45 決着 長い戦いの終わり
クルセイドの三人に連れられ、ランは闘技場の外へ避難した。
彼女を連れ出したミカ達は、逃げ遅れた観客を救うために闘技場へと戻っていく。
一人残されたラン。
闘技場から立ち上った巨大な火柱を不安げに見上げていると、
「あなたがランさんですか、初めまして」
「……っ!?」
背後からかけられた、あまりにも優しげな声。
ゾクリと、背筋に悪寒が走る。
振り向けば、にこやかに微笑む燕尾服の紳士の姿。
片眼鏡の奥の瞳に、ランはぞっとするほどの冷たさを感じた。
「ラーガさんの娘さん、でしたよね。初めまして、私の名はレイドルク。いやはや、龍人と人間のハーフとは。実に興味深い」
「あ、いや……っ!」
「ちょっと向こうで、私とお話しませんか? ここは人が多すぎますし、ねぇ」
「たすっ、助けてっ、リノさん……っ」
助けなど来ない。
そんなことは分かっている。
リノは今、闘技場の中で龍と戦っているのだから。
従うしか、選択肢は存在しない。
闘技場の裏手、人の気配が無くなったところで、レイドルクは立ち止まった。
「……さて、お話というのは他でもありません。私と一緒に来ませんか?」
「いや……、いや、です……っ」
「おやぁ? 意外な答えですねぇ。だってあなた——」
彼はおもむろに鉄仮面に手を伸ばし、
「龍人、ですよねぇ?」
無遠慮に、取り外す。
「か、返して……!」
途端にランの首筋が緑色の鱗に覆われ、右腕が人ならざるものに変貌。
暴走しそうな意識の中、リノの顔を思い浮かべて必死に踏みとどまる。
「いくら否定してもほらこの通り、一皮剥けば貴女は我々と同類だ。龍殺しの少女と共に居て、幸せになれるはずもない」
「そんなこと……、ない……っ! わたしは、リノさんの側が、一番……っ!」
「この鉄仮面も、意固地になる原因の一つでしょうか。いっそのこと破壊してしまえば——おや?」
片手で鉄仮面を弄んでいたレイドルクは、その内側、後頭部の部分に刻印された紋章を見つける。
そして、心底面白そうに顔を歪めた。
「ランさん、あなたの母君、名はなんと仰いますか?」
「なんで、そんなことを……!」
「答えなければ鉄仮面は破壊します」
有無を言わせぬ重圧。
脅しではない、本気で鉄仮面を破壊するつもりだ。
「うぅ……っ、レイシア……、姓は、分かりません……!」
「そうですか、レイシア。なるほどなるほど、これは面白い。ラーガさんもとんだ置き土産を残してくれたものだ」
何度も頷くと、鉄仮面をランに被せる。
潮が引くように、彼女の体から龍人の特徴は消え失せた。
「……え?」
「気が変わりました。あなたを引き入れるよりも、もっと面白いことを見つけたのでね。では、私はこれにて」
ステッキを振り回しながら、上機嫌で去っていくレイドルク。
その背中を、ランは茫然と見つめていた。
▽▽
少女の振るった刃が、荒れ狂う龍の首を斬り飛ばした。
共に戦った者たちの目が、場内で救助に当たっていた冒険者の目が、逃げ遅れた観客の目が、彼女一人に注がれる。
ズゥゥゥウ……ン!
