58 龍殺少女の【回避】と【収納】
夜闇に紛れる黒マントを纏い、塔から飛び下りた仮面の人物。
ランを小脇に抱えながら城の屋根を飛び渡り、敷地外を目指して駆ける。
その背後から飛来した、風の刃。
跳び上がって回避したその足下で、瓦屋根が砕け散った。
体を反転しながら着地した仮面の人物は、月の光の下、追跡者と——リノと対峙する。
「ランちゃんを返せ」
「龍殺し、か。相も変わらずその状態のようだな」
「……もう一度言う。ランちゃんを、返せ」
風を纏った切っ先を向け、敵を睨み付けるリノ。
その形相を目の当たりにしたランの背筋が、恐怖で凍りついた。
殺意に燃える瞳、敵を殺すことしか頭にない憎しみに満ちた顔。
ランは確信する。
あれはリノじゃない、と。
「返さない、と言ったら?」
「殺す。返すと言っても殺す!」
炎の魔法剣を発動し、突進するリノ。
仮面の人物——フィアーは、ランを正面に突き出して、その首にナイフの刃を突き付ける。
「ひゃっ!? いやっ、離してください」
「止まれ、龍殺し。それ以上近寄ればコイツを殺す」
その狙いは、ランを人質として攻撃を止めさせること。
そしてもう一つ、今のリノがどれほどリノの部分を失っているかを確かめるため。
「龍人は、全て殺すッ!!」
「……チッ、やはりコイツは狂犬だ」
ランを盾にされても、リノは全く怯まず突っ込んでくる。
舌打ちと共に見切りをつけたフィアー。
ランを背後に突き飛ばすと同時に、取り出した双頭のナギナタで炎の斬撃を受け止め、すぐさま弾き返す。
「リノさん……? おかしいです、こんなのリノさんじゃ……」
屋根の上で座り込み、震えるランの姿は、リノの視界にまるで入っていない。
今の彼女はランを助ける目的を見失い、龍人を殺すことに固執している。
「殺す、お前らのせいで沢山の人が、あたしの大事な人がッ!!」
「……なるほど。姫君の驚きようを見るに、龍人を前にすると症状が加速するのだろうな」
冷静さは欠片もなく、ただ力任せに曲刀を振り回し、叩きつける。
やはり今の状態ならば、容易に仕留められる。
分析を終え、フィアーは勝利を確信。
大振りの雑な薙ぎ払いを双刃の片側で防ぎ、
ザクッ!
「ぐっ……!」
もう片側で、左の二の腕を深く抉る。
怯んだリノの腹部に目がけて、渾身の膝蹴りを叩き込んだ。
リノは吹き飛び、瓦屋根を砕きながら転がっていく。
「げほっ、げほ……」
「この程度か、龍殺し。ならば我らのため、お前はもうここで死ね」
痛みに悶えながら、リノが考えているのは状況の打開策でも、ランを助け出す方法でもない。
「なんで……、私、今まで何してた……? なんで記憶が、飛んでるの……?」
ランを見つけて、敵に近寄って、仮面の龍人だと分かった途端、頭の中が熱くなった。
それから記憶がおぼろげになって、気付けばこうしてダメージを受け、這いつくばっている。
「思い出せない……。——っ!」
困惑している暇はない。
フィアーの振り下ろした刃が目前に迫る中、間一髪、曲刀で受け止める。
「ぐっ!」
「リノさん! どうしちゃったんですか! こんな人、いつもみたいにやっつけてください!」
「ランちゃん……? ランちゃん、私、今まで何してたの?」
「……お、覚えて、ないんですか? リノさん、まるでライナさんみたいで、魔法剣まで使ってて……」
「ライナ、みたいに……?」
リノの脳裏によぎる一つの可能性。
ずっとライナは、首飾りの中で眠っていると思っていた。
もしもそれが、勘違いだったとしたら。
あの時ライナがリノに送り込んだものは、【龍殺し】の力だけではなく——。
「命のやり取りの最中に、呆けるなッ!」
「がぁっ!」
フィアーの足先が顔を蹴り上げ、リノは仰向けに倒れる。
追撃の刃が心臓に突き立てられる直前、彼女は自力で身を翻し、起き上がった。
