73 屍龍、灰となって風に散る
リズの体に浴びせられる火炎の剣閃。
青い炎が骸の体に燃え移り、全身を炎に包み込んでいく。
「あ、おあぁぁぁぁ……っ」
うめき声を上げながら倒れ込み、しかし不死者は尚も動き続ける。
本能に突き動かされるまま、獲物に向かって這いずるが、やがて肉体は限界を迎え、炎の中で燃え尽きていった。
西からの風に乗って、空へと昇る煙。
その中に、リズの魂もいるのだろうか。
彼は骸の牢獄から解き放たれ、輪廻の輪へと帰れただろうか。
『……ライナ、交代する?』
「あぁ、頼む……。今はゆっくり休みたい気分だ」
『分かった、お疲れ様』
二人は精神を入れ替え、リノは自分の体へ、そしてライナは首飾りの中へ。
同時に刀身が纏う炎も消え、曲刀を腰の鞘へと納めた。
「……あれ?」
燃え尽きた灰の中から立ち上る煙。
リノの目に、それが一瞬少年の姿を模ったように見えた。
こちらにニコリと笑いかけ、そして天へと昇っていく。
目をこすり、もう一度確認すると、そんな煙はどこにも見当たらず。
白昼夢か、はたまた煙が偶然そのように見えたのか。
『どうしたんだ、相棒』
「や、何でもない。とにかく、これで街のみんなの洗脳も解けたはず……だよね?」
『ああ。いよいよあのクズ野郎に一発かます時が来たってワケだ』
「うん、あのドブ野郎。存在していること自体後悔する死に方させてやる」
フィアーを解放したシーフの龍人の正体はリズのゾンビ。
ならば残る強敵はおそらく、フィアーと、そしてレイドルクのみ。
「フィアーには一回勝ってるし、それにあの子、多分話せば分かると思うんだ」
『相変わらず甘いことで。あの龍人もたらし込むつもりかー?』
「た、たらし込む……。そんなつもりで女の子と接したこと、今まで一回も無いから! とにかく、急ぐよ。廃時計台への総攻撃、早く私も合流しなきゃ」
屋上から飛び下りたリノは、口元を覆う手ぬぐいを取り去ると、スラムの通りを全速力で駆け抜ける。
目指すは東区画、廃時計台。
疾風の靴による移動速度強化の恩恵も受け、彼女は瞬く間に西区画の出口に差し掛かった。
「よし……。この調子ならすぐに辿り着け——」
刹那、視界がぐにゃりと曲がる。
呼吸が止まり、口から血が溢れ出し、足がもつれてその場に倒れ込んだ。
「かっ、かはっ」
『お、おい、リノ! どうした!』
「あっ、あかっ」
声を絞りだそうとしても言葉にならず、口をパクパクと動かすだけ。
手足の先が痺れ、感覚が無くなっていく。
『まさか、さっきの戦い……! 妙に呻き声上げるとは思ってたが……!』
接近戦で打ち合っていた時、リズのゾンビは口を小さく開き、盛んに呻き声を上げていた。
あれは呻き声ではなく、口から吐き出して散布していたのだ。
恐らくは、透明な無臭の毒ガスを。
『くそっ、あたしのせいじゃないか!』
「かっ、かふっ」
毒を扱う龍と戦うことは分かっていた。
あらかじめ、強力な解毒薬をいくつか持ってきてある。
感覚の失われた手で収納を発動し、解毒剤を取り出したリノだが、それは瓶詰めの薬。
震える指先で解毒剤の蓋を開けようとするも、力が入らない。
そのうちに目がかすみ、もやがかかったようにぼやけ始める。
『お、おい、リノ! 冗談じゃないぞ、あたしのせいで、あたしの我がままで死なせるなんて、冗談じゃないからな! あたしと代われ、今すぐに!』
ライナは強引に精神を入れ替え、リノの体に入り込んだ。
反対に押し出されたリノが、首飾りの中で叫ぶ。
