51 半龍少女は跡を濁さず
赤く染まった頬、潤んだ蒼い瞳。
リノの心臓が、ドキリと跳ねる。
「ゆ、勇気って……?」
ランが何を言おうとしているのか、いまいちピンと来ない。
加えて、鼻腔をくすぐる湯上りの少女の甘い香りと、十二歳という年齢に不釣り合いな色気漂う表情。
到底冷静にはなれず、リノはゴクリと喉を鳴らす。
「わたし、わたし……」
アリエスから入れ知恵された、『告白してあわよくば最後までいっちゃうことを許可します作戦』。
実行に移そうと決めたはずが、この土壇場になってアリエスへの申し訳なさが先立ってしまう。
好きだと言おうとしても、喉から言葉が出てこないまま、
「……ほ、ほっぺにキスしてください!」
「ほっぺに……?」
結局、決意を曲げてしまった。
笑顔を浮かべながら代わりにお願いするのは、他愛もない事柄。
「はい。そしてわたしがお城に行っちゃうまで、いつも通りに暮らして、美味しい料理を作って、笑っていてください。そうすればきっとわたし、きっとがんばれっ、がんばれるからっ……」
途中から溢れてきた涙で視界が滲み、上手く言葉の続きが紡げない。
「だから、わたし、わたしっ……」
何度拭っても、涙は止まらないまま。
震える小さな体を、リノは強く強く抱きしめる。
「いいんだよ、辛かったら思いっきり泣いて。私が側にいてあげるから」
「リノさ……っ、う、うええぇぇぇ……」
彼女は声を上げて、泣いた。
泣き続けた。
想いをふっ切るために。
初めての恋を、この場所に置いていくために。
「……大丈夫?」
腕の中で泣き続けたランは、ようやく落ち着きを取り戻す。
「はい。リノさん、本当に優しいですね。だからわたし、大好きなんです」
そして、とびきりの笑顔を向けてくれた。
表情の変化に敏感なリノは、彼女から親愛以上の何かを感じ取る。
だからだろうか、こんなにも心臓が激しく鼓動を刻むのは。
「……私も、ランちゃんが好きだよ」
彼女を抱き寄せ、顔を近付ける。
そして、唇を頬にそっと落とした。
——ちゅっ。
「ひゃっ!」
「な、なんだか照れくさいね。これで良かったかな」
「ひゃいっ、バッチリですっ!」
照れ笑いするリノと、なぜか背筋を伸ばしたラン。
どこか気まずさを感じながらも、心地いいひと時。
「良かった。じゃあ寝ようか。もう結構な時間みたいだし」
「あ、あの、ぎゅーってくっ付いて寝てもいいですか?」
「もちろんだよ、おいで」
そして、二人は寄り添って夢の中へ。
残り少ない時間を惜しむように、しっかりと体を寄せ合いながら。
▽▽
純白のドレスに身を包んだラン。
頭にはティアラを着け、手には白いグローブ。
肉付きの良い、しかし太ってはいない体にジャストフィット、文句無しのプロポーションである。
「お似合いで御座います、姫様。まるであの頃の母君そのままだ」
「うん、驚いた。本当にお姫様に見える」
「すっごく綺麗! ランちゃん、どこからどう見てもお姫様だよ!」
「や、やめてください、みんなして!」
ランが城に移る日がやってきた。
今彼女が着用しているのは、レイシアが子供の頃に使っていたドレス。
母の形見であるこれなら、鉄仮面と同じ効果を発揮するのではないか。
そう踏んだアリエスがバーンドに話を通して手配させ、結果は見事的中した。
「でもお母さんのドレス。似合ってるって言われるのは、嬉しいです」
華のように可憐に微笑む様は、まさにプリンセス。
リノは思わず見惚れてしまう。
「……リノ。鼻の下伸びてる」
「え! いや、そんなことないから!」
アリエスに容赦なくジト目を向けられ、両手を振りながら慌てて弁解。
