07 冒険者への第一歩
「……封印が、ねぇ。なるほどそれは一大事」
奴隷商人ラーガと卓を囲み、紅茶をすする紳士。
シルクハットに燕尾服、片眼鏡と、いっそ記号的ですらあるその姿。
「ベルズ山の大迷宮に封印した、あの首飾り。その少女——なんといいましたかな?」
「リノ・ブルームウィンドです。一見すると、どこにでもいる小娘でしたが……」
「そう、リノさん。どうしてあの女がその少女の手に渡ったのか、まあ察しは付きますがね」
武具屋店主ワバンの補足を受け、ため息交じりにカップをソーサーに置く。
「邪龍ベルセロス、でしたっけ? ベルズ山にあやかって付けられた名前らしいですが、あのチンピラにしてはなんとも大層な名だ。力の暴走を抑えられず、自我を失った恥さらし」
「ええ、まったく。しかもよりによって、あの封印の場所をねぐらにするなど。つくづく愚かなヤツです。それでレイドルクさん、これから我らはどうすれば……」
「どうすれば? 今まで通りですよ。我ら『龍人』は闇に生き、人を食らう。今まで通りね。あの女に気付かれれば、それはもうあなた達の責任でしょう」
突き放すような物言いを受けても、ラーガはにこやかな顔を保ったまま。
一方のワバンは、額に脂汗を浮かべている。
「はっはっは、ワバンさん。そう恐れなくともいい。私は一度、あの女に勝っているのです。正確には私の手駒が、ですがね」
「え、ええ、頼りにしてますよ、レイドルクさん」
腰を低くして、揉み手でごまを擦るワバン。
果たして彼が恐れているのは龍殺しか、はたまたレイドルクという男なのか。
「……ところでラーガさん。先ほどから何やら騒々しいようですが」
部屋の外、廊下を使用人が忙しなく行き交う音に、レイドルクは少々不快そうな様子。
ワバンは冷や汗を流しながらラーガの顔を見やるが、奴隷商はニコニコと落ち着いたまま。
「お恥ずかしい話ながら、先日活きの良い奴隷が一匹、逃げ出してしまいましてな。捜索の手を広げようかと、考えている次第です」
「ほう、奴隷が。なるほどそれは一大事」
ククク、と絞り出すような声を上げながら、レイドルクは紅茶を一口すすった。
▽▽
世界各地の街に点在する施設、冒険者ギルド。
冒険者としての登録、クエストの受注、集合場所としての役目などを担う、冒険者たちの溜まり場。
その雑多な空気が、リノは好きだった。
活力に、エネルギーに満ち溢れるこの場所にいると、前に進もうという力が湧いてくる。
二人が門をくぐると、冒険者たちは一斉に入り口に目をやった。
「おい、見ろよ。英雄サマの凱旋だ」
「あぁ、さっきまではオルゴ、続いてアリエスだ」
「龍殺しのパーティーかぁ、俺もあやかりてぇ」
当然ながらリノには誰も目をくれない。
一身に注目を浴びるのは、公に勇者パーティーの一員として認められたアリエスだ。
この現状に不満なのは、リノ本人よりも。
「……何も知らないくせに。本当に凄いのは、リノなのに」
「まあまあ。ところでアリエスちゃん、今日は依頼を受けに来たの?」
「依頼、とはちょっと違うかな。リノ、まだ冒険者ライセンス取ってないでしょ。まずはそこから」
「あぁ、そうだよね。私まだ、最初の一歩すら踏み出せてなかったんだよね……」
冒険者となるにあたって、身分や貧富などは一切関係ない。
必要なのはただ一つ、実力を示すこと。
ギルドの出した試験をクリアした時、初めて冒険者を名乗ることが許される。
「大丈夫、今のリノなら間違いなく余裕。早く冒険者になって、一緒にクラン作ろう」
「え!? アリエスちゃんと私で、クランを……? だってアリエスちゃん、今までどんな大きなクランに誘われても、どこにも入らなかったのに。てっきりずっとソロで通すつもりだと思ってた」
クランに入る、クランを作るといった選択は、あくまで個人の任意。
クランに入らずに単独で活動する冒険者も、少数ながら存在する。
その代表格がアリエスであり、これまで様々な勧誘を蹴ってソロを貫いていた。
「そんなことないよ、ずっと決めてたことだから。クランに入るなら、リノと一緒にって」
自分に置いていかれたくない、その一心で追いかけてきてくれたリノ。
