72 龍殺し、刃に炎を燃やす
ライナの脳裏に甦るのは、緑の短髪に、幼さの残る血の気の良い顔立ち。
街で盗みを働いていた彼をライナがとっ捕まえ、衛兵に突き出すところをエルザが可哀想だと説得。
試しに龍人退治に連れて行ったところ、思わぬ活躍をした。
焚き火を囲んで野営をしたあの日、人懐っこい少年の笑顔を、彼女は思い出す。
「おいリーゼット、本気であたしらについてくる気かい?」
「もっちろん。あとさ、リーゼットとか長ったらしいし、リズでいいぜ」
「リズ君ね。これからよろしく」
「おっ、こっちのお姉さんは話が分かる! それに比べてあっちと来たら……」
「あっちって誰のことだ、お? 言ってみ、誰のことだ?」
「自分の胸に聞いてみれば〜? あ、お姉さんと違ってあんた、胸無いか」
「おっしゃ殺す。フレイムエッジの火葬がお望みか? それとも……」
「止めて、ライナもリズ君も喧嘩はダメー!」
▽▽
死体に持ち主の魂を押し込め、自我を奪った生ける屍、ゾンビ。
この魔物に龍人の血を与えることで、ドラゴンゾンビは完成する。
目の前に立ちはだかる、ドラゴンゾンビの人間形態。
緑の髪に、血の気の失せた顔色、一部は腐敗して骨が剥き出しになっている。
変わり果てた姿だが、彼は紛れもなくローメリア王国の惨事の引き金を引き、自責の念に駆られて自ら命を絶ったライナの仲間。
シーフの少年、リーゼット・ソーン。
『……なんでだよ。なんであいつがゾンビになって、龍人の手先にされてんだよ。なあ』
震えた声で問い掛けるライナに、答えを返す者は誰もいない。
ライナ自身、答えなど分かり切っている。
彼の亡骸を埋葬した直後、あの腐れ外道が、レイドルクが掘り返してこんな姿に仕立て上げたことくらい、容易に想像がつく。
「ライナ……」
彼女にかける言葉が見つからない。
そして、言葉をかけている暇も与えられなかった。
リズはゾンビとは思えない速度を発揮し、瞬く間にリノの眼前へと躍り出ると、逆手に持ったダガーを振るい、攻撃を仕掛ける。
「あぁぁ……」
「くっそ……っ!」
回避で攻撃を掻い潜り、生じた隙を突こうとするリノ。
だが、ライナの仲間だった少年を斬ると思うと。
たとえ相手が食人を繰り返す龍人のゾンビだったとしても、躊躇いを覚えてしまう。
一瞬の判断が戦局を左右する戦闘において、その躊躇いは致命的。
振りかぶった剣を構えたまま、一瞬だけ動きを止めたリノ。
ダガーの斬撃に対する反応が遅れ、危うく肌を掠めそうになる。
「ライナ、フレイムエッジを!」
『…………』
バック転で飛び離れるも、敵は素早く追撃に移行。
魔法剣で攻勢に移ろうとするリノだったが、ライナは力を貸さず、黙りこくったまま。
襲い来る素早い連撃を掻い潜りつつ、彼女は相棒に必死に呼びかける。
「ライナっ!! 気持ちは分かるけど、分かるけど……っ! でも倒さなきゃ——」
『……悪い、リノ』
「えっ……?」
次の瞬間、リノの視界が自分の胸の高さに変わり、蒼紅の瞳が元通りの色に戻る。
完全同調を解除され、主導権を強引に奪われたことを、リノは一拍遅れて理解した。
『ちょっ、何考えてんの、ライナ!』
「悪いとは思ってるさ。これはあたしのわがままだ。でも、このケリだけは」
ライナは高々と跳躍し、近場の家屋の屋上へと飛び乗る。
そして、曲刀に炎の魔力を注ぎ込み、蒼い炎を燃え上がらせた。
「このケリだけは、あたしがこの手で付けなきゃならないんだ」
奥歯を噛み締め、感情を押し殺しながら。
こちらへと駆け上がるリズだったものを見下ろして、彼女は静かに告げる。
「なあ、頼むよ、相棒」
『……本当は、ダメなんだと思う。一刻を争う事態なのに、こんなこと。でもさ、私たち別に正義の味方じゃないもんね』
義憤で動くことはあれど、世界のため、見ず知らずの人々のために自分を犠牲にするほど崇高じゃない。
そして、今感じている感情こそ、まさに義憤。
レイドルクに死よりも重い苦しみを与えなければ、この怒りが晴れることはないだろう。
『いいよ、ライナ。ここは任せた、思う通りにやっちゃって』
「……へっ。ありがとよ」
ニヤリと笑い、相棒に礼を告げる。
リズだったものは既に、眼前まで迫っていた。
「ぅぁぁ……」
小さく開いた口から出る呻き声。
その濁った瞳は、もう何も映していない。
ただレイドルクの命令のままに動く、命を持たぬ肉人形。
「よぉ、久しぶりだね、クソガキ」
ライナの言葉にも、何も反応は無い。
命じられるまま、目の前の敵を殺すため、刃を振るう。
「挨拶も無しか? 相変わらず生意気だな、お前」
的確にライナの首を狙って振るわれるダガー。
【回避】を持たない彼女は、動体視力と反射神経で攻撃を掻い潜りつつ、声をかけ続ける。
「あぁ、顔が違うから分かんないか。こいつはリノ、あたしの魂の宿主さ。この名前、お前の愛称と似てんだろ? 生意気なところもそっくりでさ……」
分かっている。
いくら言葉をかけ続けても無駄だということは、分かっている。
死した骸の中に閉じ込められた魂を、永劫の苦しみから解放する。
その方法が一つしかないことも、分かっている。
ダガーを突き立てにかかるリズの右腕を掴み、攻撃を止める。
血の通わない青白い肌、冷たい感触。
「なぁ、本当にお前だった部分は、欠片も残っていないのか?」
ライナは問いかける。
わずかな、1パーセントにも満たない可能性に賭けて。
「……ぅ」
口元が、動いた。
リズの口元が、今までぼんやりと開いていただけの口が動いた。
思いが通じたのか、かすかな希望を抱き、ライナは必死に声をかける。
「な、なんだ? 今、何か言ったのか? 何が言いたい、何を伝えたいんだ?」
「う、かぁ……っ!」
しかし、吐き出されたのは言葉ではない。
口から飛び出したのは緑色のもや、猛毒の煙。
顔面へと吐きかけられた有毒ガスから、ライナは咄嗟に顔を背ける。
「うぐっ!」
「はぁ……っ、う、うがああぁぁぅ……」
その瞬間、ライナは心の底から理解した。
理解してしまった。
目の前の存在は、リズではないのだと。
もうどこにも、リズはいないのだと。
今目の前にいるのは、ドラゴンに変化する能力を持っただけのゾンビ、ただのモンスター。
姿形はリズでも、これはもうリズじゃない。
怯んだライナに対し、死者は襲いかかる。
生者を殺し、その肉を貪り喰う、ただそれだけのために。
「……そっか。あんたにしてやれることは、もうこれだけか」
曲刀が纏った蒼い炎が、更に激しく燃え上がる。
(火葬してやろうか、そんな冗談を飛ばしたこともあったっけ。お前が死んだ時にそうしておけば、こんな風に体を使われることもなかったのかな)
「……ごめんな」
小さく振られたダガーをかわし、カウンター気味に浴びせる斬撃。
炎を纏った刃が振り抜かれ、リズの体に燃え移った。