首を失った巨体が、土煙を巻き上げて崩れ落ちる。
二メートル強の生首が、血を撒き散らしながらゴロリと転がる。
そして龍殺しの少女が、軽やかに着地する。
「……やったの? 私」
リノ自身、信じられなかった。
強固なはずの甲殻を斬った時、なんの手応えも引っ掛かりもなかった。
ライナの【龍殺し】が発動した、そうとしか思えなかった。
「託すって、ライナ、もしかして……」
自分の力を、スキルをリノに託す。
あの言葉はそういう意味だったのだろうか、だとしても、そんな芸当が出来るのか。
「リノ……!」
「わっと!」
上の空で考えていると、駆け寄ってきた白髪の少女に突然抱き付かれた。
バランスを崩さないように踏ん張り、曲刀を放り出して両手で抱きとめる。
「リノ、凄い。本当に倒しちゃうなんて」
「私だけの力じゃないよ。アリエスちゃんやみんなの力があってこそだから。それにきっと、ライナも力を貸してくれたと思う」
「ライナも……?」
「きっと、だけどね」
暴龍の死骸は急速に腐敗し、塵となって消えていく。
残されたのは、首と胴体が分かたれた巨大な骨格のみ。
オルゴとポートは無言でハイタッチを交わし、ミカはリノたちのもとへ。
凍りついていた観客席の時間も動きだし、龍を仕留めた少女の話題でざわつき始めた。
「お見事ですわね、リノ・ブルームウィンド」
「ミカちゃん、援護ありがとう。キミが動きを止めてくれなきゃ、倒せなかったと思う」
「と、当然ですわっ!! わたくしを誰だと思ってらっしゃるの!?」
爽やかなリノのスマイルを前に、何故か顔を赤らめるミカ。
アリエスがリノの腕の中で、無表情のまま睨みを利かせる。
「リノさん、さすがは真の龍殺しです」
「うむ……。またお前に助けられたな……」
「ポートさん、オルゴさん。お二人と一緒に戦えて、今度は肩を並べて戦えて、不謹慎かもしれませんが、嬉しかったです」
ずっと安全な後ろから見ているしかなかった、遠い背中。
彼らと肩を並べて戦うことは、荷物持ち時代に彼女が夢見た、叶わないかもしれない願いの一つ。
その夢が叶った今、長年の胸のつかえが取れた思いがした。
そして。
骨だけとなったレクスの亡骸に目をやりつつ、首飾りをそっと握る。
「託されたバトン。きっちり繋いだよ、ライナ」
彼女の恋人の仇を、自分に託して力尽きた相棒。
沈黙したままの首飾りに、仇を取ったと報告。
これで全ては片付いた。
「ところで何故、突然龍が現れたのでしょう。それも、こんな街中に」
「え、えっと、それは……」
もっともな疑問を呈するポート。
彼には龍人のことを教えてもいいだろうか、冷や汗をかきながら、アリエスと目を合わせる。
困り顔を浮かべるリノのために、アリエスは助け船を出した。
「龍はある日突然現れるもの。突然街中に現れても、なんの不思議もない」
「そ、そうではありますけど……」
「考えても仕方ないこと。でしょ、リノ」
「そ、そうそう」
「……まあ、いいでしょう。考えても分からないっていうのは、確かですしね」
ポーカーフェイスのアリエスに比べ、明らかに様子のおかしいリノ。
何か引っかかるものはあったが、ポートはそれ以上追及せず。
一安心したリノだが、ふと思い当たる事柄が。
「……あ、あれ? ミカちゃん、クルセイドの三人が来てるってことは、ランちゃんは?」
「あの子なら外で待ってますわよ。安全なところまで逃がしましたから、安心なさいませ」
途端に、リノは青ざめる。
今彼女は一人、この会場にはレイドルクがいた。
ランの存在を知っている彼が、何もしてこないとは思えない。
「さ、探しに行かなきゃ……!」
「その必要はないみたい。ほら」
アリエスが指さした先には、こちらへ走ってくる鉄仮面の少女の姿。
胸に飛び込んできたランを抱き止める。
「リノさん、リノさん……っ!」
不安だったのだろうか、鉄仮面を外してリノの胸に顔を埋めるラン。
彼女の頭を撫でていると、アリエスも対抗するようにリノに抱きつく。
二人の少女の温もりを感じつつ、リノはアリエスと微笑み合った。