彼女の気持ちは、アリエスも十分に理解していた。
自分がクランに入ってしまえば、冒険者ではない彼女が孤立してしまうだろうことも。
(理由はそれだけじゃないんだけど。えへへ、リノと二人だけのクラン、夢みたい……)
無表情の中に、リノだけが感じ取れる喜びの感情が見え、リノはますます困惑の中へ。
「まさかアリエスちゃんがクランを立ち上げるだなんて、一体どんな心変わりが……」
『いやいやいや、リノって鈍感? 女の子の気持ちってヤツはもっと汲んであげないと』
「ライナは分かるの?」
『そりゃあもちろん。なんせあたしは百戦錬磨だからね、狙った女の子は必ず仕留めてきたものさ。アリエスの気持ち、教えて欲しいかい?』
「……いいや。アリエスちゃんが自分から言わないんなら、それなりに理由があるはずだし」
幼馴染の自分にも言えない理由があるのだろう。
考えるのは止めにして、冒険者としての第一歩を踏み出すために、ギルドのカウンターへと向かった。
▽▽
王都から二日ほどの距離、ぽっかりと口を開けた洞窟へと、リノは足を踏み入れる。
目的は冒険者ライセンスの発行試験。
このダンジョンの第一階層に生息するジャイアントバットを一匹倒して翼を持ち帰ればクリア。
ジャイアントバットは最下級のE級モンスター、今の彼女にとっては非常に難易度の低い試験だ。
今回、アリエスは王都でお留守番。
彼女が手伝ってしまえば試験にならないのだから、当然といえば当然である。
「よっし、気合入れていくよ、ライナ!」
『あたしなんもしないよ? 一人で頑張ってねー』
「ちょっ、少しくらい助けてくれてもいいじゃん!」
『リノの試験じゃん、リノがやらないと。それにしてもまだあったんだね、冒険者ギルド……。あの空気、懐かしかったなぁ』
「もう、薄情者っ……!」
しみじみと思い出に浸る幽霊。
リノは頬を膨らませながら、洞窟を進む。
『だってさぁ、あたしってばドラゴンスレイヤーだよ? 戦う相手にも、格ってモノがだね……』
「もういいですぅ、頼りになんかしませーん」
『拗ねないでよー、可愛い顔が台無しだよー?』
「もう、またそうやってからかうんだから!」
薄暗い洞窟を、大きな独り言をばら撒きながら進む少女。
事情を知らない者が見れば、狂人にしか見えない有り様である。
『からかってなんかいないって、ホントに可愛いんだから! ……おっと。リノ、おいでなさったよ!』
ライナの声に気を取り直すと同時、暗がりから三匹のジャイアントバットが飛来した。
翼を広げると三メートルにもなる大コウモリが、リノの血を吸うために殺到する。
大きな口を開けて牙を光らせ、噛みつき攻撃を仕掛けてきた先頭の個体。
曲刀を抜き放ちながら、リノの回避が発動する。
体が自動的に最適な動きを取り、攻撃を回避。
同時に自らの意思で曲刀を振り下ろし、その巨体を真っ二つに斬り裂いた。
更に二度、追加で剣を振るうと、残りの二体も正中線を断ち切られ、地に堕ちる。
「……ふぅ、無事にクリアだね。全然チョロかったし、拍子抜けしちゃった」
『おめでとさん。どうだい? お祝いに私のいる宝石にこう……、ちゅってしてくれない?』
「誰のお祝いなの、それ」
持ち帰るのは、ジャイアントバットの右翼。
余分に持ち帰れば、追加報酬が出る上に評価も上がると説明を受けたため、残り二体の翼も切り離して収納する。
「これでよし、と。……ねえ、百体分くらい持ち帰ればさ、Eランク飛ばしていきなりDとかCランクから始められないかな」
『えぇ……? それはどうなんだろう』
ライナが困惑した声で返したその時。
「きゃあああぁぁぁぁぁぁああぁぁっ!!!」
「な、なに、あの悲鳴!」
『女の子の悲鳴! こうしちゃいられない、早く駆け付けるんだ! そしてフラグを立てるんだ!』
「だから何言ってんの、もう! 聞こえたのは……、下の階層からだ!」
悲鳴の方向に駆けだし、リノは走る。
通路を曲がり、階段を駆け下りて、広い空間へと飛び出した。
そこにいたのは。
「た、助けてぇぇえぇぇぇぇっ!!」
C級モンスター・ブラッドグリズリーに追い回される、鉄仮面を被った小柄な少女だった。