70 龍殺し、毒龍討伐へと赴く
王都西区画のスラム街に身を潜め、民衆を煽動するガスを撒き散らす毒龍。
これを倒さない限り、城下の混乱は収まらない。
「それじゃあみんな、行ってくるから」
龍人の潜む廃時計台へと攻め込む掃討作戦の可否は、リノとライナにかかっている。
ランの私室にて、戦いへと赴く彼女をアリエス、ラン、そしてミカが見送る。
「リノ、やっぱり私も付いていった方がいいんじゃ……」
「気持ちは嬉しいけど、万一の時のために戦力は出来るだけ分散しない方がいい。それに、ランちゃんを安心して任せられるの、アリエスちゃんくらいだから」
「……分かった。その代わり、全部終わったらご褒美いっぱい欲しい」
「うん、何あげるか考えとくね」
アリエスの魔女帽を取り、頭を撫でる。
気持ちよさそうに目を細める彼女への愛しさが湧き上がり、リノも自然と笑顔になった。
「ミカちゃんも、私がいない間、しっかりランちゃんを守ってあげてね」
「ええ、任せておきなさいな! そ、それで、その……。終わったらわたくしにも、ご褒美、を……」
非常にはきはきとした返事から一転、どんどんと声量が小さくなり、最後の方は殆ど聞こえない。
顔を赤らめて黙ってしまったミカの耳元に顔を寄せ、リノは小声で囁く。
「いいよ、頑張ったらいっぱいご褒美あげるから、楽しみにしておいてね」
「————っ!??」
とうとう頭から煙を噴き出したミカ。
アリエスが二人のやり取りを凄い目で見ているが、リノとしてはこの二人にも仲良くなってもらいたい。
最後にラン。
会議が終わったあと、彼女は小さく震えていた。
無理もないだろう、臆病な彼女が腹に一物抱えた貴族たちの前で、王族として堂々と振る舞ったのだ。
加えて、力を使った際の疲弊具合。
あの探査能力を、一日に何度も使うのは危険だろう。
「ランちゃん、頑張ったね」
「いえ、あんなの頑張ったうちには……」
「ううん、いっぱい頑張った。偉かったよ、ランちゃん」
小さな体を抱きしめ、頭を撫でながら、労わるように言葉をかける。
ランの体から震えと強張りが消えた。
リノの腕の中で安らぎに満ちた顔を浮かべ、背中に腕を回して抱きしめ合う。
「……えへへ、リノさん。わたしだけご褒美、先に貰っちゃいましたね」
「羨ましい。でも仕方ない、ランは頑張ったから。私も頑張る」
「ですわね。一緒に頑張りましょう、アリエスさん」
「……むぅ。協力はするけど」
やはりこの二人はまだ上手くいかないらしい。
不安は尽きないが、そろそろ出発の時間だ。
腰に新たな曲刀を差し、疾風の靴を履いて、ランの部屋の窓を開け放ち、足をかける。
「じゃあ、行ってくるね」
「いってらっしゃい。ご褒美、楽しみにしてるから」
「軽く捻ってきてくださいまし!」
「リノさん……。ご武運を」
三者三様の見送りの言葉に頷き、リノは窓から飛び出した。
眼下の広場には群衆がたむろし、城門前で騎士団と押し合っている。
街から上がる火の手も増え、暴動はさらに過激化しているようだ。
上部の屋根に飛び移ると、城壁まで走って飛び降り、城下町へ。
立ち並ぶ家々の屋根を飛び渡り、西区画スラム街を目指してひた走る。
暴徒と化した民衆の作り出す、地獄絵図を目にしながら。
▽▽
他の区画とは対称的に、スラム街は静けさに包まれていた。
無気力な浮浪者の姿すらない、死んだように静かな街並み。
防毒のため手ぬぐいで口元を覆いつつ、周囲の気配を探りながら進む。
「……ねえ、こんな布で毒ガス防げるの?」
『もちろんそんな手ぬぐいじゃ、致死性の毒ガスは防げないだろうね。でも、一般人をおかしくする程度のガスなら十分さ。でもリノくらい強ければ、無くても平気だろうね』
「無しってのは心理的に嫌。それにしても静かだね、スラム街。前来た時はもうちょっとだけ活気があったと思うんだけど」
まるで廃墟、ゴーストタウンだ。
人の気配をまるで感じない。
『気をつけろ、リノ。煽動系の毒ガスを使うってことは——』
ライナの声を遮るように、一人の男が姿を現した。
その手には角材を持ち、焦点の合わない目でふらふらと向かってくる。
「な、なにあの人……? 正気じゃ、ないよね……」
後ずさるリノ。
焦点の定まらない浮浪者たちは続々と姿を見せ、彼女の背後にある廃屋からも集団が現れる。
「囲まれた!?」
うめき声を上げながら、彼らは何かに操られるようにリノへと襲いかかってきた。
「ライナの言いたかったこと、つまりはこういうことだよね」
『あぁ、毒龍に操られてるね。相手は一般人だ、こっちが手を出せないと知ってて。汚い手を使うねぇ』
四方八方から掴みかかり、殴りかかる浮浪者たち。
【回避】を駆使して攻撃を掻い潜り、隙間を縫うように抜けて屋内へ駆けこむ。
疾風の靴の効果で、彼女の動きは常人には捉えることすら出来ない程に上昇していた。
操られた浮浪者たちには、一陣の風が駆け抜けたとしか認識出来ない。
「このままあの人たち撒いて、敵の本体探すよ!」
『おう、つってもどこにいるんだか。ラン連れてこりゃ良かったかな』
「バカ言わないで。あの子にそんな危ないことさせらんないでしょ!」
『冗談だって。アレ、かなりキツそうだったもんね』
老朽化した階段を駆け上り、屋上へと飛び出す。
そこから屋根を飛び渡りつつ、龍の姿を探していると。
「あれじゃない!?」
ある一点から、よく目を凝らさなければ分からないほどに薄い、限りなく透明に近い煙が立ち上っていた。
『でかした! 敵はあそこだ、殺しに行くよ!』
「よっし、手早く片付けよう!」
穴の開いた家屋の屋根を疾風のように駆け抜け、煙の発生源へと向かう。
直前で一旦足を止め、屋根の上から慎重に覗きこんだ。
いる。
いるにはいるが、その龍の姿が見えた瞬間、リノは言葉を失った。
「……ね、ねえライナ。なに、アレ……」
スラム街の通りに佇み、全身からガスを噴き出し続ける四足歩行の龍。
体表は腐り果てて蛆が湧き、瞳は濁って右目が垂れ下がっている。
ドロドロと溶け落ちる肉、胸部のあばら骨が露出し、尻尾の先端部は骨だけ。
まるで生気を感じない、生きているのか死んでいるのかも分からない異形の姿。
『あいつは……、驚いたね、ドラゴンゾンビだ。屍毒龍の異名を持つ、文字通り生きる屍さ』
「ゾンビ……。確かにそんな感じの見た目だけど、でも生きてるんだよね?」
『いんや、死んでる。ゾンビってあるだろ、死体に持ち主の魂を無理やり詰めて、自我を奪った魔物。アレに龍人の血を混ぜりゃ、コイツの出来上がりさ。レイドルクの野郎、趣味が悪いもん作りやがって』
息を殺して異形の屍龍を見下ろし、攻め入る機会を伺うリノ。
彼女は背後から忍び寄る無数の影に、まだ気付かない。




