60 少女と少女は月明かりの下で
右肩口に大穴を穿たれたフィアー。
半龍の状態から元通りの少女の姿に戻り、傷口を左手で押さえながら後ずさる。
右腕の腱が損傷し、彼女の腕はもう上がらない。
戦闘不能となり、オーラの維持も不可能となった彼女の喉元に、鋭い切っ先が突き付けられた。
「チェックメイト、だね。さあ、楽しいインタビューの時間だ」
ライナの口調でそう言い放つ彼女が手にしているのは、二つに折れたナギナタのもう片方。
彼女は最初から、武器を失ってなどいなかった。
「私の負け、か。全力を尽くしても勝てない相手。私の死に相応しい敵だった」
「良い心掛けだ。じゃあまず——ライナ、ちょっと待って」
フィアーの口にした言葉に、リノは拭いきれない違和感を抱き、相棒のセリフに強引に割り込んだ。
「あなた、本当に全力を出し切ったの? 龍人の戦闘形態には、もう一段階上があるはずなのに」
「龍化のことか。あれは年月を重ねた龍人が、多くの人間を喰らうことで変化出来るもの。私は龍にはなれない」
「どういうこと……? さっき、百年以上生きてるって……」
「私はこれまで、一度も人を喰っていない」
突き付けた切っ先が、ピクリと動く。
リノと同調しているライナは、彼女の感情の動きを敏感に察知して釘を刺す。
『おい、騙されるな。龍人は卑怯で悪辣な存在だ。生き残るためなら平気で嘘を吐く』
「この人、ウソは吐いてない。表情で分かるもん、本当のこと言ってる顔だ」
『……信用しろってのかい?』
「表情を見抜くのは、私の特技だよ。信用しろ、とまでは言わないけど」
そう言いつつも、ナギナタの切っ先はピッタリと喉元に張り付いたまま。
ひとまずライナは尋問を開始する。
「……待たせたね。まずは、何故ランをさらったか。教えてもらおうか」
「……知らん。レイドルク様に連れてこいと命じられた、それだけだ」
「はあ、知らない。じゃあ次、レイドルクと龍人共はどこに潜んでいる」
「教えるものか。あの方に不利となる情報など、絶対に吐かん」
「ほぉほぉ、なるほどなるほど。……お前、立場分かってんの?」
無事な左肩に容赦なく切っ先をねじ込み、ぐりぐりと抉る。
「ぐ、くぅ……っ!」
「叫ばないたぁ、大したガッツだ」
「ちょっとライナ、そこまでにして」
体の主導権はリノにある。
彼女の意思で、すぐさまナギナタは引き抜かれた。
「ここは王宮、丈夫な牢屋はいっぱいある。とりあえずこの人はとっ捕まえて、牢屋にぶっこむ。尋問はそれから。いいね?」
「……わーったよ」
リノはすぐさま背後に回り込み、ナギナタの柄でフィアーの後頭部を強打。
彼女は意識を手放し、その場に倒れ込んだ。
気を失ったフィアーに対し、収納していた太めの縄を取り出して縛り上げ、ついでに足もグルグルと縛る。
「ふぅ、終わった。ランちゃん、怪我は無い?」
きつく結んで捕縛を終えると、屋根の上でへたり込んだままのランの下へ。
リノが目の前に来ても、彼女は浮かない顔のままだった。
「あ……っ、大丈夫、です……。どこも怪我してません……」
「じゃあどうしたの? そんな暗い顔しちゃって。私のキスで元気にしてあげようか」
顎を指でクイ、と上げて、青い瞳をじっと見つめるオッドアイのリノ。
小さな姫君は羞恥で顔を真っ赤に染める。
「ちょ、ちょっと待って! ランちゃん、今のはライナだから! もう、お前今すぐ頭の中から出てけ!」
「なんだい、せっかくアシストしてやったってのに。追い出せるもんなら追い出してみろっての。ぷっぷー」
「もうあったま来た! こうなったら無理やり追い出してやるからなこの悪霊!!」
一つの体で喧嘩する二人を前に、事情が分かっていても目を丸くするラン。
何も知らない者の前でこれを披露すれば、確実に可哀想な目を向けられるか、関り合いにならないよう遠くを歩かれるだろう。
リノは脳内の領域に意識を向けた。
ライナの魂をかき集めた時と、要領は同じだ。
彼女の魂を見えない手で掴み、移動させるイメージで。
「収納っ!」
ペンダントの中に、纏めて放り入れる。
「……どう? ライナ、首飾りに戻った?」
『あぁ、戻った。戻っちゃったよ。せっかく面白かったのにねー』
怪しく光る蒼紅の光彩も、元通りのブラウンに。
ようやくあるべき場所に収まった二人。
どこか懐かしい気持ちさえ湧いてくる。
「……おかえり、ライナ。仇はしっかり取ったから」
『おう。さすが相棒、信じてたよ』
報告は手短に。
二人の間に築かれた確かな信頼に、ランの表情も緩む。
「ふふっ、お二人とも、仲よろしいですね」
『だろー?』
「どこが! ……って、あれ? ランちゃん、ライナの声聞こえてる?」
「え……? あれ、そういえば普通に聞こえます」
「何でだろう……、一度首飾りの中から出たことが、関係してるのかな。……まあいいや、考えても分かんないだろうし。それじゃあランちゃん、王宮に戻ろうか」
手を差し伸べるリノだったが、ランは座りこんだまま、首を横に振る。
「も、もしかして立てないの? やっぱり怪我してるんじゃ……」
「違います……。ただ、このまま戻っても仕方ないんじゃないかって思うんです……。きっとまた元通り、部屋に閉じこもったままの、名ばかりの姫になるだけなんじゃないか、って……」
俯いたまま、ぎゅっと拳を握る。
龍人の血から逃げ、王族の責任からも逃げていた臆病な自分との、決別への第一歩。
ほんの少しの勇気を振り絞って、ランは。
「だから、わたしに元気と、勇気をください……」
真っ直ぐにリノを見つめると、そっと、瞳を閉じた。
「そ、それって……」
先ほどのライナの軽口が頭を過ぎる。
つまりランの言葉の意味は、求めているものは。
『ほらほら、女の子に恥かかせんな』
「私も女の子だってば!」
昼間にミカから告白されたばかりなのに、今度はランにまで。
ドキドキと高鳴る鼓動の中、リノはそっと彼女の両肩に手を乗せた。
「……えっと。いいん、だよね?」
返事は返ってこない。
ただ黙って目を閉じたまま、じっと待っている。
覚悟を決めたリノは、その瑞々しい唇にそっと顔を寄せ、そして、
「リノさん、好き。好きです……」
月明かりの下、二人の少女の影が重なり合った。