何か勘違いしているようですねぇ」
「え——」
ため息交じりに、右手を前に突き出す。
その瞬間、溜めも何も無しに放たれた上級火炎魔法、フレイムランス。
炎の槍がリノの顔の真横を掠め、反応出来ないほどの速度でフィアーの顔面に突き刺さった。
「私は、姫君を殺せと命令したのですよ? それを断り、あまつさえこの私に指図までしてくるとは。やはりその精神性、手駒としては不合格でしたね」
彼女の頭部は炎に包まれ、首から上が完全に焼失。
炎の槍が消えると同時、頭部を失ったフィアーの体が仰向けに倒れた。
「あなたの腕を見込んで、龍人にするためにわざわざ山賊をけしかけたのですが、とんだ失敗作でしたねえ。はぁ、やれやれ。あなたの言う恩義とやらがこんなに薄っぺらいものだったとは」
「きッ……さまああぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」
叫び。
怒りを載せた全開の速度で、レイドルクへと斬りかかる。
踏み切った足の衝撃で石畳は砕け、あまりにも速過ぎる故に残像が残る。
風魔法による加速も乗せ、全力の力と剣速で放った初撃。
それを、不倶戴天の仇敵は、たった一本のステッキで軽々と受け止めた。
「おや、ずいぶんお怒りですねぇ。敵であるはずのフィアーさんを殺されたのが、そんなに悔しいですか?」
「フィアーだけじゃない……! お前は、これまでにも大勢の……っ! ライナ、言いたいことあるなら言っちゃって! ここから先、喋ってる余裕無いと思うから!」
リノとレイドルク、二人の力は拮抗し、鍔迫り合いが成立している。
ただし、レイドルクはまだ余力を残しているようだが。
「……よぉ、レイドルク。お前には昔っから、どれだけの貸しがあったっけなぁ……っ!!」
同調しているリノの口を借り、遥か昔からの宿敵と刃を交えながら、ありったけの恨みを込めて。
「あたしの村、家族、仲間、恋人。そしてあたし自身も殺し、二百五十一年間も封印して、挙句あたしの仲間の死体を弄んでましただぁ? どこまでコケにしてくれてんだ、オイ」
「おやおや、随分と恨まれたものだ。ククッ……」
視線で人が殺せるのなら、目の前の男は死んでいるだろう。
溜まりに溜まった怒りをぶちまけながらも、ライナの顔はまた喜びにも染まる。
「あぁ恨むさ。怨むさ。そして嬉しいさ。お前をブチ殺して、生きていること、存在していることすら後悔させてやれる時が、ようやく訪れたんだ」
「ほう、後悔ですか。私は今まで、後悔などというものをした覚えがない。その感情がどんなものか、是非とも教えて頂きたいものです」
「なら教えてやるよ。嫌というほど、その体に、その腐った魂になッ!!」
剣とステッキを弾き合い、二人は距離を取る。
レイドルクが杖の外装を取り払い、仕込まれた刃を取り出した。
リノとライナは鋭い踏み込みからの刺突を繰り出す。
身を沈めてかわされ、足下への水面斬りが襲う。
軽く跳ねて飛び越しつつ、レイドルクの頭部へ蹴り。
「甘いですよ」
右手を盾にガードされ、リノは空中で体勢を崩す。
さらに足首を掴まれるが、すかさず手首を風の刃で斬り落としにかかった。
レイドルクはすぐに手を離し、バック転を打って距離を取る。
ここまでの攻防、経過時間はわずか一秒ほど。
「な、何が起きてるのか、さっぱり分かりませんわ……」
ガブリエラとウリエにランの警護を任せ、ミカは前へと出て来ていた。
なんとかリノの助けになれれば、そんな思いからの行動だが、残念ながら何の役にも立てそうにない。
「アレに入っていったら、却って足手まといですわね。ねえアリエスさん。……アリエスさん?」
戦闘開始以降、アリエスはずっと何かを考え込んでいる。
ミカに話を振られても会話には応じず、ただただフィアーの体を見つめながら。
「どうしましたの、一体。ぼんやりとしている場合じゃないですわ!」
「……ん、さっきアイツが使ったフレイムランス、なにかおかしい」
「おかしいって、どういう……」
「あの魔力、私のものと全く同質だった」