「……ははっ。回避すら発動させれないなんて。確かにボロボロだ」
頭の中で、また何かが暴れ出そうとする。
リノの魂と混じり合い、バラバラになった彼女が。
「笑っちゃうよね。全部の攻撃を回避する。意識さえすれば全てを避けられる。それが私だって、忘れちゃってた」
怒りと憎しみに浸食されそうな心を強く保ち、自分に言い聞かせる。
これは攻撃だ。
手のかかる同居人による、無意識の攻撃なのだと。
「何をブツブツと、気でも狂ったか!」
「時々悲しみや怒りがダイレクトに伝わってきたのも、きっと入れ替わるたびに、少しずつ混ざっていってたんだ」
繰り出されるナギナタの連撃を、【回避】を発動させ、軽快なステップでかわしていく。
同時に、目の前の龍人に対する憎しみを撒き散らす、心に対する『攻撃』を【回避】で受け流し、そして。
「コイツ、この動きは、本来の……!」
「そう、【回避】。それともう一つ、私には取り柄があるんだ。散らかったものを片付ける、お掃除に便利なスキル」
リノと混じり合い、バラバラになってしまっていた魂の欠片を拾い集めて、彼女が取り憑いた時に出来た空きスペースへと、残さず集める。
「【収納】っ!」
刺突を体を捻ってかわし、ナギナタの柄に手を伸ばす。
「させるかっ……!」
収納による武器奪取を防ぐため、フィアーは背後に飛びのいて距離を取った。
「リノさん、凄い……。いつもの、カッコいいリノさんです……」
「へへっ、ありがと、ランちゃん。もうちょっと待っててね、今あのバカ叩き起こして、コイツをやっつけて、助けてあげるから」
ライナは【龍殺し】をリノに使わせるため、眠りにつく瞬間、魂をリノの中に移動させた。
しかし、首飾りという依り代を失ったライナの魂は非常に不安定。
長い時間をリノの魂の中で過ごすうち、少しずつバラバラになって、リノと混ざり合ってしまった。
「勝手に取り憑いて、人の精神まで侵食するなんて。ホント、迷惑なヤツ」
バラバラになった欠片を【収納】によってかき集め、彼女の魂の修復は完了。
約三週間も眠り続けた相棒に、リノは大きく息を吸い込み、
「すぅぅぅぅぅ……、起きろっ、このねぼすけーーーーーっ!!!」
夜の王城に響き渡る大声で、喝を入れた。
『…………う、うるさいな。なんだ、そんな大声出して』
頭の中に響く、久々の相棒の声。
ようやくのお目覚めに、リノは少しばかり刺々しく対応する。
「ライナが悪い。ちっとも起きない上に私に大迷惑かけたライナが悪い」
『そ、そうなの? 悪い悪い。ところでこれ、どういう状況?』
「見ての通り。悪い奴がお姫様をさらった。だからやっつける」
『オーライ、シンプルだ。よっしゃ、久々に暴れるか。リノ、交代……って、あれ?』
ここでライナは、異変に気が付いた。
『あたし、もうリノの中に入ってんじゃん』
「そうだよ。こんな変なことになったの、ライナのせいなんだからね」
『……でもこいつは使えるかも。試してみるか。やるよ、リノ!』
「やるって、まさか……」
「貴様。戦闘中に随分と余裕だな」
素早いステップで瞬時に間合いを詰めたフィアー。
振り下ろされるナギナタを、リノは曲刀で迎え撃つ。
スパァッ!
その刃が柄の中央に触れた瞬間、ナギナタはいともたやすく二つに分断された。
「な、何っ!?」
異常な切れ味の原因は風の魔力。
続けて伸ばしたリノの手が、分かたれたナギナタの片割れに触れ、
「——収納」
瞬間、跡形もなく消滅する。
その間も、曲刀は途切れなく風を纏い続けたまま。
「魔法剣と収納を同時に……!? こんなこと、あり得るはずが……!」
フィアーを睨むリノのブラウンの瞳。
その左の光彩が赤、右の瞳が青へと変わり、彼女たちはニヤリと笑った。
「『それが、あり得るんだよ。わたしたちにはね」』