実際彼女は、あの夜からランを妙に意識してしまっている。
「それでは姫様、参りましょう」
「……はい」
いよいよ別れの時。
ランは涙を見せず、どこか寂しげながらも笑顔を浮かべて。
「リノさん、本当にお世話になりました。あなたがいなかったらわたしは今も、あの地獄の中にいたと思います。一生分の感謝をしても足りません」
まずはリノに、続いてアリエスへと。
「アリエスさんも、いっぱい感謝してます。……正直最初はちょっと苦手でした。でも、すぐにとっても優しい人だと分かって。今では本当のお姉ちゃんみたいに思ってます」
最後に二人に、深く頭を下げる。
「今まで……、ありがとう」
顔を上げても、表情は笑顔のまま。
その笑顔が作り笑いだと一目で見抜けても、リノは何も言わない。
彼女にも思うところがあって決断したのだろうから、決意を鈍らせることは言えない。
「うん、沢山会いにいくからね、いつでも行っていいって許可は貰ったから!」
「毎日でも通ってやるから覚悟しといて」
「毎日はさすがに……、依頼もあるでしょうし。でも嬉しいです。いつでも会えますから、さよならは言いません。また会いましょう」
小さく手を振ると、
「さ、姫様。お車の方へ」
バーンドに促されて家の外へ。
停車した馬車に乗ると、御者に合図が出され、馬車は出発。
見送る二人は、馬車が見えなくなるまで手を振り続けるのだった。
▽▽
四日間の依頼を終えたミカは、王都に戻るとすぐにリノの家までやってきた。
そわそわした気持ちで玄関の扉をノックすると、
「はーい、いるよー……」
非常に気の抜けた返事が返される。
「入っても、いいんですわよね……?」
恐る恐る扉を開け、中を覗けば。
「……何してますの、二人とも」
テーブルに突っ伏したアリエスと、ソファにうつ伏せで寝転ぶリノ。
ミカの来訪にリノは顔を上げるが、その目は死んだ魚型モンスターのよう。
「いらっしゃい、ミカちゃん……。適当にそこらへん座ってて……」
「な、何がありましたの、Sランク冒険者が二人も揃って。この二日間、ギルドにも顔を出していませんし。ブルームへの依頼もたっぷり溜まってますのよ!?」
「今依頼なんて気分じゃない……。クルセイド、代わりによろしく……」
アリエスも同じく、魂が抜けたような有り様。
「な、なんですのなんですの!! このわたくしのクルセイドを負かしておいてその腑抜けっぷり! 場合によっては許しませんわよ!! ……そういえば、あの鉄仮面ちゃんは?」
ここに来て、ミカは違和感に気が付いた。
ブルームのもう一人のメンバーである、ランの姿がどこにも見当たらない。
「ランちゃんはね、遠いところに行っちゃったんだ」
「遠いところ……。ま、まさか死——」
「ランはお姫様。私たちとは違う星の人間」
「……はい?」
首をかしげ、呆気に取られるミカ。
事情を説明されて、彼女はようやく驚きの叫びを上げるのだった。
▽▽
それからすぐに、王宮から大々的な発表が成された。
行方不明になっていた王女がたった一人残した、若く美しい姫君が城に戻り、そのお披露目の式典が開催されるという。
式典当日、姫君の顔を一目見ようと、王城前の広場には数千人の観衆が集まった。
その中には当然、リノとアリエスの姿もある。
「有象無象のトマトが山盛り。リノの式典の時より多いかもしれない。ランめ、やりおる」
「争わなくていいから。でもホント、凄い人だね。ここからランちゃんの顔、見えるかな。私たちにも気付いてもらえないかも」
広場に集まった人々で、活気と希望に満ち溢れた広場。
これからこの場所で王国史上に残る惨劇が起きることを、今はまだ誰も知らない。




