53 仮面少女の砕けた仮面
美しい王女の正体が、人喰いの怪物。
突如演説に割り込んだ男の発した荒唐無稽な言葉に、会場は困惑の渦に包まれる。
「何を言っておるのだ、レイドルク! 皆のもの、こやつをこの場所からつまみ出せ!」
王の指示を受け、待機していた近衛の騎士が二名、レイドルクの両手を掴んで拘束しようとする。
「私に触らないでくれますか?」
軽く腕を払う。
ただそれだけで、二人の騎士は廊下まで吹き飛んだ。
彼らは壁に背中から叩きつけられ、そのまま気を失ってしまう。
「何のつもりだ、貴様!」
「そう怒らないでください。私はただ、真実を皆さまにお伝えしたいだけなのです」
ざわめきが収まらない群衆に向け、彼は再び語り始める。
「龍人とはなんだ、と疑問にお思いでしょう。奴らは人間に化けて人の社会に潜み、人知れず人を喰らう不老不死の怪物です。この王都にも多数潜んでいるでしょうねぇ、あぁ恐ろしい」
人ごみを掻きわけ、人を押しのけて、一心不乱に進むリノ。
あの男が何をしようとしているのか、彼女には察しがついていた。
悪辣な龍人の好む、陰湿なやり口。
だがそれを実行すれば、龍人自体も深刻なダメージを被るはず。
「……いや、レイドルクはそういう奴だ。同じ龍人のことすら顧みない。あいつは昔からそういう奴だ」
「さて、このような事を突然言われても、とお思いの方も多いでしょうね。そこで、動かぬ証拠をお見せします。このお姫様の本性、その正体を、ね」
頭を抱えて震える小さな少女に対し、レイドルクは鉄仮面をどこからともなく取り出し、突き付けた。
「え……? なんで……、それ、持って……、部屋に置いていた、のに……」
「そのドレスがあれば、龍人化を抑えられるのでしょう? ならばもう、このガラクタは必要ありませんよねぇ」
悦に浸った残酷な笑みを浮かべながら、鉄仮面を両手で押さえ付け、軽く力を込める。
「うそ、待って、だめ……! いや、やめてええぇぇぇぇっ!!」
——バキバキメキッ。
たったそれだけで、鉄仮面は割れ砕けた。
ランの絶叫が虚しく響き、伸ばした手は何も掴めない。
辛い日々の支えになってくれた大切な母の形見が、原形も留めない鉄の破片に変わっていく。
「あ、あぁ……っ、そんな、そんな……」
膝から崩れ落ちたラン。
その蒼い瞳からとめどなく涙が溢れ、同時に。
「ほぉら、始まった」
可憐な姫君の右腕に、首筋に、緑色の鱗が表れた。
レイドルクは彼女の右手のグローブを乱暴に取り去り、腕を掴んで無理やりに立たせる。
「御覧なさい、これこそが龍人の証! この者は人間ではない、人喰いの化け物なのですよ!」
鱗で覆われ、鋭い爪を剥き出しにした右腕が、白日の下に晒される。
動かぬ証拠を突きつけられた観衆はざわめきを大きくし、王や近衛騎士も困惑に包まれ、そしてランは、もはや逆らう気力すらも失せ、目の光を失って為すがままとなっていた。
「……っ、アイツ、よくも!」
一連の暴挙を目の当たりにし、奥歯を砕けんばかりに噛み締めるリノ。
彼女の中に、どす黒い憎しみと殺意が煮えたぎる。
大事な人を目の前で喰い殺された記憶が、知らないはずの記憶が鮮明に蘇る。
「リノ、待って! アイツは龍人ってことだよね、ランを助けに行くんだよね?」
「ちょ、ちょっとお待ちになって! 事情はさっぱりですが、わたくしも手伝いますわ!」
リノを追いかけるアリエスとミカ。
彼女たちに対し、リノは手短に告げた。
「アイツはレイドルク。性根まで腐り果てた龍人でクソ野郎。だから殺す!」
「了解。ランは私に任せて」
「わたくしは、リノさんのサポートに!」
バルコニーは目前。
アリエスはスターブルームに飛び乗って、上空に舞い上がる。
そしてリノは地面を強く蹴り、バルコニーをめがけて矢のように飛んだ。
同時に腰の曲刀を抜き放ち、鬼のような形相で突っ込んでいく。
「レイドルクゥゥゥゥゥウッッ!!!」
一撃で首を落とすため、振り上げた刃。
しかし、群衆の中から飛び出した人影が二人の間に割り込み、双刀のナギナタでリノの斬撃を食い止める。
「こいつ……ッ!」
「おやおや、龍殺しの英雄ですか。相手をしてあげなさい、フィアーさん」
リノの前に立ちはだかる、フィアーと呼ばれた仮面で顔を覆った人物。
闘技場でレクスを連れ去り、サラムネア草で正気を失わせた、あの時の龍人だ。
空中で衝突した二者は、反動で距離を離しながら共に広場に着地。
「邪魔だ、どけ! 今あたしが用があるのはレイドルクだけだ!」
「なぜ貴様の指図を聞かねばならん。私に命令を下して良いのは、あの方のみ」
「……そっか、分かった。だったらお前から殺してやるッ!」
殺意を込めて睨みつけ、敵へと駆け込むリノ。
広場の最前列で戦闘が始まると同時、アリエスは上空高くから加速を開始。
全速力でバルコニーに突撃し、レイドルクに捕まったランに手を伸ばす。
「ラン、こっち!」
すれ違いざま彼女の体を抱いて掠め取ると、そのままの勢いでバルコニーに不時着。
ランを庇いながらゴロゴロと床の上を転がり、体勢を整えて跳ね起きる。
「おやおや、これは一大事。麗しの姫君をさらわれてしまいました」
「うっさい。芝居がかった口調やめろ、三文役者」
腕の中に抱えたランを解放し、レイドルクを睨みつける。
杖を片手に、いつでも魔法を放てるよう魔力を溜めながら。
「そ、そなたはアリエス! これはなんたることか、お主は事情を知っておるのか?」
「……長々と話してる余裕は無いから後で。今言えることは、こいつの方が人喰いの化け物、ランは今まで人を殺したことなんてない。それだけです」
「……分かった、そなたを信じよう。ランよ、こちらへ」
まるで生きる気力を失ってしまったように、王に手を引かれるまま従うラン。
娘を背に庇いながら、王は家臣であったはずの男を問いただす。
「なぜだ、レイドルク! ランが我が娘だと報告したのはそなたであろう! にも関わらずこのような暴挙、待遇に不満でもあったのか!」
「滅相もない。私のような流れ者を拾って下さり、諸国を回る密偵としてお取り立てくださった御恩、どうして忘れることが出来ましょうや」
「では此度の乱痴気騒ぎ、如何なるつもりで引き起こした!」
「実は私、退屈が嫌いでしてね。何せ数千年以上も生きていますから。日々面白いことが無いかと探し回っておりまして。で、二百五十二年前でしたか。ある王国で起こった出来事がとっても面白くてですね」
ローメリア王国の末路を思い出し、レイドルクは心底楽しそうに笑みを浮かべた。
「是非、あれをもう一度見てみたいなと思い至った次第に。ただ、過去の通りだと龍人の存在は嘘、で片付けられてしまいますので。こうしてラン様を利用させて貰いつつ——」
一旦言葉を切り、指をパチンと鳴らす。
それと同時、広場の各所から悲鳴が上がり始めた。
「広場に百人ほど、龍人を混ぜておきました」