『ちょっ、ちょっと! まさか代わりにあんたが死のうだなんて……!』
「げほっ、こいつぁ効くね……、がはっ!」
体を蝕む猛毒に耐えながら、曲刀を抜くライナ。
限界を迎えつつある体を精神力のみで動かし、刃を振るって蓋を斬り飛ばす。
倒れ込みながら瓶を掴むと、中身を一気に飲み干した。
「っぐ、うぐっ、はぁっ。げほげほっ、げほっ! はぁ、はぁ、はぁ……っ! なん、とか……っ、間に合った……っ」
『ライナ、無茶し過ぎ!』
「無茶も、はぁっ、するさ……。あたしのせいで、げほっ、リノに死なれたら……っ」
大の字に倒れたまま、荒く息を吐く。
毒は何とか中和できたらしいが、体の痺れや目まいは残ったまま。
「しかし、これじゃあしばらくは、動けない、ね……。向こうの方、あたしらがいなくても、大丈夫かな……っ」
『……這ってでも行こう。アリエスちゃんやミカちゃんに何かあったら、私、耐えられないから』
「お、おっしゃ……。お姉さんに、任せとけ……っ」
ライナはうつ伏せに転がると、文字通り這ってでも進む。
体が回復するまで、一センチでも距離を詰めるために。
「はっ、はぁっ、クソっ……!」
「ダメだよ。無理をしちゃ、却って治りが遅くなる。僕に任せて」
「あ、あん? あんたは、げほっ……」
ライナを見下ろす一人の男。
彼の手から発せられる癒しの魔力により、リノの体は急激に回復していった。
▽▽
時刻は少々遡る。
リノがドラゴンゾンビの毒ガスを吹き飛ばし、リズがその正体を現した頃。
この時点で散布される扇動ガスは停止し、王都の住民は徐々に落ち着きを取り戻していった。
王城前広場で暴れていた暴徒も士気を挫かれ、何故ここまでの怒りに支配されていたのか戸惑う中、騎士団によって広場から追い立てられた。
暴徒が退散した広場には騎士団が集結し、出陣の時を今か今かと待っている。
そんな彼らの隊列に加わった、アリエスとクルセイドの三人、そしてラン。
彼女たち以外の冒険者は別働隊として個別に動く手筈となっている。
ランはレイドルクら龍人の動きを感知するために、自ら同行を申し出た。
「リノさん、毒吐き龍を無事にやっつけたみたいですわね。良かったですわ……」
「私は信じてた。私は微塵もリノの勝利を疑わなかった」
「なんで張り合って来るんですの……。敵はレイドルクなんですから、敵意はそっちに向けてくださいまし」
「……だね。レイドルクの野郎、あの時のお礼はきっちり返してやる」
静かに闘志を燃やすアリエス。
あの日のバルコニーでの屈辱を、倍にして返してやると心に誓う。
そして、あの日守ってあげられなかった彼女のことも。
「ランも私が守るから。リノが来るまで傷一つ負わせないから」
「はい、頼りにしてますね。お姉ちゃん」
「お、おねっ……!?」
いつも無表情なアリエスが、羞恥に目を見開いた。
してやったりと言わんばかりに舌を小さくペロリと出し、いたずらっぽく笑うお姫様。
小走りで陣頭に向かうと、顔を引き締めて、騎士団全員に号令をかける。
「皆さん、民を不安に陥れたレイドルクを、必ずやこの戦いで討ち取りましょう。そしてバーンドさんの……、ずっと昔から殺されてきた大勢の人たちの仇を、私たちで取りましょう! 悲しみを撒き散らす元凶に、我らの手で終止符を打つのです!」
「「「おぉぉぉおおぉぉぉっ!!!」」」
王女の言葉に士気を上げる。
拳を突き上げて鬨の声を上げ、姫君率いるレイドルク討伐部隊は出陣。
目指すはレイドルクの首ただ一つ、最後の戦いが始まろうとしていた。




