75 双頭の蛇、破壊を撒き散らす
フィアーの全身が赤い鱗に覆われ、肥大化を始める。
首が二つに枝分かれし、腕は太く大きく。
対照的に足は小さく細くなり、最終的に消滅。
尻尾と胴体は同一の太さになり、下半身がまるで蛇のように変化する。
枝分かれした二つの首の先には、それぞれに頭が出現。
青髪の少女は、赤色の鱗に包まれた双頭の蛇龍へと変貌を遂げた。
「そんな……! 龍になるためには人を食べなきゃいけないはずなのに……!」
「あぁ、喰ったさ。レイドルク様から奴隷五十匹を賜って、その全てを喰った」
「どうしてそんな……。人を食べないのが、あなたの信念じゃなかったんですか!」
「私の信念など、レイドルク様の命令に比べれば、塵芥も同じ」
二つの口が同時に言葉を発し、四つの瞳がランを睨む。
巨大な拳を握り、突進する双蛇龍。
立ちはだかる騎士団員をものともせず蹴散らし、拳を振り上げる。
「もはやお前を殺さぬ限り、我らに安息は訪れないッ!」
ランを目掛けて振り下ろされた致命の拳。
彼女が潰される寸前、スターブルームの全速力で飛び込んだアリエス。
紙一重のタイミングで彼女を抱きかかえると、上空高く離脱する。
拳は石畳を粉々に破砕、頭上に浮かぶ魔法少女を、双頭の蛇が睨み上げた。
「ランはやらせない」
「貴様……、邪魔をするな。レイドルク様のために、そいつは死ななければならない!」
アリエスの腕に抱えられながら、ランはフィアーに哀れみの視線を向ける。
「レイドルクのために、ですか? わたしにはあなたが、八つ当たりしているように見えます」
「八つ当たり……だと?」
「自分の意思を曲げて人間を食べたことに、あなたは納得がいっていない。でも、それが自分の意思だと偽って、責任を全てわたしに押し付けて、胸のモヤモヤから目を逸らしてる。そんな風に見えるんです」
「黙れ! 黙れ黙れ黙れっ! 私はレイドルク様に全てを捧げた! あの方の意思が私の意思、そこに私情など介在しない!」
二つの頭でヒステリックに叫ぶフィアー。
そこにかつての、堂々とした武人としての姿は見る影もなく。
「ランさん、もうこれ以上、何を言っても無駄のようですわ」
「騎士団の連中は後ろに下がっときな。雑魚龍人はともかく、コイツ相手じゃ無駄に犠牲が出るだけだ」
「後のことは、クルセイドに任せなさ〜い」
双頭龍の前に立ちはだかったのは、エンジェラート三姉妹。
三人がそれぞれ得物を抜き放ち、騎士団員たちは指示に従って安全圏まで離脱。
「私も戦う。ランは騎士団に守ってもらって」
「……はい。絶対無事で、勝ってください」
「大丈夫。リノのご褒美が懸かってるから」
騎士団の中に降り立ったアリエスは、小さな姫君の頭を優しく撫でる。
大事な妹を彼らに託し、彼女は再び箒に乗って双蛇龍の頭上へ。
「お待たせ、ミカ。こいつは私がやっつけるから、ミカは引っ込んでてもいい」
「な、何を言ってますの!? というか、倒すつもりでいますの!? わたくしたちの役目はリノさんが到着するまでの時間稼ぎじゃ——」
「何を悠長に話しているっ!!」
業を煮やしたフィアーが、巨体に見合わぬ速度で躍りかかった。
三姉妹を一網打尽にすべく、両の拳を重ねたスレッジハンマーを振り下ろす。
ミカたちはそれぞれに飛び退き、彼女たちのいた石畳がクレーター状に陥没。
「ひゃー、一撃でも喰らったらやばいぜ、これ」
「怖いわぁ、こんなの〜」
「全員にクイックをかけますわ! それから、ウリエにはブーストも!」
一瞬の魔力チャージの後、ミカはアリエスを含む四人全員に対し速度強化魔法を発動。
アタッカーであるウリエ、そして自分には筋力強化魔法をかけ、攻撃力を上昇させる。
「攻撃を避けることを第一に考えて! 時間さえ稼げば、リノさんが来てくれますわ!」
「……む、なんとなく気に入らない」
「何がです!」
「あの気迫、速度。攻撃を避け続ける、そんな心構えでどうにかなるとは思えない」
