50 魔法少女は提案する
待ち合わせの公園を後にした三人は、カフェテラスに腰を落ち着け、それぞれに飲み物を注文する。
「あの……。ごめんなさい、せっかくのお出かけなのに、わたしのせいでなんだか暗い雰囲気に……」
「ランは悪くない。でしょ、リノ」
「もちろんだよ。誰が悪いって話でもない。ランちゃんが決めたことなら、私は尊重したいと思う」
「わたしの決めたこと……」
本当に、自分で決めたことなのか。
奴隷同然の生活から抜け出して、掴み取った今の幸せ。
それを手放す選択肢なんて、ランにとってはあり得ないことだ。
イエスと答えたのは、ただバーンドの願いを断りきれず、流されてしまっただけ。
「立派な決断だと思う、誇っていいことだよ」
「リノの言う通り。私がランなら何が何でも断ってたと思う」
「あれ? お姫様って憧れない?」
「リノと引き離されるなど、たとえ王宮でも牢獄と同じ」
「そ、そこまでなんだ……。えっと、ありがとう?」
「お礼は要らない。どうしてもくれるというならリノ一生分が欲しい」
「どうやってあげればいいの、それ」
二人の会話の中に出てきたアリエスの言葉が、ランの胸に刺さる。
リノと離れ離れになるなら、たとえ煌びやかな王宮の一室でも、あの屋敷の地下牢と何が違うのか。
冒険者も辞めなければいけない、もうリノと一緒に冒険できない。
「うっ、ひぐ……っ、ぅぐ……っ」
気付けば、知らず知らずのうちに涙が溢れてきた。
リノ達からは鉄仮面で涙が見えないが、彼女が泣いているのは一目瞭然。
「ランちゃん……。よし!」
ガタリと音を立て、椅子から立ち上がったリノ。
北にそびえる王城を睨みながら、彼女は宣言する。
「私、今から王宮に行ってくる!」
「行ってどうするつもり?」
「ランちゃんが今まで通りに暮らせるように、掛け合ってくるよ。ランちゃん、いきなりあんなこと頼まれて、断り切れなかっただけなんだよね」
「……ちがい、ます」
ランはふるふると首を横に振る。
確かにリノの言う通り、断り切れなかっただけ。
でもここでリノに全てを任せて逃げ出したら、きっと一生後悔することになる。
「わたしは、平気ですから……。ちょっと訳分かんなくなっちゃっただけで、辛くなんて、ありません……!」
このままリノに依存しきったまま生きていくのも、何かが違う気がする。
だから。
「わたし、自分の意思で決めたんです。王宮に行くって、そう決めたんです」
▽▽
結局その日、アリエスの『ランと三人で恋人になろう計画』は実行されず。
どこか重たい空気のまま、三人は早々に家路についた。
帰宅してもランは鉄仮面を外さない。
リノに表情を見られてしまえば、きっと本心も見抜かれてしまう。
そんな思いから、顔を見せられないまま。
「はぁ……」
リビングの椅子に腰かけ、ランはため息をつく。
「ため息なんて、やっぱり後悔してる?」
その隣に腰かけたアリエス。
彼女は何の気なしにランの鉄仮面を外し、素顔を露わにさせた。
「後悔なんてしてません。龍人の血から逃げて、もう一つの血からも逃げちゃったら、きっとその方が後悔するから……」
「そう。でも私は心配。ラン、本当にリノと離れて暮らせる? このままだと私、リノのこと独り占めしちゃうよ?」
「それは、諦められませんけど……。ってアリエスさん、随分な自信ですね。ふふっ。振られる可能性、考えてないんですか」
「当然。リノが私を振るはずがない」
根拠の無い自信にランは笑いつつ、同時に羨ましく思う。
アリエスの自信、それを裏打ちする実力。
どちらも持っていないものだから。
「もう、可笑しいです、アリエスさん」
「やっと笑った。ランは笑ってると凄く可愛い」
「ふぇっ!? あ、あうぅ……」
笑顔から一転、顔を真っ赤にして俯いてしまう。
「そ、そもそもこんな話、リノさんに聞かれたらどうするんですか……!」
声のトーンを下げながら、キョロキョロと辺りを見回すラン。
しかし、リノの姿はどこにも見えない。
「あ、あれ……? リノさん、どこに……」
「リノならさっき買いものに行った。やっぱり気付いてなかったんだ」
鉄仮面を外しても龍人に変異しなかったのは、リノが近くにいるから。
そう思い込んでいたランだが、今この家にはアリエスだけ。
「わたし、リノさんがいなくても大丈夫になってる……?」
「リノがいるって思いこんでたからだと思ったけど、今もランは可愛いランのまま。何も変わってないよ」
「だから可愛いとか、もう! ……でもそっか、わたし、アリエスさんの前でも平気になってたんだ」
リノに対する恋愛感情とは違う。
アリエスに向けているのは、姉を慕うような感情。
彼女の存在もまた、母と同等の安らぎを得られるほどに大きくなっていたのだろうか。
「……今変異しないのは、そういうことだと思う。でもね、さっきは違ったよ?」
サラサラの金髪を撫でながら、妹に言い聞かせるように。
「ランの鉄仮面には、龍人の血を封じるような魔法はかかってない。それは何の変哲も無い、ただの鉄仮面。だからこれは全部、ランの気持ちの問題なんだ」
蒼い瞳を優しく、じっと見つめながら。
「ランがその気になれば、龍人の力だって自在にコントロール出来るはずだよ」
「そう、ですね。本当は分かってるんです。気持ちが弱いから、コントロール出来ないんだって。龍の力を抑えつけるには、心の強さが足りないんです」
「……そこで私は提案します。これから待つランの王宮生活が、鉄仮面無しで過ごせるように」
その優しげな瞳が、突然いたずらっぽさを帯びた。
嫌な予感がしつつも、
「何ですか、提案って」
と、聞くだけ聞いてみる。
「特別に抜け駆けを許してあげる」
▽▽
就寝時間。
リノはいつも通り、一緒のベッドで眠るためにランを待つ。
こうして彼女と眠るのも、今日を含めて後二回。
そう思うと、心に穴が開いたような寂しささえ感じていた。
「……し、失礼します」
鉄仮面を抱えて入ってきたランは、なんだか緊張した面持ち。
最初から素顔を晒している事も驚きだが、どうして寝るだけなのに緊張を。
「いらっしゃい。布団温めておいたから、こっちおいで」
布団をめくって、自分の隣をポンポンと叩く。
普段ならこの後、ランはリノの隣に収まって眠りにつくのだが。
「あの、その前に今日は、大事な話があるんです」
「話……。うん、聞かせて」
真剣な表情で切り出したランに、リノもベッドの上に正座して聞きに徹する。
「わたし、アリエスさんの前でも鉄仮面無しでいられるようになりました」
「ホント!? 良かった、大進歩じゃん」
「なんですけど、きっと他の人の前ではダメだと思うんです。王宮では鉄仮面被って暮らし続けるわけにもいかないので……」
「あぁ、それは課題だね」
鉄仮面を被り続ける姫君など、聞いたこともない。
ランが前例を作ってしまえばいいのだが、しきたりも厳しい王宮でぽっと出の姫が勝手は出来ないだろう。
「だけど、これはわたしの気持ちの問題です。結局、わたしの心が強ければ鉄仮面も必要ないんです。だから——」
リノの胸の中に飛び込んだランは、潤んだ瞳を向けて懇願する。
「わたしに、勇気をください……」




