67 龍殺しの少女、とうとう決意を固める
墜落地点でランを膝枕したまま、アリエスはリノが戻るのをじっと待つ。
未だ意識の戻らない膝の上のお姫様。
サラサラの金髪を撫でながら、待つこと五分。
リノが屋根を軽快に飛び渡り、彼女の側へと降り立った。
「お待たせ、アリエスちゃん。きっちりケリはつけてきたから」
「お疲れ様、リノ」
リノの瞳はオッドアイではなく、ブラウンに戻っている。
ライナはすでに首飾りの中らしい。
リントブルムの攻撃による街への被害は最小限に留められたが、決してゼロではない。
火炎弾によって延焼する家屋、立ち上る黒煙が、そこかしこに見てとれる。
「周り、結構火の手が出てるね……。救助とか手伝いたいけど、まずはランちゃんが起きるまで待たなきゃ、だね」
「うん。ランが起きたらお城に連れていって、手伝うにしてもそれから」
とはいえ、街の巡回任務についている冒険者たちが大勢救援に向かっている。
リノたちが行っても、手伝えることは少ないかもしれない。
「それにしても、あの空中戦。アリエスちゃんにはだいぶ無茶させちゃったけど、疲れてない?」
「全然平気。むしろご褒美貰えるから張り切ってた」
「ご褒美って……。うん、アレのことだよね、やっぱり。本気?」
「本気も本気。リノは本気で約束してなかったの? もしそうなら、とても心外」
頬を膨らませるアリエス。
マウストゥーマウスでキスをしてくれる、そう約束したからこそ、あれだけ頑張れたのに。
本気の抗議を示すこの反応に、リノは大慌てで弁解。
「あ、いや、別にいい加減な気持ちで受けたわけじゃなくて。や、やっぱりそういうことするなら、恋人になってからじゃないかなって」
「キスならもうしたでしょ。私からした。ついでに言うなら告白もした。あとランともしたんだよね」
「そうだけどぉ……」
ここまでグイグイ来られると、リノもたじろいでしまう。
「分かりました。リノの言い分によればつまり、私と恋人になれば問題ない」
「問題あるってば! 前にも言ったけど、私はランちゃんとミカちゃんにも告白されて……」
「それも問題無し。リノが全員恋人にすればいいだけ。ミカは嫌だけど、リノがしたいっていうならこの際構わない」
『そうだぞ相棒! いい加減年貢の納め時だぞ、観念しろー!』
「外野は黙ってて! う、うーん……、いいのかな……?」
確かにリノは三人から告白され、いずれも喜びを感じた。
幼い頃から手を引っ張ってきた、スキルを授かってからは目標としてきた幼馴染のアリエス。
彼女とはこれからも人生を共にしたい。
運命的な出会いを果たした、龍人と人間の狭間で苦しむ少女、ラン。
彼女をあらゆる理不尽から守りたい。
目標に届かないもどかしさ、その悩みを分かち合い、今は良きライバルとなったミカ。
彼女とはもっと様々なところを冒険し、共に高みを目指したい。
「全てはリノの気持ち次第。私もランも覚悟は決まってる。だからリノ、もしリノの気持ちが私に向いてるなら、まずは私を恋人にして?」
白い頬を染めながら、両手を握られ、上目づかいで懇願される。
鼓動がドキドキと高鳴り、アリエスの唇から目が離せない。
(……あぁ、もう言い訳できないや。私、アリエスちゃんを恋人にしたい。他の誰にも、渡したくない)
それだけじゃない、ランも、ミカも、誰にも渡したくない。
決意を固めたリノは、アリエスの肩に手を置いて顔を寄せる。
近付く唇と唇。
身を任せたアリエスが瞳を閉じ、触れ合う寸前にリノは動きを止め、
「好きだよ、アリエスちゃん」
彼女のあごを指で持ち上げながら囁いた。
「リ、リノ——んむっ!」
驚きのあまり目を見開いたアリエス。
瞬間、その唇を奪う。
「んっ……」
「んぅぅ! ん、ふっ……」
想いが通じ合った喜びと、リノと唇を重ねる幸福感。
やがてアリエスはまた瞳を閉じ、愛する人の腕に身を委ねた。
▽▽
「……ん、んん?」
意識を取り戻したランが、青い瞳を開く。
目を開けてまず視界に入ったのは、こちらを覗きこむアリエスの顔。
無表情の中に、心配そうな色が見て取れる。
「良かった、ランちゃん。目を覚ましたんだ」
続いて、リノも彼女を覗きこんだ。
二人に救われたことを理解し、ランは体を起こす。
「そっか、また助けてもらったんですね。リノさん、アリエスさん。ありがとうございます」
周囲を見れば、黒い煙が街の各所から立ち上っている。
「あ……。火事……ですよね、これ。まさかわたしを助けるために、街に被害が……?」
「ランちゃんは悪くないよ、気に病むことなんてない」
「そう。それよりも今やるべきことは、お城に戻って無事な姿を見せること。でしょ?」
「……はい。わたし、決めましたから。もう逃げないって」
決意を込めた瞳で、ランは力強く宣言する。
「王族としての自分からも、龍人としての自分からも、もう逃げません!」
バーンドが命がけで伝えてくれた、王族としての自覚。
リノとフィアーの戦いが、彼女の生き様が教えてくれた、龍人の力との向き合い方。
臆病だった少女は、それらと向きあう決意を固め、前へ進もうとしている。
「ランちゃん……。そっか」
もう何も、励ましや気休めの言葉をかける必要はないのかもしれない。
壁を乗り越え、逞しくなったランの姿に、アリエスとリノは顔を見合わせて微笑み合う。
二人は共に立ち上がり、ランに手を差し伸べた。
「じゃあ帰ろう。お城でみんなが待ってるよ」
「はいっ!」
リノとアリエスの手を取り、彼女は立ち上がる。
龍人の力を完璧に制御することが出来れば、レイドルクの潜伏場所も割り出せるはず。
あの邪悪な龍人を倒し、一連の騒動を終わらせなければ。
三人が城を目指し、一歩を踏み出そうとしたその時。
「いたぞ、アイツだ! 人間の皮を被った化け物だ! おい、お前ら、こっちに来い!」
棍棒を両手で持った男が、こちらを指さして叫ぶ。
すぐに彼の仲間たちも駆け付け、十人ほどの集団が彼女たちを取り囲んだ。
男たちが手にする武器は、日用品である薪割り用の斧や家畜屠殺用の棍棒。
彼らは冒険者ではなく、一般の市民だ。
「な、なにさ、あなた達! 化け物って誰のこと言ってんの!」
「決まってる、そこの王女面した化けモンだよ!」
「さっき暴れた龍も、元はと言えばそいつが原因なんじゃねえのか!?」
「あの龍のせいで、俺の家が燃えちまった! どう責任とってくれんだよ!」
彼らの目は尋常ではないほどに血走り、ありったけの敵意と悪意をランにぶつける。
まるで、見えない何かに突き動かされるかのように。
王都西部、スラム街。
浮浪者が道端にうなだれているはずのこの場所は今、静まり返ったゴーストタウンと化していた。
静寂の中、ただ一匹の龍が全身から煙を吐き出し続ける。
この日の風は、西から東へと吹いていた。
風に乗って、龍の出す煙が王都全体へと広がっていく。
見えない悪意が、この街を飲み込んでいく。