逃げ回るクルセイドの三人に対し、嵐のように振るわれる剛腕。
空中を飛びまわるアリエスにも、長い尻尾の先が鞭のように襲い来る。
上昇した素早さで避け続ける彼女たちだが、持久力は明らかにフィアーが上回っている。
「じゃあ、どうすれば……!」
「少しずつでも削っていければ、突破口は見つかる。きっと」
アリエスは攻撃を掻い潜りつつ、アイスニードルとフレイムランスを交互に浴びせる。
龍の堅固な装甲、通常の攻撃では傷一つ付けられないが、温度の乱高下で脆くなったところを叩けば。
「ちょこまかちょこまかと、うるさい羽虫共が……っ!」
そんなアリエスの思惑は、水泡に帰すこととなる。
持久戦を仕掛けたミカの思惑もまた同じく。
ライナとは異なり、彼女たちには龍に対する知識が決定的に欠けていた。
双頭の蛇龍・アンフィスバエナの攻撃射程距離に居座り続ける。
それが自殺に等しい行為だと、誰も知る由もなかったのだ。
「消えろ、レイドルク様のためにッ!!」
二つの口が大きく開き、その喉奥を震わせた瞬間。
空間を丸ごと揺さぶる程の破壊音波が放たれた。
双頭を動かして全方位に音波をばら撒き、民家の窓ガラスが割れ、壁にはヒビが走る。
「なにっ、これ……! うっぐ、ああぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
「耳が、うぐぅぅぅぅっ!!」
「これはぁ……、耳の奥が、痛……っ」
双蛇龍の最大の武器。
それは、喉の奥の発声器官を震わせ、二つの首から同時に放って共鳴、増幅させる破壊音波。
「だめっ……、バランスが、取れないっ……!」
三半規管にダメージを与え、さらに聴覚をも奪う。
弱い人間ならば、さらに脳にも直接振動を叩き込まれ、頭部が破裂するだろう。
しかし幸いにも、彼女たち四人は耳から血を流し、鼓膜が破れる程度で済んだ。
墜落し、箒から投げ出されたアリエス。
クルセイドの三人もその場に倒れ、起き上がることが出来ない。
「耳が、聞こえない……」
「ガブ姉っ、回復魔法……げほっ!!」
脳を揺さぶられ、三半規管を狂わされて、強烈な吐き気が襲う。
ガブリエラの回復魔法ならば鼓膜の修復は可能。
しかし、彼女の耳に助けを呼ぶ声は聞こえない。
「あらぁ……、何も聞こえないわぁ……」
聞こえないが、状況の把握は可能だ。
すぐさま自分に回復魔法をかけようとするも、ウリエの発言から、フィアーは彼女がヒーラーであると知ってしまった。
「させると思うか!」
ガブリエラ個人に対し、凝縮された破壊音波がピンポイントで浴びせられる。
「あうぅああぁぁぁっ!!」
脳を直接揺さぶられるような衝撃に晒され、彼女は意識を手放した。
「さあ、あとは一人ずつひねり潰すだけだ。まずは誰にするか……」
「やめてぇぇっ!!」
騎士団の制止を振り切り、飛び出したランが涙ながらに叫ぶ。
「目的はわたしの命なんでしょう!? だったらわたしだけにしてっ! みんなを殺すのだけは、お願い……」
「そうはいかない。全員殺せとのレイドルク様のご命令だ。……そうだな、まずはこいつからだ」
双蛇龍の剛腕が掴み上げたのはアリエス。
彼女の細い体を両手で掴み、強く強く握りしめる。
「あっ、ああぁぁぁっ……!!!」
「アリエスさん!! やめて、もうやめてっ!!」
「……黙れ! そのままそこで、こいつがひしゃげて潰れる様を眺めていろ!」
「いやっ、いやあああぁぁぁっ!!」
アリエスの体がミシミシと軋みはじめる。
薄れ始めた意識の中で、彼女の脳裏に浮かぶのは最愛の人の笑顔。
「あっ、ぐぅっ……、リノ、ごぽっ……!」
「まずは一人——」
スパァッ!!
その時、蛇龍の眼前を疾風が吹き抜けた。 アリエスを握っていたはずの腕、その10本の指全てが一瞬にして切り落とされる。
「な、何ィッ!?」
腕から解放され、落下するアリエスの体を抱き止める、赤茶髪の少女。
その蒼紅の瞳が、蛇龍を鋭く睨み据えた。




